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映画監督・松江哲明が教える今こそ見たい名作「ロマンポルノ」5選

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年末年始はロマンポルノばかり観ていた。尺とセックスシーンの回数さえ守れば作り手の自由が許されるこの奇跡のような作品群を今、見直しておきたかった。2017年の映画は世評と僕の好みが離れているな、と思わされることが多かったからかもしれない。

◆ロマンポルノの扉を開いた石井隆相米慎二

ロマンポルノを見始めたのは中校生の頃だが、最初はレンタルビデオだった。きっかけは石井隆監督の『死んでもいい』。永瀬正敏を目当てに観たのだが、役者を追いつめるかのような長回しと、美しいセックス描写と血の表現に「今まで観た日本映画とは違う」と感じた。石井監督のことを調べると劇画とロマンポルノを手がけていたことが分かった。

古本屋とレンタル屋を回り、監督の名があるものを探しまくった。その時に出会った強烈な1本が『ラブホテル』。久々にBDで見返したが、改めてロマンポルノという枠から生まれ、それを超えようとする作品だと思った。本作では山口百恵の「夜へ」が、村木と名美という石井作品では決して結ばれない運命の男女のテーマ曲となる。

相米慎二監督の作品はシーンごとの演出は圧倒的だが、映画としては破綻することが少なくない(そこが魅力でもある)。しかし本作は最小限の登場人物とシンプルな脚本、無駄の許されない製作環境が良い方向に働いたのではないだろうか。僕は相米監督の全作品の中でも屈指の完成度だと思う。

村木の別れた(それでも離れられない)妻と、名美がすれ違い、視線を交わす瞬間、桜の花びらが舞い散り、子どもたちが一斉に遊び回るクライマックスは「映画ならではの飛躍」を実感させてくれる名シーンだ。僕はこのシーンを観る度に初めて観た時の感動を思い出す。

◆ブルドーザーでゲラゲラ女を追い回す

ポルノというルールがあったからこそ異様な迫力を持ってしまった例が『昼下がりの女 挑発!』だ。まず物語がぶっ飛んでいる。夫と喧嘩をして家を飛び出した女が車で男を跳ねてしまう。お詫びに食事を誘うが彼はそっけない様子。モーテルに誘い共に一夜を過ごしても手を出してこない。実は彼がゲイだということが分かった辺りから映画の迫力がグンと上がる。

ドライブインに立ち寄るとそこにいた男たちが襲いかかるのだが、その道具はなんとブルドーザー。ゲラゲラ笑いながら女を追い回すシーンはエロスよりも狂気が勝る。この映画、登場人物の全てがヤバいのだが、異常な事件に巻き込まれても日常に帰ろうとする妻が最も強烈だ。映画の始まりでは子どもを作りたいと望む夫に対し「妊娠すると体の線が崩れるから」と拒否をしていたが、散々な体験をした挙げ句、夫に電話で連絡をして自宅に戻ることを決意する。

とはいえ彼は若い愛人と共にいるので、その後、修羅場になるのは間違いないだろう。そんな余韻を残して終わるのがなんともかっこいい。ロマンポルノというジャンルでなければ生まれない異形のロードムービーには、唯一無二の力がある。

◆ニューシネマ的な結末!『セックス・ライダー』

『セックス・ライダー 濡れたハイウェイ』も女が事故に遭遇することから日常からの逸脱が始まる。結婚を控えた田中真理はかつての恋人とドライブ中に吉沢健(最近は『龍三と七人の子分たち』でカミソリを片手に好演)をはね飛ばし、なぜか湖に連れて行く。ボートで全裸になり「男は生きているのでは」とまさぐるが反応がないことが分かると水中に落としてしまう。

それから散弾銃を持ったハンターに狙われるが、死んだはずの男に助けられ、彼との逃避行が始まるというストーリーは、こうやって要約してもさっぱり分からない。だが、ロマンポルノの初期作であるが故に、ポルノとしてのルールを模索しているのが伝わってくるのだ。物語だけではない何かを作り手たちは探していたのだろう。

