「植木等とのぼせもん」6話。40歳目前、父に「いつになったら本物になるんだ」と言われるのはキツい…

エキレビ!

2017/10/14 10:00

NHK総合の土曜ドラマ「植木等とのぼせもん」(夜8時15分~)もいよいよ佳境だ。主人公の松崎雅臣青年(志尊淳)は、先々週の第5回でテレビデビューをはたし、師匠の植木等(山本耕史)から「小松政夫」という芸名をもらった。先週、10月7日放送の第6回では、「オヤジたるもの」と題して、植木等とその父・徹誠(てつじょう。伊東四朗)の関係があらためてクローズアップされることになる。
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植木が小松の将来を本気で考え始めた第6話
徹誠が倒れたとの連絡を受け、植木はあわてて父の家に飛んでいくが、持病の痔をこじらせただけとわかり、まずは安心する。ただし、しばらく身動きのとれない徹誠のため、小松が世話をすることに。ある日、小松は、徹誠からふいに「一生あいつの付き人で終わるつもりか」と訊かれ、「親父さん(植木のこと)が望むなら、もちろんです」と答える。これに困ったような表情を浮かべる徹誠。

小松は付き人として、植木のため、とにかくよく尽くしていた。映画の撮影で和服を着た植木が、休憩中に楽屋で横になる際、着くずれを気にしていると知るや、自分が直してあげられるよう、衣装部の栗原(ハライチの澤部佑)に着付けを教えてほしいと掛け合う。栗原には「ここは着付け教室じゃねえんだぞ」と怒鳴られるも、見ているだけなら……と何とか許しを得た。

そんな折、植木にブルーリボン賞が贈られる。その祝賀パーティーでは、映画関係者や芸能界のスターたちが集まるなか(パーティーの司会者役はラサール石井だった)、徹誠があいさつに立ち、出席者に対し感謝の言葉とともに「植木等はまだまだ若輩者です。海のものとも山のものともつきません。皆様のご指導がなければ、とうていこれから先もやっていくことはできないでしょう。どうか、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます」と述べ、拍手喝采を浴びる(伊東が「どうか」を繰り返したところで、小松の後年のギャグ「どうか一つ!」を思い出した)。

だが、その帰りの車のなかで、喜色満面の植木に対し、徹誠は不機嫌そうにずっと黙りこんだままであった。気になった植木は、家に送り届けてから徹誠にどうしたのかと訊ねると、「おまえは小松君のことをどう考えているんだ?」と逆に問いただされ、「(小松に)自分のことを『親父』と呼ばせたんなら、少しは親父らしいところを見せたらどうなんだ!」と一喝されてしまう。

後日、映画の撮影中、植木は衣装部の栗原から「植木さん、いい弟子持ちましたね」と声をかけられた。このとき小松は小松で、ハナ肇(山内圭哉)と谷啓(浜野謙太)に、日劇(当時、東京・有楽町にあった大劇場「日本劇場」のこと)でのクレージーキャッツの公演で、コントに出るよう言われる。

そのコントは、女装した植木のスカートのなかに小松が入り、「夢見るシャンソン人形」の曲に合わせて二人が一体となり、舞台を動き回るというもの。やがて動きが合わなくなると、植木がスカートだけ残してステテコ姿となり、さらにスカートのなかから、小松が赤いフンドシ一丁という格好で飛び出して爆笑をとる。このときの小松の頑張りにはただならぬものがあり、植木から下駄でさんざん足を踏まれても耐え続け、指から血を流すほどだった。植木はそれに気づくと、楽屋で小松の足に包帯を巻いてやりながら、「ありがとな」と、あらためて感謝の気持ちを伝える。

後日、植木はハナ肇と谷啓に、大阪でのクレージーの公演の幕間を小松に任せてくれるよう頼みこむ。難色を示すハナに対し、谷は、小松を独り立ちさせたいという植木の気持ちを察して受け入れるのだった――。

