「打ち上げ花火―」原作・岩井俊二『なずなに対する新房監督の愛が深い!』

ザテレビジョン

2017/8/16 19:30

「Love Letter」(1995年)、「スワロウテイル」(1996年)、「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)、「リップヴァンウィンクルの花嫁」(2016年)など、独自の映像美に湛えられた作品を発表し、多くの映画ファンを魅了し続けている岩井俊二氏。新房昭之監督によりアニメ映画化された「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の原作ドラマ「打ち上げ花火―」(1993年フジ系)は、彼が活動の主軸をテレビドラマから映画へと移すきっかけとなった、“映像作家・岩井俊二”のフィルモグラフィーを語る上でも重要な作品の一つだ。そこで今回は岩井氏に、原作ドラマ「打ち上げ花火―」に込めた思い、そして、アニメ作品として新たな命が吹き込まれた映画「打ち上げ花火―」の見どころを語ってもらった。

──岩井監督が24年前に手掛けたテレビドラマ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を原作とした劇場アニメ映画がついに公開されますが、最初に今回の企画を聞かれたときは、どんなふうに思われましたか?

川村(元気)プロデューサーからお話をいただいたのが一番最初だったと思うんですけど、聞いた瞬間はやっぱり、「一体何てことを思いつくんだろう」と(笑)。びっくりはしたんですけど、でも一方で、この作品がアニメで見られるのはうれしいなという気持ちも正直ありましたね。

──アニメといえば、岩井監督も以前「花とアリス殺人事件」(2015年)というアニメ作品を手掛けられていますね。

僕は一回やっただけなので、全然語れるレベルじゃないんですけど、アニメって、実写に比べるとはるかに大変なんですよ。実写だと、役者さんのお芝居を撮れば、そのシーンは終わりですけど、アニメは一枚一枚描かなきゃいけない。当たり前ですけど、ものすごく人手も手間も掛かるし、非常に労力の掛かるエンターテインメントだなと。この作品も、最初に企画が立ち上がってから5年くらい経ちますが、今は“やっとできあがったな”と、感慨深いものがあります。

■ 全く違うものになったらなったで面白い

──アニメ化するにあたって、原作者の立場から「ここだけは変えないでほしい」といった要望はあったんでしょうか?

基本的には何もなかったです。自分も作り手なので、新たなアプローチをするのであれば、どんなふうに変わっていくんだろうというところに、むしろ興味が湧きますから。そもそも僕自身、原作ものを手掛けるときは「ここまでやっちゃうの?」というくらい変えちゃうタイプですし(笑)、全く違うものになったらなったで面白いな、と。ともあれ、あまりこちらに遠慮されると、いい作品にはならないので、「原作ドラマを意識しすぎず自由にやってください」というスタンスで、とにかくすてきな作品ができればという思いだけでしたね。

それに今回、本打ち(※脚本作りの打ち合わせ)に毎回呼んでいただいたんですよ。「原作者ってこういう場にいていいんだっけ?」と、ちょっと申し訳ないような気持ちも感じつつ(笑)、本打ちに最後まで参加させてもらったので、もはや原作者として引いた視線で見ることができなくなってしまったところもあります(笑)。

■ 時間軸の問題を解消するため“もしも玉”が誕生

──劇中に出てくる、「もしも玉」(時間を繰り返すきっかけとなるアイテム)の設定は、岩井監督のアイデアだそうですね。

「打ち上げ花火―」の原作ドラマは、「if~もしも」(1993年フジ系)というオムニバスドラマの中の一編として作った作品なんですが、「if~もしも」には、初めから“もしも○○だったら?”というルールが設定されていたので、特に説明がなくても、ある分岐点からもう一度物語が始まるという流れが、当たり前のものとして視聴者に受け入れてもらえたんですね。それが、後に単体の作品として劇場で公開されて、さらに海外でも上映されたときに、海外の観客からは「どうして時間が巻き戻ったの?」とか、「何でもう一回始まるの?」といった疑問が出てきて。それはそうですよね、その点についての説明が一切ないんだから。今までは「夏の思い出は幻のようなもので、それを時間を巻き戻すという形で表現しました」とか何とか、いろいろ理屈を後付けしてしのいでいたんですけど(笑)、今回のアニメでは、その時間軸の問題はちゃんと説得力のある描き方をしなきゃいけないなと。そこで、僕の方から「もしも玉」の設定を提案して。さらに、脚本の大根(仁)さんから、時間を遡るのを何度も繰り返す、というアイデアが出てきたんです。

■ 今回の新房監督の表現は、挑戦的な試みがたくさん成されている

──そうして完成した今回のアニメ作品をご覧になって、いかがでしたか?