しかし、半裸でゴーゴーダンスを踊るシーンに幼女がいるのには驚いた。全身ボカシで隠されているのは当時でも完全にアウトだったのだろう。そして、映画は田中と吉沢がカーセックスをしながら事故死することで唐突に終わる。ニューシネマ的なやけっぱちなクライマックスに時代を感じずにいられない。この頃の映画は『俺たちに明日はない』や『イージーライダー』のように主人公がやりたい放題やって唐突に死ぬ、というのが流行だった。

赤塚不二夫が喜々とセックスシーンを演じる迷作?

やけっぱちと言えば『赤塚不二夫のギャグ・ポルノ 気分を出してもう一度』。「カントク」でお馴染みの山本晋也監督の作品を観ると「映画ってカメラの前で動く遊びのようなもの」と思わされる。山本監督の演出はいかに役者が楽しんでいるかを撮るか、だ。そしてカメラを使った実験。上手くいくか失敗するかなんてやってみなければ分からない。しかも「ポルノなんだから、遊びでいいじゃないか」と言わんばかりの。

だから本作で輝くのは喜々とセックスシーンを演じる赤塚不二夫であり、得意の芸でシーンを独占してしまう由利徹であり、シュールな世界の中で常識人であろうとする柄本明である。そんな世界に対しては観る側も余裕を持ったなければいけない。エンドロールは「柄本明くん」「小川亜佐美さん」「たこ八郎なのだ」「由利徹先輩」と、キャストとの関係性をそのまま紹介。本作は映画を使った祭り以外、なにものでもない。だからこそ貴重なのだ。

岸田森の熱演が光る『黒薔薇昇天』

対してポルノであってもゲージュツであろうとするのは『黒薔薇昇天』の岸田森。今村昌平大島渚のような映画を作るんだと谷ナオミを口説くブルーフィルムの監督を関西弁を駆使して演じている。岸田は金のためなら芹明香演じる妊婦を出演させるような酷い人間だが、彼の説くポルノ論は不思議と説得力がある。彼はモノ作りを心底楽しんでいるからだ。猫がミルクを舐める音や犬の鳴き声、歯の治療中の声でセックステープを作るなんて当時でもギャグだろうが、現在のエロサイトのサクラと大差ないような気もする。

そんなものに引っかかるのは今も昔も変わらないし、性で金儲けをする人間はその辺の心理をよく知ってるのだ。それを悲劇としてではなくユーモアとして描くところに作り手の愛情がある。神代辰巳監督の描く登場人物は皆、たくましい。転んでもただでは起きない彼らと同様、作品自体にも躍動感がある。

手持ちカメラが役者を追いかけ回すと、時にはピントや構図も崩れるが、そんなことは知ったこっちゃない。延々とフィルムは回り続ける。フレームから外れたとしても役者は芝居をやめない。この、しつこい視線が監督のねちっこい演出と合致していて、「ちゃんと」していないからこそ魅力的に映るのだ。これがゲリラ撮影ならではの面白さだ。神代辰監督の持つ、どんな場所も「映画」に変えてしまう秘密を知りたくて、僕は何度も作品を見返すが、まだ見つけられない。

僕は『黒薔薇昇天』を観ながら「こんな乱暴で迫力のある映画は今、作れないだろうな」と思った。そして、だからこそ新しい年の始まりにロマンポルノが観たかったのか、と気づかされた。ここには善悪が明確なヒーローや悪役はいないが、魅力的な人間たちがいる。「いい加減でだらしなくて何が悪い」。1時間ちょっとの上映時間の間くらいは、そう悪ぶったっていいじゃないか。ロマンポルノを観るということは、絶対の正義からの逃げ場でもあるのだ。<文/松江哲明


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