破壊神ゴジラに命を吹き込んだ男の汗だく昭和史! CGにはない重みと妙味を感じさせる『怪獣人生』

日刊サイゾー

2017/8/14 18:00


 2017年8月7日、ゴジラ俳優が亡くなった。1954年に劇場公開された大ヒット映画『ゴジラ』で、怪獣ゴジラのぬいぐるみ役者(スーツアクター)を務めた中島春雄さんが88歳の生涯を終えた。14年に新書版が発売された中島さんの自伝『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』(洋泉社)を読むと、怪獣映画の金字塔となる第1作『ゴジラ』の撮影現場の熱気をありありと感じることができる。

「G作品」と表紙に書かれた奇妙な台本を、東宝撮影所で中島さんが渡されたのは25歳のとき。当時の東宝は所属俳優がおよそ200人いたが、スター級の「Aホーム」と大部屋俳優の「Bホーム」とに分かれていた。「Bホーム」はさらに2つに分かれ、東宝に入って5年目になる中島さんはエキストラや吹替え(スタント)もやるB2の役者だった。

戦争映画『太平洋の鷲』(53)で火だるまになる飛行兵を中島さんが演じたことから本多猪四郎監督に気に入られ、極秘に準備が進んでいた「G作品」の主演に抜擢された。特撮シーンを担当する円谷英二から「キツい仕事だけど、やれるかい?」と尋ねられるが、給料が安いB2の役者にとっては手当てが付くキツい仕事は大歓迎だった。しかも、中島さんは交際中だった奥さんとそろそろ身を固めようと思っていた矢先だった。かくして、中島さんは身長50mの大怪獣という設定のゴジラのぬいぐるみの中に入ることになる。

元祖ゴジラ俳優と呼ばれる中島さんだが、実はゴジラのぬいぐるみには先に入った俳優が存在した。仲間内からテッチャンと呼ばれた手塚勝巳という元プロ野球選手。当時41歳で、大部屋俳優の親分的存在だった。当初はプロ野球出身の体力自慢で年齢も上だったテッチャンが、国会議事堂の破壊シーンなどの目立つ場面が割り当てられたが、撮影が進むにつれて中島さんがゴジラの中に入る時間が増えていく。初期のゴジラのぬいぐるみは尋常ではないほどの重さで、100kgほどあったと言われている。また、一度入ればぬいぐるみの中はサウナ状態で、しかも素材はプラスチックのように固いゴムだったことから動かすことが非常に難しかった。最初のテストの段階でテッチャンが3メートルほど進んだ後に倒れて「とても無理だ!!」と声を荒げたのに対し、中島さんは体中から汗を吹き出しながらも「よーし、もういいよ」と声を掛けられるまで10メートルほど歩いてみせた。中島さんは学生時代に柔道を学び、戦時中は海軍で鍛えられていた。終戦後は食べていくために、どんな仕事でもやった。若くて、仕事を選り好みせず、またどうすれば怪獣らしい表現ができるか研究熱心だった中島さんは、次第にゴジラと一体化し、スーツアクターの第一人者となっていく。

ぬいぐるみに入ることの大変さを東宝の上層部に訴え、手当てのアップに成功するなど中島さんにとってもありがたい存在だったテッチャンだが、第2作『ゴジラの逆襲』(55)以降は中島さんがメインでゴジラに入るようになり、『モスラ対ゴジラ』(64)の頃にはテッチャンは中島さんのサポート要員に回るようになっていた。ゴジラのぬいぐるみに入った際の2人の微妙な温度差が、中島さんに「元祖ゴジラ俳優」の称号をもたらすことになった。テッチャンのその後消息については不明だ。有名無名を問わず、様々なキャストやスタッフが撮影所に現われては消えていった。大部屋俳優でありながら、ゴジラ役で主演を張り続けた中島さんは希有な存在だったと言えるだろう。

第1作『ゴジラ』で中島さんが入ったゴジラは、銀座和光の時計塔や勝どき橋を豪快に壊してみせた。第1作から第29作『シン・ゴジラ』(16)まで度々にわたって東京を壊滅状態に追い込んだゴジラだが、これまで一度も皇居を破壊したことはない。第1作『ゴジラ』では皇居を迂回するようなコースを辿っている。そのため、ゴジラ=太平洋戦争で散った戦没者たちの魂の集合体とする説が唱えられてきた。だが、実際問題として海軍に所属していた中島さんに、ミニチュアとはいえ皇居を破壊することができただろうか。ゴジラ役にプライドを持ち、上野動物園に通ってアジアゾウ、クマ、ハゲタカなどの動きを1日中観察し、ぬいぐるみの中で汗だくになりながら熱演を続ける中島さんに、本多監督も円谷英二もそんな演出プランが仮にあったとしても、口にはできなかったに違いない。

『ゴジラ』シリーズ以外にも、馬淵薫脚本の名作『空の大怪獣ラドン』(56)、『マタンゴ』(63)、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(66)などにも出演している中島さん。『怪獣人生』では「オヤジさん」と呼んで慕った円谷英二たちと過ごした撮影所での思い出を楽しげに語っている。本著の中で中島さんの言葉に怒りが滲むのは、70年に円谷英二が亡くなった翌年、東宝が大部屋俳優の一斉リストラを行なったとき。中島さんをはじめ希望者にはボウリング場など東宝の関連会社への再就職が斡旋されたが、社員スタッフは最初から役付きだったのに対し、大部屋俳優たちは平社員としての契約で、薄給を余儀なくされた。同じ映画をつくるために苦労を共にしてきた仲間なのに、社員と契約俳優とで差をつけられたことが中島さんは悔しかった。

でも、晩年の中島さんは大スター級の好待遇を受ける充実した時間を過ごすことになる。初代ゴジラのスーツアクターとして中島さんは海外でも名前を知られ、ハリウッド版『GODZILLA』(98)の公開以降はファンイベントで引っ張りだことなっていく。奥さんや娘さんと共に海外旅行を楽しみ、各地のファンからサイン攻め&握手攻めに逢った体験をにこやかに振り返っている。俳優としてスクリーンに自分の顔が映る機会は少なかったが、ゴジラと一体化したことで中島さんは伝説のスーツアクターとして映画史にその名を刻んだ。

中島さんが最後にゴジラを演じたのは、シリーズ第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(72)だった。『ゴジラ対ガイガン』のラストシーン、怪獣島へと引き揚げていくゴジラは手を挙げて咆哮してみせる。中島さんいわく「ゴジラはこれで終わり」という決め芝居だったそうだ。(文=長野辰次)

●『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』著/中島春雄 発行/洋泉社 定価/925円(税別)

当記事は日刊サイゾーの提供記事です。

あなたにおすすめ

ランキング

ランキングをもっとよむ

注目ニュース

注目記事をもっとよむ

あなたにおすすめ