元『PINKY』カリスマモデル(40歳)、「劣等感があった」当時の苦悩と、乗り越えられたワケ

女子SPA!

 2004年に雑誌『PINKY』で専属モデルとしてデビューした木下ココさん(@cocot_chan・40歳)。当時、佐々木希さん、鈴木えみさんと並んで誌面を飾り、“かわいい系モデル”として読者から絶大な人気を誇っていました。

今回は40歳という節目を迎え、2023年1月には“再スタート”として所属事務所を移籍した木下さんをインタビュー。

ダンサーとしても活動し、現在はSNSを通じた美容・ヘルスケア情報の発信にも力を入れている木下さんに、これまでの半生や、当時の苦悩について語ってもらいました。

◆「やってみたい!」の一心でモデルデビュー

――モデルデビューのきっかけは何ですか?

木下:大学時代、ちょうど就職活動の時期だった2004年にスカウトしていただきました。それまでも何度かスカウトしていただくことはあったんですが、学業優先という家庭の方針があったので、踏み切れずにいました。

当時はモデルになりたいという願望はありませんでしたが、もともとファッションが好きで、チャレンジしてみたい気持ちが湧きました。

――モデルデビューすることは家族には伝えていなかったそうですが、かなり勇気が必要だったのでは?

木下:好奇心のほうが強くて、うまくいかなければ辞めればいいと気持ちでしたね。当時若かったですし、後先を考えていなかったというか。モデルがどういう世界なのかわかっていなかったから、恐怖心もなく飛び込めたのかなと今は思います。この世界に入ってからは、想像していたことと違ったり、新しく学ぶことが多かったですね。

◆モデル活動当初は「私だけ研修生のような感覚」

――モデルを始めてみて、どうでしたか?

木下:『PINKY』は若くからモデルをやっている子たちがたくさんいたんですよ。年齢は近いのに積んできたキャリアが違うので、みんな仕事に対しての向き合い方がしっかりしていました。私は大人たちがいるなかに一人学生がいるような、そんなプレッシャーはありました。

――ギャップを感じていたことも?

木下:モデルは華やかな部分だけが目立ちますし、それに対して憧れを抱く人は多いと思います。しかし、実際は厳しい世界だと実感しました。しっかり切り替えないとそれが撮影で表れてしまうので、オンとオフの自己管理は大変でした。

あとは、ポージングに集中しようとすると表情がこわばってしまったり……。表情とポージングが連動できるまでに時間がかかって、現場では私だけ研修生のような感覚で過ごしていましたね。

◆「隠れたい」という気持ちを抱くこともあった

――想像以上に厳しい世界だと感じたのですね。辞めたいと思うことはありましたか?

木下:辞めたいというか、逃げたいという気持ちはありました。モデル業の特殊な部分は、自分の見た目に対しての評価を受けなければならないことです。生まれもったものに対してもともと自信のある人だったら、評価を跳ね返す力があるかもしれないけど、当時の私はまだそこに到達できなくて。

変えなきゃいけないという焦りとすぐに変われないジレンマから、隠れたいという気持ちを抱くこともありました。

ー一キラキラして見えるモデルさんでも、自信をなくすことってあるんですね。

木下:今もファンの方からも自信がもてないとか、自己肯定感が低いという相談をいただくんですけど、100%自信をもって自己肯定感を高めるってすごく難しいことだと感じます。日本では自分が“オンリーワン”ではなく、ある程度みんなと同じであることがいいとされる傾向にあり。そういう教育を受けてきたので芸能界に入ると、自分というものをPRするときに苦手意識をもってしまうことは多いのかなと。

そういったなかで、たまたま仕事をいただいて、それをこなす。自分は自分のことを好きになれないのに、「いいね」と言ってくれる人がいて、また心の中に1つギャップが生まれてしまうんです。

◆誰も“自信のない私”は求めていないと気づいた

――自分に自信がもてないとき、どのように意識を変えようとしたのでしょうか?

木下:あるファッションショーに出たとき、そこにいた何万人ものお客さんから声援をいただいたのですが、私が思う自分と、その大きな声援とのギャップを感じてしまいました。ランウェイを歩く他のモデルさんやポージングするモデルさんをみて、誰も“自信のない私”は求めていないと気づいたんです。

自信なさげにモジモジしていたらお客さんにも失礼なので、自信がなかったとしても表にいるときは、みんなが見たいと思ってくれている姿でいたいと感じました。

――“かわいい系モデル”としてのイメージを求められることも多かったと思いますが、それに対してはどう思っていましたか?

