堕胎後、無計画に妊娠・結婚した夫とかみあわず3年で離婚【別れた夫にわが子を会わせる?】


わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第3回 中村珠美さん(仮名、40歳)前編

「いろいろあって3.11の後、こっちに来ました。昨年、8 年ぶりにようやく、(元夫との)やりとりを再開したばかりです」

中村珠美さんは中学1年生の息子とともに現在、大阪に住んでいる。彼女が当時小学校入学を間近に控えた息子を連れて、知り合いのいない大阪に移住したのは、福島第一原子力発電所事故の後、東日本に放射性物質が拡散したのを受けてのことだ。当時の中村さんはシングルマザーとなって3年がたっていたころだ。移住後の生活はどうなのか? そもそも、なぜ別れたのか? いろいろと話を伺ってみた。

■新卒で就職した会社のボスとの間の子を堕胎、その後結婚

――結婚に至るまでは、どのように過ごされていたんですか?

「都内の大学に通っている間に編集プロダクションでアルバイトを始め、卒業後、そのままそこに就職しました。いざ働きだすと、ものすごく過酷でした。いかに寝ないでタフにいられるか――みたいな感じ。大衆的な男性誌のコラムを書いたり、アシスタント的な仕事をしたり。とにかく下っ端で、こき使われてました。そこには7年在籍して辞めました。というのも、妊娠したからです。相手に『子どもはいらない』と言われたんですが、私、それ以前に堕ろしたことがあって、そのことにずっと罪悪感を持っていたんです」

――堕胎されたときのお相手は?

「その編プロの代表です。年齢が20歳ぐらい上の、絵に描いたような仕事人間でワーカホリック。部下にはすごく厳しかった。彼がいるとみんな緊張して、シーンとしてるんです。自分の原稿を破られたり、ほかのスタッフが『無能』と罵倒されたりして、身がすくむ思いをするということは何度もありました。だから、付き合ってるときから、あまり喧嘩するっていうのがなくて、関係が全然対等ではなかったんです」

――なぜ、年上のボスとお付き合いをすることになったのですか?

「入社時、私以外ボスも含めて4人の男性社員がおり、女性は私1人だけでした。ほかの男性社員と付き合う可能性があっても、こいつだけはないと思っていたのですが(苦笑)、入社して2カ月くらいで、黙って会社を辞めようと思っていたのを、台湾取材に連れていってくれるというので踏みとどまり、取材が案外楽しかったので、もう少し仕事を続けてみようと思ったのでした。その後、またすぐタイに連れていってくれるということになり、取材だと思ってフィルムをたくさん持っていったのですが、実は単なる旅行で、そこでなんだかそういう関係になってしまい……というわけです。相手が上司だから断れなかったというわけではなく、私が冒険好きなゆえ、“こういうおやじと付き合ったら、人生の勉強になるだろう”という軽い気持ちでした」

――その後、妊娠・出産されたんですよね。そのときのお相手は、別の方ですか?

「いいえ、同じ相手です。妊娠がわかったのを機に、しぶしぶ結婚しました。生まれた子は男の子でした」

――元旦那さんは、女性関係が派手だったりしたんですか?

「スナックの女の子と浮気していたことがありました。『ほかに子どもはいない』と言っているけど、どうでしょうね。ワーカホリックでお金も結構持っていて、お金を持っていないと不安というのかな、持っていることにステータスを見いだしている、そんな人です」

――なぜ仲が悪くなったんですか?

「子どもができてもワーカホリックという彼のスタイルが変わらなかったからです。ずっと仕事をしていて、家には寝に帰ってくるだけ。私があまりにも当てにしなかったから、というのもありますが、育児にしたって協力的ではない。たまに公園に遊びに行ったりとか、あとはお風呂に入れてくれたりしたぐらい。それも週に1回、あるかないかですよ。

一方、私は180度、生活を変えざるを得なかった。家に1人でこもって育児に追われる毎日。睡眠不足だし、授乳やおむつ替えもしなきゃいけない。子どもの生後7~8カ月のころ、『夜泣きがひどくて、私が全然眠れないの』と彼に話したことがあるんです。そしたら彼、なんて言ったと思います? 『大丈夫大丈夫、(俺は)そんなの全然聞こえなかったから大丈夫だよ。眠れたから』って言ったんです。

彼は仕事、私は育児と、ずっと平行線でした。関係がものすごく険悪になったり――というのはなかったんですけど、かみ合わない夫との日々の生活に疲れ果て、相手への情がなくなっていきました。それで、『離婚したい』と切り出したら、『お金ないのにどうするの? できないでしょ、子育て』って言われ、何も言い返せなかったんです」

――仕事には復帰されたんですか?

「子どもが1歳のとき、フリーライターとして仕事を再開しました。本当はもっと早く子どもを保育園に入れたかったんですが、3月生まれなので、そうはいきませんでした。都内だと、翌年の4月まで待たなければ入れなかったんです。保活を事前に勉強している人は、計算して5月とかに産んで、早いうちから働けるんですけどね。まったく無計画な妊娠だったので」

――元旦那さんと別れたのはいつですか?

「子どもが3歳のときです。『家を出る』と彼に予告して、息子と2人、すぐ近くに引っ越しました。4月末ごろです。別居親がよく言う“連れ去り”とは違います。追い出されるような感じ。『俺の家にいつまでいるんだ』って言われましたから。北関東の実家に移住しなかったのは、そこだと東京から遠くなり、取材や打ち合わせが難しくなるからです。近所だと、保育園を替わらなくていいですし」

――離婚を決断した理由は何ですか?

「子どもが3歳にもなると、だいぶ手がかからなくなるし、体が強くなって病気で休むことが少なくなる。だったら保育園に預ける時間をもっと延長して、自分1人で働いて育ててっていう一人二役でも大丈夫かなと思ったんです。それとあともうひとつは、とにかく彼との生活が苦しかったからです。子育てを私1人が全面的に請け負うことで、それ以外の仕事や自分のやりたいことなどは何もできない。なのに、なんのバックアップもない。その理由を、すべて彼のせいだと、当時思い込んでいたんです。だから『別れたら、子どもをこんな奴に会わせたくない』って思っていました」

――別れるに当たっての条件は、何か決めていたんですか?

「何もやってなくて、後から離婚後の紛争を起こしたんですよ(苦笑)。養育費を求める調停。お金たくさん持ってるんだから、養育費はたくさん払うべきだと思っていたのに、月いくらとか具体的な条件を考えることすらしなかった。準備もせず、条件も考えなかった。とにかく私は浅はかでした(苦笑)」

――元旦那さんは条件を出してきたんですか?

「『小学校に上がるまでは養育費月5万円、面会は、そのときそのときの双方の都合を聞いて行う。慰謝料はなし』みたいな感じで、細かい条件を提示してきましたね」

――その条件に対して、どんな反応をしたんですか?

「彼が提案した条件を『はい、それでいいです』と私がすべてのんだので、調停は1日で終わりました。それ以上、彼と揉めたくないし、関わりたくなかったんです。日本一、弁護士を輩出している大学の法学部を出ていますから、闘っても勝てるはずがないんですよ」

彼女と元旦那さんとの関係は、最後の最後まで対等ではなかったのだ。

(後編へつづく)

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