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中田カウス「漫才が今後どう変わっていくのか楽しみ」

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 中田カウス・ボタンを結成してありがたいことに、(2017年で)50周年やったんですわ。50年やろうと思ってもなかった。漫才のことばっかり考えてたら、50年経ったんやなと。いまだに、おっかけの子がいてくれるんですよ。横浜から毎回来てくれる女の子や、名古屋から来るおっちゃんも。朝から3回舞台あったら、3回見てるんですよ。せやから、3回ネタ変えなあかんし、アドリブいれたり、一生懸命になるんですわ。

その場の空気でネタをどんどん変えていきますからね。それがアドリブなのか、ホンマの話なのか、ギリギリのところでやってますよ。それが、芸人の生命線。舞台が終わったあと、何しているかわからん、見えんことが、非常にいいことなんです。ついこの間、アインシュタインさんの本を読んでてな、なんでこんなに人気があるんですかって質問に、相対性理論がすぐに理解できないからですよって。すぐわかると、人気なんてなくなるって。

それと一緒やわ。その人のことがある程度わかったら、客は離れていく。僕らも最初はアイドル漫才師で出ていったから、それがよくわかる。せやから、見せないってことは徹底していますわ。食べるところまで見せたくないから、街歩きの番組には出ないし、トーク番組に出て漫才以外の自分を見せたくないっていうのはありますよ。

今は、テレビに出ると、出しきらされてしまう。胃の中まで見せたり、出産シーンまで見せる。売れているときはいいけど、その後、ガタガタになってしまうでしょう。

■アイドル漫才師で人気を博すも… 我々も、アイドル漫才師として一気に売れたのに、僕の結婚を女性週刊誌にスッパ抜かれたら、客がスーッとひいていった。それから本腰いれて漫才をやるようになったんです。それから、またウケるようになるまでは時間かかりましたよ。

それでも、やっとウケるようになってきた時、仕事場に行ったら、相方がけえへん。控室でテレビ見とったら、スーパーが流れて、“中田ボタン、賭博容疑で逮捕”と(笑)。確かにその頃、雰囲気がおかしかったんですわ。

結局、3か月ぐらい謹慎して、それからやな、もう漫才がおもしろくておもしろくて、たまらなくなったんですわ。風呂でもトイレでも、ああしようこうしようとネタ、一生懸命に考えるようになってね。その時、ボタンさんは何やっているかと思ったら、今度はねえちゃんや(笑)。

そうは言いながら、50年やってるんやからね。我々の漫才で何を見せるか言うたら、男同士の仲の良さなんですよ。今もネタ合わせをしながら、相方の近況を聞くんです。家で何があった、孫はいくつになったとか言いながら、ネタの中で会話していく。本当に相方のことが嫌いだったら、客も笑わへん。

50年、漫才を続けてこられた秘訣を聞かれたら、色んな言葉で飾ることはできますけどね、やっぱり15、16でこの世界に入って、中田ダイマル・ラケット師匠の弟子になって、この世界がすべてだと思ったんですよ。高校にも大学にも行っていないわけですから、社会との繋がりは漫才しかないんです。

僕にとっての漫才は子どもにとって誰にも渡したくない、一番好きなオモチャのようなもん。そこにしがみついてやってきた。

しゃべくりだけの漫才っていうのは、80年ちょっとの歴史ですよ。他の芸能に比べたら、まだまだ歴史が浅い。その分、伸びしろがまだまだあると思うし、若手にもビックリするくらいおもしろいやつは育ってきている。漫才が、今後どう変わっていくのか楽しみですよ。

中田カウス(なかた・かうす)

1949年、愛媛県伯方島生まれ。和菓子屋の家に生まれ、小学生の頃に、旅芸人の漫才を見て、漫才師を志す。ラジオで聞いた漫才のネタを漫談風に書きなおし、近所の銭湯で一人漫才をするように。中学卒業後に、大阪へ。バーテンダーとして働いていたところ、中田ボタンと出会い67年にコンビを結成。その後、同じバーで知り合った中田ダイマル師匠に弟子入り。ジーパンにロン毛というラフなスタイルが若者の間で爆発的な人気を呼び一躍脚光を浴びる。91年、01年、05年に上方漫才大賞を3度受賞。68歳となったいまなお日本全国の舞台に立ち続ける。


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