【インタビュー】歌謡新時代の恋人・新浜レオンが歌謡界に新しい風を吹かせる。

UtaTen

ビーイング初の演歌歌謡歌手として2019年5月にデビューを果たした新浜レオンは、デビュー直後から王子感のあるビジュアルと品のある佇まい、そして何よりも抜群の歌唱力で歌謡界の新星として活躍中。

今回は最新シングルのお話はもちろん、プロを目指していたほどの野球少年だった彼が歌謡歌手を目指した理由、デビューからここまでの道のりなどなど、たっぷりお届けします!!

小中高と野球一筋だった少年時代。


──新浜レオンさん、今日はよろしくお願いします!まずは今回UtaTen初登場ということで、その経歴からお伺いできればと思います。


新浜:はい、かしこまりました。どうぞよろしくお願いします!

──とはいえ、レオンさんのプロフィールに関してはオフィシャルサイトにも細かく、すごい細かく…

新浜:書いてありますよね(笑)。

──そうなんですよ(笑)。すでにレオンさんのプロフィールは丸裸的な感じではありますが、ご本人からここで少し詳しく伺っても良いですか?

新浜:はい、もちろんです! えっと、そこにある通り、僕は子どもの頃からずっと野球一筋でして。もうそれこそ卒業文集とか小中高どこを切り取っても必ず“プロ野球選手になりたい”、そして“高校では甲子園に出場したい”と書いていたくらい、その夢をとにかくずっと追っていて。
本当に最後の最後まで“プロ野球選手になりたい”という目標を持ってやっていました。
軽く遊びでやっていたわけではなく、ずっと僕の人生には野球しかないと思って生活してきたので、今でも野球に対する想いはすごく熱いですね。今はもっぱら見る方ですけど。
しかもちょうど今(取材時)、甲子園真っ只中なんで…

──あ、そうですね! やっぱり見ているとアツい気持ちが蘇ってきたりしますか?

新浜:します。そして改めて球児の姿に感動するというか。県予選から見ていると、甲子園という一つの目標に向かって、その先の甲子園優勝に向かって一途に真っ直ぐにこう、何か“純粋に白球を追いかけている姿”って、こんなにも感動をもらえたりとかエールを送りたくなる、そんなパワーがあるんだなっていうのを改めて感じます。僕も歌い手になった今でもやっぱりそういう真っ直ぐにとか一途にやるということはすごく大切にしている部分なんですけど、今再びその大切さを球児からいただいていますね。

──なんてピュアな想い! 素晴らしいことですね。ちなみに母校は今年どうだったんですか?

新浜:今年はですね、ベスト32でした。ベスト16にはなれなかったんですよ~。ちょっと悔しい結果になってしまったんですけど、実は一度だけ仕事と仕事の合間で母校の応援にも一瞬だったんですけど行かせてもらいまして。お世話になった監督とかいろんな方にもご挨拶できて、すごくまたそれも刺激をもらえて嬉しい時間になりました。

──道は違えども錦を飾るというか、そういうお気持ちもありますか?

新浜:そうですね。今でもすごく母校も応援してくださっていて、コンサートとかイベントにも関係者の方がけっこう来てくださったりしていて本当にありがたいですし、いつか恩返しをしたいなって思っています。現実はまだまだ恩をいただいてばっかりなんですけどね。
実は昨年、日ハム対楽天戦で始球式をやらせていただいた時も、母校に帰って練習させてもらったんです。おかげでいい感じで投げることができまして。まあ、目標にしていた最低120Kmというのは達成できなくて悔しいんですけども(笑)。でもやっぱり今でもそういった恩師の皆さんが支えてくれているというのは本当に嬉しいことだと思います。
あ! すみません! 僕、野球のことしか言っていませんよね…っ! 長々とすみません。
もう野球が、野球愛がすごすぎて…すみません。

──いえいえ(笑)。でもこんなに一気に語れちゃうぐらい、本当に野球一筋だったというのがすごく伝わりました。ちなみにこの野球一筋の頃にも歌手になりたいというのはなんとなくはあったんですか?

