美少年、バッタ、童話作家――「偏愛」に生きる“賢くない”者たちによる魅力的な3冊


好きなことをとことんやっていい、と言われて、どこまで突き詰められるだろうか。好奇心と熱情だけを信じて進むなんて、多くの者には恐ろしいことだ。しかしそこを越え、新しい世界を見つけた“偏愛家”3名の著書を紹介する。

■『セツ先生とミチカの勝手にごひいきスター』(長沢 節、石川 三千花/河出書房新社)

2017年は故・長沢節の生誕100周年に当たる。「長沢節」という人物を知らない人の中にも、彼の私塾「セツ・モードセミナー」出身者の名を知る人は多いだろう。女優・樹木希林、漫画家の安野モヨコや桜沢エリカ、「コム デ ギャルソン」の川久保玲、「ピンクハウス」の金子功――幅広いジャンルに、独自の存在感を示すクリエイターを多数輩出した「セツ・モードセミナー」。その創始者である長沢氏が生前に書いた映画評をまとめ、同校出身のイラストレーターであり、映画評論家でもある石川三千花が解説を加筆した本が、『セツ先生とミチカの勝手にごひいきスター』だ。

「美少年というのは、来年、再来年はたぶん美少年ではなくなっているのだ。そんな空しい美しさとして、なんとかけがえのない現在だろう」

――と、序文から熱量の高い本書は、映画評でありつつ、長沢氏がお気に入りの美青年&美少年スターの肉体を語る“偏愛レビュー”でもある。ダニエル・デイ=ルイス、デヴィッド・ボウイからレオナルド・ディカプリオまで、俳優ごとに章が分けられ、出演作品ごとに肩や指先、脚、骨格まで、肉体の細部に宿った美(もしくは醜さ)が、どのように堪能できるかが綴られる。

「手首の薄さ」「指先のとんがり」「足指の上品さ」「土踏まずの深さ」と、俳優の体について綴る長沢氏の視点はフェティッシュだが、「これは素晴らしい」「これは醜い」とばっさり斬る文章はカラッとして小気味よい。さらに、「足があまりにも美しいので、かわいそうな場面のはずが、楽しい場面に見えてしまうのをどうすることもできなかった」といった記述からは、長沢氏のチャーミングさが漏れ出ているようで、時に「太い短い下品な脚と腕!」などとけなしていても、不思議と嫌な後味を残さない。映画にはいろいろな楽しみ方があるが、長沢氏は、“俳優たちの、ひと時の美を閉じ込めた記録映像”として作品を味わい尽くし、その魅力を読者に伝えている。

加えて、章ごとに加筆された石川氏の解説も、まるで長沢氏が目の前にいるような語り口で同意したり反論したり、遠慮なくツッコミを入れつつ、さりげなく生前のエピソードを交えて、彼の独自の美意識を読者に教えてくれる。

本書は、単に面白い映画を知りたい人より、美しい青年&少年を堪能できる映画を見つけたい人向けの一冊といえるだろう。さらに、レビューを通して長沢氏独自の哲学・美学を自然と知ることができる「長沢節入門本」にもなっている。映画より俳優より、長沢節という人間を好きになってしまうかもしれない。

『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎 (著) /光文社文庫)

「なんということでしょう。生活のことをうっかり忘れていた。軽く取り返しのつかないところまで、私は人生を進めていた」

好きなことだけやって生きたいけど、大抵の大人は、食べるために社会でお金を稼がなければならない。「やりたいこと」と「稼ぐこと」を天秤にかけ、どうバランスをとっていくか迷う人は多いだろう。『バッタを倒しにアフリカへ』は、そんな迷いと正面から向き合った昆虫学者による、ノンフィクションエッセイだ。

バッタを愛し、「緑色の服を着て、全身でバッタと愛を語り合いたい」という情熱で昆虫学の博士号を取得したものの、バッタ研究では就職口が得られずに、いわゆる“ポスドク”状態になった前野氏。研究対象を需要のある昆虫に替えるという道もあったが、「それでもバッタを研究したい」という思いでアフリカ・モーリタリアに旅立ち、現地の研究者と共にバッタと向き合う日々が本書につづられている。