木下:これも前の質問につながると思っていて、モデルを始める前はトレンドの服が着られて、自分が好きな洋服を着て、かわいく撮ってもらえると、都合のいいことだけを考えていました。

初めは自分が着る系統ではない衣装だったので、当初は確かに葛藤がありました。でも、仕事への理解を深めていくうちに、モデルは本来、服の作り手や編集部の方たちの意向をキャッチアップしたうえで、最後のスパイスとして自分を使って表現する仕事だと考えるようになりました。

◆「自分のことがブサイクで仕方なく感じて…」劣等感を抱いていた頃

――モデル活動をしていくなかで、印象的な出来事はありましたか?

木下:ファンの方たちなど、自分の存在を認めてくれたたと感じられる瞬間は嬉しいです。たとえば、タイアップで宣伝していた洋服が完売したり、『PINKY』時代だと、コーデのランキングが読者投票で上位に入ったり。よくも悪くも反応をもらえるので、メンタルは鍛えられた気がします。

――数字で成果が出ることで、心が折れてしまう人もいそうです。

木下:メンタルの部分を整えなければ、この仕事は続けられないと思います。もちろん努力でなんでも乗り越えていくモデルさんもいますが、努力しても少しずつしか変わらない部分もあるので、いかにメンタルを保つかのほうが重要なのかもしれません。

たとえば、顔を小さくするためにリンパを流したり、きれいにポージングをとるためには体が柔らかくなければいけないと思いストレッチしたり……。オフのときにいかにケアするかが成果につながると思うので、それが継続できるメンタルの強さを持つモデルさんは多いと思います。

――木下さんはどのような方法でメンタルを保っているのでしょうか?

木下:私の場合は、「運動」が大きかったです。モデルの仕事を始めた当初、体重制限をするようにいわれていました。そのとき、自分のことがブサイクで仕方なく感じていて、ほかのモデルさんと比べるたびに劣等感が高まっていました。逃げたいと思う弱い自分がいて、そこでダイエットと向き合うのではなく、安易なやり方で体重を落とそうとしていたのです。

撮影期間はまったく食べず、その期間が終わるとリバウンドしての繰り返しでした。体調を壊したり、同時にメンタルのバランスも崩れたりするなかで、ライフスタイルに運動を取り入れるやり方を見つけて改善していくことができたんです。

◆『PINKY』卒業後は仕事の幅を大きく広げた

――『PINKY』時代から、その後のキャリアはどう変化していきましたか?

木下:『PINKY』時代は専属モデルだったので、ほかの雑誌に出られないという縛りがありました。ですが、基本的なモデルとしての部分を学ばせてもらえました。そこから『GLAMOROUS』『sweet』『美人百花』をメインに、ストリート系からきれい系の雑誌まで、いろんなテイストのお仕事をやらせてもらっていました。

――かなり仕事の幅が広がったのでは?

木下:すごく広がりました。ギャル系雑誌のオファーをいただいたときも、私はやってみたいと思いましたし、幅を広げるという意味では『PINKY』卒業後もチャレンジばかりでした。

――最近だとブランディングを気にする人も増えていますが、木下さんは系統を1つに絞らずにチャレンジしていたのですね。

木下:当時はSNSの時代ではなかったことも関係していると思います。自分でブランディングして露出することが今ほど簡単なことではなかったので、機会をいただけるときに露出することは、自分にとってのステップアップでもありました。人の手を借りて人に求められてこそ、自分が世に出られるという時代だったのかなと。

◆独身女性たちが希望を持てるような発信をしたい

――たしかに時代の差はありそうですね。木下さんはファンの方の期待にどのように答えようとしていますか?

木下:ファンの子たちがどう感じてくれているかはわからないですが、もし私のことを応援してくれる人がいるのなら、その人たちはどんな形であれ、私が露出することを望んでくれているのかなと。そういう人たちへの感謝の表し方というのも、私がいろんなところに露出することだと思っています。

――今後、木下さんがチャレンジしたいことは何かありますか?

木下:“再スタート”という意味を込めて、40歳というタイミングで事務所を移籍しました。40代って固定観念を持たれることがあると感じます。「いろんなことが落ち着いて、いろんなことを諦めて、今からスタートする年代ではない」と。やっぱりほとんどの人が結婚して母になっている年齢ではあるので、そういった意味では、私はその道からはみ出ているのかもしれません。

だから今後は私と同じような人たちが希望をもてるような発信をしていきたいと考えています。ライフスタイル、ファッション、美容など、歳を重ねると努力するものが増えてしまうので、自分の体験をシェアするなかで誰かの役に立ったり、頑張るきっかけになったりしたらいいなと思います。

<取材・文/Honoka Yamasaki>

【Honoka Yamasaki】

ライター、ダンサー、purple millennium運営。Instagram :@honoka_yamasaki

当記事は女子SPA!の提供記事です。

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