新浜:あー。でも今思うと、なんですけど、最終的には実は歌手になりたかったのかなって思います。やっぱり小さい頃からそう思っていた気がしていて。というのも僕は常に学級委員長であったりとか応援団長、そして野球部ではキャプテンとかをすることが多くて。

──あ、リーダーのようなみんなの中心的存在で。


新浜:それこそ出し物とか、文化祭とかそういうところでもとにかく目立つ立ち位置に自らいましたし、人を笑顔にすることがやっぱり小さい頃から好きだったんです。
何より父が演歌歌手ということもあってその姿をやはりずっと見ていたというのが大きいですね。実は小さい頃に父親が“伯方の塩”のコマーシャルをやっていたことがありまして。

──お父様は2代目“伯方の塩”の歌唱歌手さんですよね。

新浜:そうです。その時に家族編というのがあって、僕はその時3歳か4歳ぐらいだったんですけど、一緒にコマーシャルに出させてもらったりしたんですよ。他にも小さい頃に父のステージで『大きな古時計』を歌ったりとか、『マツケンサンバ』を父のバックダンサーとして踊ったりとか。野球をやりながらそういうこともやっていたので、何か憧れというかいつか父のようになりたいというものはずっと心に秘めていたのかもしれないです。

──とすると、歌手を目指す前にも歌のレッスンなどをしていたんですか?

新浜:いえ、まったくしてないです。でもとにかく野球では声を出すことが本当に大切なんです。そういった意味では、この今の僕の歌は野球で鍛えられたことが大きいですね。

──……それは絶対嘘ですよね(笑)。

新浜:いや、本当ですよ!(笑) 本当にそうだと思っていて。僕は大きい声を出すことに小さい頃からすごく自信があるんです。その声を評価してもらって、ポジションもキャッチャーに最終的になったくらいなので。

──そうなんですか!? そんなことあるんですね、肩が強いとかじゃなくて。

新浜:じゃなくて。実はもともとピッチャーとか内野、ショートとかをずっとやっていて、高校まで唯一やったことないポジションがキャッチャーだったんですよ。
だけど高校2年の時に、ちょっと何度かミスをしてしまって、「お前内野クビだ!!」みたいな感じになったんです。でもそこからコーチがですね、救いの手を差し伸べてくれて、「ちょっとお前一回キャッチャーいってみろ」っていうことを言われて。でもそのキャッチャーになった理由がたぶん推測なんですけど、僕の声が大きいからなんですよ。

──ほんとですか?(笑)

新浜:本当に、本当ですよ。そういった意味ではもう本当に声でチームを引っ張っていたということもありますし、外野までずっと声を大きく通すくらいの声を毎日出していた、という意味では野球は大きかったのかなと思うんです。と、思い返してみても歌に関することはそれくらいしかしてなくて、歌うための技術みたいなところはもう一切やってないですね。

──ではもう声量以外の部分、なんなら声量も含めてすべて天然というか天性のもの?

新浜:そうなるのかもしれません。もちろん高校野球に徹して、その後甲子園の夢、プロ野球選手への夢に敗れてからは、歌のレッスンもさせていただくようにはなりました。
父のかばん持ちからスタートして、そこから父の歌を通じてレコーディングを見学させてもらったりとか、バックコーラスとか前歌もやらせていただいてその時に改めて父からレッスンしてもらったりとか。あとは父の関係者の方に指導してもらったりとかもあったんですけど、それまでというのは本当に聴いていただけですね。でもやっぱりこの聴いていたっていうのもすごく大きいのかなと思います。車に乗ればいつも演歌が流れて、テレビでもとにかく演歌歌謡番組が当たり前のように流れていたので、それを自分が歌わずとも、耳でずっと聴いていたし環境の中に常に音楽があったんです。

──なるほど。音楽というものが自然に自分の中に刷り込まれていた。

新浜:それはありましたね。音楽ももちろん好きでしたし。あとは本当に学生時代、プロ野球選手になりたいっていう想いは僕の中ですごく強かったんですけど、そのプロ野球選手になったら登場曲で父の歌をかけたいと思っていたんです。そうすることで、父も有名にすることができるんじゃないかということを思っていたので、それが小さい頃の密かな父に対しての恩返しの夢でもあったりしましたね。

憧れがいつしか確固たる目標へ。母の説得に要した4年の日々。


──いいお話です。野球一筋から歌手の道へというのはすぐに切り替えられたんですか?