金もコネもない、現地の言葉も十分にしゃべれない、あるのは熱意だけ、という状態からフィールドワークで成果を上げるのは、想像よりも一筋縄ではいかない。初っ端から入国拒否に遭い、その後も「60年に1度の干ばつでバッタが発生しない」「30万かけて作った飼育ケージがすぐ壊れる」「その後再び別の飼育ケージが壊れてバッタが熱死する」など次々とトラブルが起き、貯金も底を尽きかける。同世代の研究者が成果を上げていく中で、将来に何の保障もなく、不安と困難の多い道のりを歩むことになるが、前野氏はその荒れ道を非常に楽しそうに進んでいくため、深刻さがまったく見えてこないところが、本書の突出した魅力だろう。

徐々に現地にも慣れ、臨機応変に研究地を替えながら研究の手応えを得ていく前野氏。研究資金のためにブログや著作活動を始め、自分の知名度を上げることで研究の重要性をプレゼンしていく。最終的には、研究実績を元に京都大学への就職が決めるという、まるでフィクションのような成功を見せるのだ。

「好きなことに人生を賭け、夢を追って成功する」と言葉にすると、一見、子どもたちのお手本になるような、美しく正しいことのように捉えられるが、現実に実行した前野氏の行動は、大多数の人にとってはリスクが高く、狂気にすら見えるものだ。成功しているからといって、気軽に薦められる選択肢ではないだろう。しかし、成功・失敗にかかわらず、「好きだから」という狂気を貫き通せた人々だけに見える世界がある。安全で、賢い道を選択することだけが正しいと考えがちな私たちの視界を開き、気づかせてくれる一冊だ。

■『ありのままのアンデルセン:ヨーロッパ独り旅を追う』(晶文社刊/著: マイケル・ブース,訳: 寺西のぶ子)

日本食の魅力をユーモアたっぷりに描き話題を呼んだ『英国一家、日本を食べる』(亜紀書房)の著者マイケル・ブース氏による『ありのままのアンデルセン:ヨーロッパ独り旅を追う』は、童話作家として世界的に知られるアンデルセンの知られざる魅力に憑かれた著者が、172年前のアンデルセンの一人旅を再現し、その素顔に迫ろうとする異色の旅行記だ。

結婚を機にデンマークで暮らすことになった著者は、語学学校を通して、アンデルセン作品『人魚姫』の魅力に触れる。原語であるデンマーク語で読んだ『人魚姫』は、英語で読んだ『人魚姫』とも、広く知られるディズニー作品とも違う、人間の弱さ、暗さ、エロティシズムを表現した作品だった。アンデルセンに惹かれた著者は、“人間アンデルセン”の実態をさらに深く知るために、残された自伝や旅行記を元に、できる限り同じルートをたどる旅を始める――。

ドイツ、イタリア、ギリシャ、オーストリアなど欧州各国を渡り歩き、その土地の風土や国民性の違いを記した旅行記でありながら、資料や現地取材に基づいて、アンデルセンの素顔を明らかにしていく評伝でもある本書。日記や書簡、多くの先行研究をもとに、貧しい家に生まれ育ち、自らの容姿にコンプレックスを持ち、有名人や貴族から称賛されることに人一倍飢えていたことを明らかにする。

さらに著者は、諸説あるアンデルセンの性的嗜好に関しても踏み込んでいく。プロポーズした女性への執着や、ラブレターにしか見えない男性への手紙から想像されるアンデルセンの心情を、まるで当時の彼を見ていたかのように細かに描写し、バイセクシュアル傾向であったと分析する著者。ほとんどの関係者が亡くなっている今、真実がわかることはないだろうが、執着とも呼べる著者の丁寧な読み込みに、舌を巻く読者も多いだろう。

本書では、資料からわかるアンデルセンの見栄っぱりな一面や、俗物的な一面も、淡々と明らかにされていく。欠点ばかりのようでも、著者をはじめとした多くの研究者を惹きつけて離さないのは、世界的に知られた童話群に、彼が悩み向き合った自身のそうした欠点や悩みが昇華されていることに気づかされるからだろう。ぜひ本書を通して、アンデルセンの素顔の一部に触れてみてほしい。
(保田夏子)

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