「父と息子」こそドラマのテーマ?
今回ようやく気づいたのだが、このドラマには全編にわたり「父と息子」というテーマが流れている。思い返せば、第1回の冒頭からして、「スーダラ節」をめぐる息子・植木等と父・徹誠の会話で始まった。このあと、植木は弟子となった松崎に、自分のことを「親父」と呼ばせる師弟関係を結ぶ。ようするにこのドラマは、植木等の本当の父子関係と、小松との擬似の父子関係と、二つの軸を中心に構成されている、ともいえる。

ちなみに、ドラマでは植木と徹誠はべつべつに暮らしているが、実際には、このころ(1966年当時)父子は同居していた。ドラマが始まったときから、どうして別居している設定にしたのか疑問だったのだが、今回の話で納得した。父が倒れたというエピソードは、たしかに離れて暮らしていたほうが、植木が駆けつけるまでのあいだ緊張感が出るし、物語のなかで生きるだろう。また、この設定のほうが、互いに自立して生きる植木と父の関係性がより際立つというねらいも制作側にはあったのかもしれない。

有頂天の息子に冷や水を浴びせかける父
今回のドラマのなかで植木が受賞したブルーリボン賞は、在京のスポーツ紙の映画担当記者を中心に運営されている実在の映画賞である。より正確にいえば、植木等に贈られたのは、1965年度(発表は66年春)のブルーリボン賞の大衆賞だ。

受賞祝賀パーティーで徹誠があいさつしたのも事実である。その内容も、劇中のセリフとだいたい同じ。植木はこのあとで、出席していた大先輩の森繁久彌から、《植木君、きょうは、いろいろな人がしゃべったけれど、君のおやじさんの話がナンバーワンだったよ》と言われたという(植木等『夢を食いつづけた男』朝日文庫)。

賞を受けて有頂天となっていた植木に対し、パーティーが終わって徹誠がいさめるようなことを言ったという流れも、事実に沿っている。ただし、そのとき徹誠が口にしたのは、小松政夫に関してではなく、《おい等、おまえ、こんなことをやっていて、いつになったら本物になるんだ》というものであった(『夢を食いつづけた男』)。

父親のこの一言に植木はこたえたというが、無理もない。40歳を目前にしてやっと世に認められ、親孝行のつもりで自分の晴れ舞台に呼んだというのに、こんなことを言われたら誰だって落ちこむだろう。しかし、徹誠はおそらくそれを承知の上で、息子がいい気にならないよう、あえて厳しいことを言ったのではないか。


日劇の給湯室を“楽屋”にした小松
第6回に出てきた植木と小松によるコントも、実際に演じられたものである。このとき、赤フンに着替える必要のあった小松は、裸で日劇の廊下を歩くわけにもいかないので、一畳ほどの給湯室を楽屋代わりに使わせてもらった。調子に乗った彼は、わざわざ美術スタッフに頼んで、給湯室の出入口にかけるノレンまでつくってもらう。さらに誰かから贈ってもらった体にするべく、ノレンの「○○より」というところに師匠の名前を入れたいと植木に相談し、それならハナちゃんの名前のほうがいいと助言される。小松はこれに従い、「クレージーキャッツ リーダー ハナ肇より」と書きこんだ。

小松が給湯室を楽屋に仕立てたことに対し、やがてクレージーキャッツのマネジャーたちから「ボーヤが楽屋なんて10年早い」との声が上がる。だが、ハナ肇は例のノレンを見ると、マネジャーたちに《小松は若手だけど立派な日劇の出演者だぞ。さぁ、とっとと楽屋を用意しやがれ!》と一喝、このあとすぐ、小松にはちゃんとした楽屋が用意されたという(小松政夫『時代とフザケた男』扶桑社)。ハナもまた、いつしか小松に一目置くようになっていたのである。

さて、ドラマもいよいよ終盤。独り立ちのため植木から大きなチャンスを与えられた小松は、はたしてどう期待に応えるのか? 今夜放送の第7話も見逃せない。それではまた来週、レビューでお会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら。
(近藤正高)

当記事はエキレビ!の提供記事です。

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