新浜:そうですね、高校3年で甲子園に出られず野球を引退した直後から、父のかばん持ちをスタートさせました。でもその頃はまだちょっと軽い気持ちというか、いや当時の僕的には軽く考えていたわけではないんですけど、今よりはずっと歌手というものを簡単に考えていた様な気がします。でも、かばん持ちをはじめて、よりそばで父の姿を見ることで本当にそこでいろいろ思うことがありまして。それまで野球をやっていた自分からしたら、世界一歌がうまいのは父親だと思っていて。本当に歌を通じて人に感動を与えていることとか、僕や姉や弟を歌一筋で育ててくれたこととか、父って本当にすごいな、歌手っていい仕事だなと思っていたんです。本当に、“いや、もう歌手って最高でしょ!”という感じだったんですよ。だけどやっぱり父を手伝えば手伝うほど、見たことのない父の姿やその苦労が見えてきて…。

──今まで知らなかったお父様の一面が。

新浜:はい。ましてや父が…何て言うんでしょう“指導されている姿”というのは僕の、一息子としてすごく何か、見たくなかったというのが正直なところというか。本当に正直、悲しい部分もあったんですけど、その感情をも超えて感じる父の凄さというのもあって。それを僕らが知らなかったというくらい、苦労を家に持ち込まなかった父をやっぱりすごく尊敬しました。
それと同時に、一時は「あ~やっぱり歌手の道って難しいな、こんな簡単に言うんじゃなかったな」とか思う瞬間もあったんですけど、そこをも超えてやっぱり父に尊敬を抱いて、父のようになりたいと思ったので、そこで改めて家族の前で歌手になりたいと話しました。

──憧れから確固たる目標という感じに変化したんですね。ご家族の反応はどうだったんですか?

新浜:…それが、こんな素晴らしい仕事なんだからみんな喜んでくれるかなと思ったら、母に猛反対されまして(笑)。

──あ、お母様が。

新浜:そうなんです。今まで野球をやっていた時は、もう誰よりも朝早く起きて山盛りのお弁当を作ってくれたりとか、泥だらけのユニホームをいつもきれいに洗ってくれて、一番応援してくれていた母が。だからすごくびっくりしたんですよ。

母は、今まで自分がやることに対して否定って基本的にはしなかった人なんですね。なんですけど、僕が本気で心から歌手になりたいってぶつけた時に……それを言うのも僕としてはこう緊張の瞬間というか、一大決心!という感じだったのにも関わらず、それを言った途端に「ほんっとにやめなさい」と。なんでここまで、ちゃんと高校まで勉強してきたのに、何を言い出すのというような感じで、本当に顔を真っ青にして反対したんですよ。そこに僕はけっこう衝撃を受けて。でも、僕としても父の姿やいろんな面を見た上で覚悟を決めて言ったことなので、ここで引き下がるわけにはいかない。ならばもう母をどうにか説得するしかないって思ったんですね。

──きっとお母様はお父様の苦労をすぐそばで全部見ていらしたからこそなんでしょうね。

新浜:(大きくうなづく)そばで見ていて、この歌手の世界というのは本当に甘くないと誰よりも母が分かっているからこそなんですよね。僕も、そうやって今だからこそ母が反対したというのは分かるんです。けれども当時は本当に反対される理由が分からなくて、「なんでなんで?」っていう感じでした。それでいろいろと話し合って、とにかくまずは大学に行きなさいと。父も大学に行ったということもあるんですけど、その大学に行く4年間の中で、それでも歌手になりたいのであればその時にまた考えなさいという結論に至りまして。

