「安倍を支持している人たちがあまりにも下世話で耐えられない」中原昌也が語る安倍首相や安倍応援団への憤り

リテラ

2017/10/19 00:02


 マツコ・デラックスが10月2日放送『5時に夢中!』(TOKYO MX)で発した「無神経、馬鹿じゃないと総理大臣ってできないと思うのよ。安倍ちゃんなんて馬鹿の象徴じゃない?」という言葉や、「小学8年生」第4号(小学館)に掲載された安倍首相の風刺マンガなど、政権側の人間を茶化した表現がネトウヨたちの手により次々と「名誉毀損だ!」などと炎上させられている昨今。

どちらも至極真っ当な風刺であり、時の為政者を茶化す表現が名誉毀損などであるはずがないのだが、そんな間抜けな論法をゴリ押ししてくる安倍応援団の下劣さにはほとほと呆れ返るばかりだ。

同様の感覚は真っ当な人なら誰もがもつもの。小説家、ミュージシャン、映画評論家の中原昌也もそのひとりだ。彼は「SPA!」(扶桑社)17年10月10日・17日号に掲載された評論家の坪内祐三との対談で「安倍を支持している人たちがあまりにも下世話で耐えられない」と語っている。

「何だろう、別に思想的なことを言いたいわけじゃないんですよ。ただ、安倍を支持している人たちがあまりにも下世話で耐えられないってだけなんですよ」

中原が揶揄するのは安倍信者だけではない。安倍首相本人に対しては〈繊細さに欠ける〉と切り捨て、そして、安倍首相も含めた権力者に対しては〈言葉がわからない外国の人たちの気持ちのほうがわかる〉とまで徹底的にこきおろす。

「政治家になりたい人のマインドがそもそもわからないってこともあるんですよ。ただ、安倍は酷すぎる。あんなにも繊細さに欠ける人が総理大臣になるってことは、そういう時代なのかもしれないですね」
「安倍たちに比べたら、言葉がわからない外国の人たちの気持ちのほうがわかる気がする。言葉が通じなくても、まだその人たちの気持ちのほうがわかるなって感じですね」(前掲「SPA!」17年10月10日・17日号)

強権的に物事を押し進め、国会ではまともに議論もせずに強行採決の連続。マスコミに対する対応でも、真っ正面から質問に答えようともせず、はぐらかしと嘘の連発。森友・加計学園問題で叩かれ支持率が急落した時期は、一瞬だけしおらしくなって「丁寧な説明」などと言い始めたが、いまやその言葉もどこかへ雲散霧消してしまったのはご存知の通りだ。

「言葉が通じなくても、まだその人たちの気持ちのほうがわかる」と言い放った中原昌也の言葉はまさにその通りとしか言いようがない。なにしろ、むこうには自分たちと意見の違う人の考えに耳を傾けようという気などいっさいなく、そんな人間は権力で押さえつけて黙らせてしまえばそれでいいと思っているからだ。

「SPA!」17年9月19日・26日号では、その強権的な姿勢についても、このように喝破する。

「ナチスもいいことをしたとか、どうのこうの言うヤツって、もはや嫌がらせで言ってるだけでしょ。何も考えてねえだろって」
「本当に堪え難いです。道徳的とかってことを超えて、権力があれば何を言ってもいいだろうという、あの驕りが嫌ですね」

1から10までその通りなのだが、あの中原昌也の言っていることがここまで真っ当に響くというのも、まさに「時代」といった感がある。

中原昌也といえば、音楽では暴力温泉芸者やHair Stylisticsといった名義でノイズミュージックを突き詰め、小説でもバイオレンスとブラックユーモアをふんだんに混ぜた世界観を構築。世俗的な作風とは距離をとり、アングラでハードコアな、独自の芸術世界をつくりあげている作家である。

それでも彼は、自分の芸術や発言が現実世界から遊離することを良しとしない。それは、昨今ではだんだんと失われつつある感覚である。

昨年6月、SEALDsの奥田愛基氏がFUJI ROCK FESTIVAL'16に出演したことをきっかけに巻き起こった「音楽に政治をもち込むな」の炎上騒動が典型だが、ここ最近では芸術が社会的なトピックに踏み込むこと、特に、権力者を批判するような表現をすることに対するアレルギー反応がある。

それは、芸術の受け手側だけではない。つくり手側にも共通して当てはまる傾向である。中原は「SPA!」10月3日号にて、ある文学賞で出会った不愉快極まりない逸話を語っている。

付き合いで出席したその文学賞のパーティーでスピーチを頼まれた彼は、受賞者に「SFは管理社会に対する批判として出てきたものだけど、現実世界はそれを都合よく管理社会に利用したところがあって、そういうことについてどう思いますか?」という質問を投げかけた。それに対する反応は、「YES」でも「NO」でもなく、「そんなことより自分の生活が楽しいほうがいいかなと思います」という、なんとも次元の低いものだった。これに対し、彼は怒りをぶちまける。

「文学が反体制的である必要はないけど、何かを考えるヒントにならないと意味がないだろうと。別にエンタメが悪いとは申しませんが、自己肯定的な表現ばかりになるのは本当に害悪だと思いましたね」

現実の社会との関わり合いや軋轢を避け、エンターテインメントや芸術に集中するその受賞者のような態度は一見、文化芸術に殉じているようにも見える。

しかし、そういった姿勢は、翻って、自分たちが大切にしている文化や芸術を傷つけることになるのだ。作家、ミュージシャンのいとうせいこうは「音楽に政治をもちこむな」的な言説に屈する表現者に対して、「そういう発言やアプローチが出来ないと、自分たちの制作や創造、流通自体が締め付けられるような事態が起こった時に、それに抗せない」(「BRODY」2016年10月号/白夜書房)と警鐘を鳴らしているが、本当にアートを理解し、表現活動の自由を担保することの重要性を理解している者は「文化に政治をもちこむな」などとは言わないし、そのような声に負けることもない。表現の自由などというものは時の権力者によってたやすく奪われてしまうものであり、それを守ることができるのは、他ならぬ表現者たちだからだ。

無論、中原もそのような考えをしっかりともっているひとりだろう。前掲「SPA!」10月3日号で彼は、社会との軋轢を忌避し、唯々諾々と権力に従う表現者に対し、こんな痛烈な言葉を浴びせかけている。

「今はもう「体制に従っていればいいんだ」って人ばっかになっちゃいましたね。つまんない自己肯定のために本なんか読むんだったら、オナニーでもしてたほうがマシですよ。オナニーの時間を割いてまで本を読むのはなぜかってことですよね」

自らの殻にこもり、社会に対し何の波風も起こさないような毒にも薬にもならない創作物はオナニー以下。非常に痛快な言葉だ。アーティストにまで同調圧力を強いるような社会になって久しく、その傾向は日に日に強くなっているが、中原のような気骨ある表現者が一人でも増えてくれればと切に願う。
(編集部)

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