ドラマを作ったのは24年前で、そのときも、自分の子供のころを懐かしんでいたというか、自分にとって懐かしい世界を再現しているような感覚があったんですね。それを24年後の未来に見るというのは、懐かしさの二乗というか、何だか新鮮な感じで…。ドラえもんの世界にいるような不思議な体験をさせてもらった気がします(笑)。

──ヒロインのなずなは、ドラマで奥菜恵さんが演じていたなずなと同様、少女とも大人の女性とも違う、何とも表現しがたい色気を放っていますね。

当時の奥菜さんも年齢に似合わず、すごかったんですよね。本当に小学生に見えないくらいに色気があって。だから今回のなずなも、ドラマのなずなと全然違うという印象は受けませんでした。ただ、新房(昭之)監督の映像表現として、「これは実写では無理だな」と思ったのが、“瞳の芝居”。なずなの瞳をかなり大映しにするんですが、その瞳がちゃんと芝居してるんですよ。ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」(1929年)とか、いくつかの映画で印象的な瞳のアップはありますけど、実写映画で、瞳にあれだけの芝居をさせるって、なかなかない気がするんです。アニメというのは、基本的に動きで表現するものなので、人物の顔には情報がないからアップの画は成立しにくい、という話をどこかで聞いたことがあるんですが、逆にこういうところに突破口があるのかな、なんて。そのくらい秀逸な表現だと思いましたね。顔のアップどころか、瞳にまで寄っていって、しかもその瞳が躍動しているんですから。とにかく今回の新房監督の表現は、挑戦的な試みがたくさん成されていると思います。アニメってこういうものだろうと固定観念を持ってる人ほど驚くような表現がいっぱい詰まっているんじゃないかなという気がします。

■ 僕は完全になずな推し(笑)

──その斬新な表現を見て、映像作家として嫉妬を感じることは…?

嫉妬というよりも、ただただ、新房さんらしい解釈だなと感心しました。特にすごいなと思うのは、新房さんがかつて手掛けた「魔法少女まどか☆マギカ」(2011年MBSほか)とは逆なんですよね。「―まどか☆マギカ」は、キャラクターの顔の表情を一切使っていない。登場人物がほぼ同じ造形で、髪形とか髪の色が違うだけじゃないですか。外国人から見たら全く判別できない。あえてキャラクターが記号化されているんです。つまり、顔から個性を消したわけで、そうしたキャラクターを演出するときは、顔の表情ではないところで演出をつけなければならない。だから、「―まどか☆マギカ」は、いわば“引き算”の演出が施されていたと思うんですが、今回の「打ち上げ花火―」は、逆に“足し算の演出”というか。新房監督は、これ以上の寄りの画では表現できないというアニメ表現の限界に挑戦しているのかもしれない、とさえ思いました。

──では最後に、原作者から見た、アニメ映画「打ち上げ花火―」の魅力を教えてください。

「打ち上げ花火―」というのは、僕が作り手としてドラマから映画にシフトチェンジするきっかけになった作品ですし、20代のころにずっと作り続けてきた深夜ドラマの集大成的な作品でもある。本当に、いろんなものが詰まった作品なんですね。今回のアニメ作品では、自分がこの作品に詰め込んだ思いみたいなものを、新房監督や大根さんをはじめ、スタッフの皆さんと共有することができたんじゃないかなと思っています。

あと、見どころとしてはやっぱり、なずながめちゃくちゃかわいいんですよ(笑)。他のキャラクターも素晴らしいですけど、なずなに対する新房監督の愛が深すぎて。とにかく僕は完全になずな推しなので(笑)、皆さんもぜひ、なずなに注目していただけたら。

https://news.walkerplus.com/article/118389/

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