で、大東文化大学というところに進学しました。そこからは自分の時間も増えたのでアルバイトもしながら、父のかばん持ちもしながらという感じで過ごしました。あとはありがたいことに地元のチバテレさんで父の出演の時にバックコーラスをやらせていただいたり、家族トークみたいな企画がきっかけでアシスタントのMCをやらないかというお話をいただいてやらせていただいたりもしていました。これは毎週月曜日の番組だったんですけど、そこでアシスタントのMCをやらせていただいたことはすっごく勉強になりましたね。

なにせ今まで僕の演歌歌謡の道には父しかいなかったんですけど、その番組では新曲のプロモーションをしにいろんな演歌歌謡の歌手の方が毎週いらっしゃるわけですから。
その中で新曲の心意気であったりとか、いわゆる演歌歌謡曲の魅力というものを本当にいろんな方から聞いて実体験することができて、すごく大きな力になりました。改めて、演歌歌謡曲って本当に素敵だなというのを知ることができましたね。

でも、そういうテレビ出演などがあっても、それでも母は頷かないんですよ、まだ。「じゃあ、よし! 歌手になりなさい」ではなくて、「どう最近、勉強は。公務員とかどうなの?」とか(笑)。

──なんとかして違う道を(笑)。


新浜:そうなんです! 野球をやっていたから「消防士とかそれこそ警察官とか、そういうのいいんじゃないの」とか。3年になると、「そろそろ就活でしょう」とか「インターンとか行ってるの」とか。何かもうそんな話になってくるんですよ。で、僕としてはそれを聞きつつ“いや、これはまずいな”と思うわけなんです。周りの友達も就活を始めていましたし…。

──もうこれは許し出ないまま大学生活が終わってしまうぞ、と。

新浜:なのでまず、何かひとつ自分としてアクションを起こさなくてはいけないと思ったんですよね。なんせ今まで父ありきというのは正直否めなかったんですよ。どこに行くにしてもやっぱり父という存在があって、「息子さんいま勉強中なんでしょ」っていう風なことでやらせていただいたことしかなかったので。それで何か自分でできないかなと思った時に、せっかく大学にも行かせてもらっているのでその大学を活かして何かないかなと探していたら、ミスターコンテストっていうのがあって。

──通われていた大学のコンテストですね。『ミスター大東コンテスト2017』。

新浜:はい(笑)。自分の顔がカッコいいとかっていうのはひとつも自信がなかったんですけど。ただ、演歌歌謡曲を歌える機会がここではある、と。

──そっちが目的だったんですか!?

新浜:そうなんですよ、ここだけの話。僕は自己PRコーナーがあるのを知っていたので、あ、これ、学生に演歌歌謡曲を聴かせられるチャンスだなと思ったんです。そこで応募して、森田公一とトップギャランさんの『青春時代』という曲を歌わせていただきました。で、父のディナーショーとかもそうなんですけど、演歌歌謡の歌手がけっこう会場を練り歩くのを見ていたので、これを学生のみんなにやってみようと。ステージでただ歌うだけじゃなくて、いきなり会場に降りていって学生に握手してみたらおもしろいんじゃないかなとかと思ってやったんですよ。そしたらそれがけっこう思いのほか本当にウケて、ありがたいことにグランプリをいただけたんです。

──ご自身の力でグランプリ受賞という目標を成し遂げた。

新浜:で、その結果を持って母に再度チャレンジをするんです。改めて、ここまで来てもやっぱり父に憧れて歌手になりたいという気持ちは変わらない、「僕は歌手になりたいです」ということを伝えたんですね。そしたら父も母も、「あ、そうか」って感じで何か少しずつ、そこで一気に全ていいよとはならなかったんですけれども、初めてちゃんと話を聞いてくれたような感じがあって。そこからは本当に各社にデモテープを持っていろいろと回りました。周りが就活をやっている同じ時期に、僕もある意味、就活のようにレコード会社にあたって。けれども、なかなかなかなか決まらず…。

──けっこうな数を回られたんですか?

新浜:そうですね。それこそ誰々のお弟子さんとか付き人さんとか、何かそういう話も含めたら、もうかなりいろいろとあたらせていただいて。父のレコード会社とかも含めてあたったんですけれども、なかなかうまくいかずで。そうこうする内に、大学4年生になってしまったんですよ。

──気持ち的にリミットが近づいてきてる感じに。

新浜:そうなんです。大学4年になってしまって、母だけではなくて学校からも「お前だけだぞ就職先決まってないの」とか学校からのプレッシャーもあったりして。「お前のせいで就職率が下がるんだけど」みたいな冗談半分でそんな話も出てきて…。そんな時、ある方からビーイングを紹介してもらったんです。

──おお、ついに!

新浜:いや、だけどビーイングって聞いた時は、演歌歌謡の人いないよな…っていうのは思いました。正直、僕みたいな演歌界しか知らない者は厳しいよなとは思いつつもデモテープを聴いていただいて。そしたらなんと、一回歌いに来てという話になりまして。
そしてもうなんとなんとビーイング初、演歌界としても初というところでレーベルまで立ち上げていただいてデビューさせていただけることになりまして! それで今に至る、という流れです。

最初のお客はハト3羽。そしてここからというタイミングでのコロナ禍。波乱の3年間を支えたのは…。


──まさに運命の出会いですね~。そしてデビューまでが長い道のりだったのに反して、プロフィールだけ見るとデビューからここまではすごく順調なんですよね。


新浜:いや、本当にありがたいことなんですけど、そういう風に「レオン君はデビューから順風満帆だよね」って言われることが本当に多いんです。でもですね、実はそんなこともなくてですね。
本当に一番最初にデビュー前にやったイベントは、ハト3羽しかいなかったんです。

──人じゃなくハト! それはさすがにネタですよね(笑)。

新浜:ネタじゃない、ネタじゃないんです! これ本当なんですよ(笑)。御徒町パンダ広場という場所が僕にとって初めてのフリーイベントで、そこで新浜レオンという名前でやったんですけど、もちろん誰も僕のことなんて知らないわけですよね。で、20分前ぐらい前にスタッフさんが来て、「ごめんね、ハト3羽しかお客さんいないわ」って話をされるわけですよ、本番前に。けど、もうきっとこれが現実だよなって。そりゃ当たり前かと思ってステージに出たら確かに、本当にハト3羽しかいなかったんです(笑)。でも音が鳴ったら少しずつ人が寄って来て下さって。とはいえ10人とか5人とか本当にそういった人数でしたけれども。

──その時ご覧になった方々は伝説の10人ですね。

新浜:でも一番最初のそういう状況から今でも応援してくださっている方がいらっしゃったりするのでご縁ってありがたいなと思います。だから本当に日々、そういうパンダ広場みたいなイベントをはじめ、地元の千葉成田山新勝寺さんでデビューイベントをやらせていただいたりと小さくも大きくもコツコツと全国各地を回らせていただいて、本当に直接皆さんと会うことで少しずつ少しずつ応援してくださる方が増えてきた感じなんです。そのおかげもあって、その年の「第61回日本レコード大賞」で新人賞もいただくことができて、「さぁ、改めてここからスタートだ!」……というときにこのコロナ禍にぶつかってしまうんです。

──あー、まさにこれから!というタイミングで…。

新浜:そうなんですよ…。本当にレコ大の新人賞をいただいてから、ありがたいことに全国からいろいろなイベントや番組にお呼びいただいて、年明けからもう全国のイベントで年内のスケジュールもけっこう埋まってたりとかしていたんです。けれどもコロナ禍でパタッと全てが中止延期になってしまって。正直、僕としてはここからがいわゆる自分のスタートだと思っていた部分があったので、その時はもう「どうしよう、どうしよう」っていう不安な日々が続いたんです。

けれどもやっぱりその時に僕が長年やって染み付いていた“野球魂”みたいなものがムクムクと起き上がってきて。もうこうなったら下向いてても引きこもっていてもしょうがない、逆に言えばこのコロナ禍はいつかは終わる。そうしてみんなが一斉にヨーイドンで再スタートした時に、ここでどう過ごすかですごく差が出るんじゃないかと思ったんです。

──イベントや活動がしづらい時期だからこそ、自分が何をするかで差が出る、ということですね。

新浜:はい。しようと思えば休みにもできるし、逆を言えばみんなが休んでいる時だからこそチャンスだと思うこともできる。だから僕はこの時期に改めて腹式呼吸であったり、滑舌とか自分の歌を見つめ直してリモートのレッスンをしていただいたりとか、できる限りのところで徹底して準備に励みました。あと、歌はもちろんなんですけど、ギターであったり、ピアノそしてダンスとか、今年からはドラムにも挑戦したりとか。芸能に関わるもの、ステージに役立ちそうなものは全部やってみて、本当に真摯に自分と向き合ってこの時期を過ごして来たつもりです。その一方で活動についても配信で無観客コンサートやイベントをしたり、インターネットサイン会をしたりとやれることは全部やっていきました。

──ピンチをチャンスに変えるために。確かにその辺は野球魂が活きている様な気がします。


新浜:僕の母校である千葉英和の野球部が、“今できる100%”っていうモットーでずっとやっていたので、それは今も変わらず、常に今できる100%を尽くせるよう日々活動したいと思っていますし、そうやってやれることを常にやってきて今の僕があると思ってます。じっとしているのが性に合わないっていうのもあるんですけどね(笑)。

──そう考えると今回のシングルは本当に久しぶりに、リリースイベントなどができるシングルということになりますね。

新浜:そうなんです! デビューシングルではもう本当にありがたくも毎日、全国各地へ、千葉をはじめ全国各地へ行って歌わせていただいていたので、またそれができるかと思うと本当に嬉しいです。僕にとってはやっぱりこの『ジェラシー ~運命にKissをしよう~』から、本当にやっと改めてスタートだっていう気持ちですね。

──そんな今回のシングル『ジェラシー ~運命にKissをしよう~』はまず配信、そして次にDVDシングルとして発売されたということですが。

新浜:そうなんです! これが、演歌歌謡ではほとんどない形らしいんですね。僕としてもやはり演歌歌謡で育った分、新曲発売と聞いたらやっぱりCD盤として最初に発売することが普通だと思っていたんですけど、今回はその形ではまったくなく、まずは5月に配信シングルとして配信だけで発売で、7月1日にDVDシングル、最後にCD発売ということで。
あの…正直僕としては「あの、これ大丈夫ですかね? 本当に発売っていう形になりますか?」っていう(笑)。

──あー、わかります。サブスクや音楽配信アプリの普及で、配信でのリリースはいまや普通のこととはいえ、CDじゃなくていいの?って最初は思いますよね。

新浜:僕、本当にそういうのに疎いんですよ…。だからそういう売り方があるということを全く知らなかったんで、すごく不安があったんです。でも、先ほどおっしゃったように「J-POPではけっこう普通だから」って言われて、そうなのか~って、ある意味衝撃ですよね。でも、こういうことができるのもやはりビーイングならではだなと思いますし、僕は演歌歌謡曲でデビューしたんですけど、演歌歌謡の活動の枠にとらわれない活動をできるのがやっぱりビーイングからデビューできた強みだとも思っているので、こういったことはどんどん挑戦していきたいと思ってます。

それこそ“演歌歌謡界初”っていうものにもどんどんチャレンジしていきたいなと思っていて。
例えばサンリオさんとコラボさせていただいて、『れおすけ』っていうキャラクターを作っていただいたりとか、サンリオさんのテーマパークのピューロランドでイベントをさせていただいたりですとか。

──大分のハーモニーランドでもイベントされたんですよね?

新浜:そうなんですよ。ああいう場所で演歌歌謡曲が流れているというのは、ある意味すごく違和感があると思うんですけども、でもやっぱり歌がはじまると小さいお子さんとかもワーッと集まってきてくれるし、コール&レスポンスする曲もけっこう多いので一緒にご家族連れの方が見てくださって楽しんでくださったりもして。なんて言うんでしょう、「演歌だからここは無理」とかっていうのをどうにか打ち破る存在になりたいなという想いはすごく強いですね。そういった意味では今回の『ジェラシー』とかはそのきっかけになるんじゃないかなと心の中で思っていますね。

──レオンさんにとってもこの曲はまたひとつ新しい挑戦という形なんですね。

新浜:その気持ちはあります。楽曲や売り方ももちろんなんですが、振り付けも付いていたりして、そこもまた僕にとっては挑戦な部分で。

──MVを見ましたが、オープニングとかけっこうガッツリ踊ってらっしゃいますよね。見た時に、おおこれはアイドルだ!と。

新浜 わあ、ありがとうございます。それはですね、やっぱり僕の中で父への尊敬はあるんですけど、もうひとつ、西城秀樹さんへの憧れというのがすごく大きくて。

▲新浜レオン「ジェラシー ~運命にKissをしよう~」ミュージックビデオ(YouTube Ver.)【公式】

──DVDシングルのほうの特典映像にも西城秀樹さんメドレーが入っていますもんね。

新浜:はい、コットンクラブというところでやらせていただいた、『憧れの西城秀樹カバーメドレー』というのを入れさせていただきました。西城さんは本当に憧れで、今でこそ歌謡曲というジャンルになっていますけど当時のライブ映像とかを見ると、やはり小さいお子さんからお年寄りの皆さんまでみんなで「ヒデキー!」とかってすごくファンの方が熱狂的で、まさにアーティストでありアイドルなんですよね。僕はあの世界がすごく印象的で、だからこそ西城秀樹さんのようになりたいという想いがすごく強いんです。

秀樹さんのパフォーマンスって、歌うだけではなくて振り付けがあったりとか、何かそういったことが若い世代にも聴いてもらうきっかけになっているのかなとかというふうにも感じたので、積極的にそういう振りを取り入れるようにしています。けっして踊りが得意なわけではないんですけど(笑)。

──歌の最中も、見ている方が真似がしやすい振りがついてますよね。『ジェラシー』のサビの部分とかもそうですけど。

新浜:ありがとうございます。それもぜひ皆さんに一緒に踊ってほしいからこそなので、そういう風に感じていただけたのはすごく嬉しいです!

最新曲『ジェラシー ~運命にKissをしよう~』は切なさとポップがコラボレーションした幸せソング♪


──ではここで、UtaTenらしく、今回のシングルのタイトル曲でもある『ジェラシー ~運命にKissをしよう~』の歌詞にも触れていこうかと思うのですが。まずは今回の歌詞について全体的なところを教えていただけますか?


新浜:今回の曲は“幸せソング”という風に謳われているんですが、実は歌詞だけを見るとそう幸せソングでもなくてですね。

──確かに。<ジェラシー泣きながら>とか、<もっと違う夢 上書きしてみせる>とか、どちらかというと切なさや情念を感じさせます。

新浜:まさに! それはよく言われるところでもあります(笑)。この曲って幸せソングという割には歌詞がかなり切なくて哀愁があるというか大人っぽいんです。
この曲は松井五郎さんに書いていただんですけど、いわゆる詞先、歌詞が先にあがってきてそれに曲をつけるという形で作られたんですね。
で、実は今回のこのシングルは、最初バラードでいこうと思うってスタッフさんからも話があってたんです。ずっとけっこうアップテンポな曲が続いていたので、もう4枚目だし、ちょっと大人っぽい魅力もというところで、次はバラードだよってお話で、松井さんにお願いして詞が来たんですね。で、歌詞を見た時には「うわー、大人っぽいなカッコいいな」なんて言ったんですけど、作曲の長戸さんが曲をつけてくれたら幸せソングになっていて(笑)。

──あれ? と(笑)。

新浜:でも、でもですね! 僕、長戸さんとも今回初めてお仕事させていただくので、この作品を作る前にお話しさせていただいて、僕の生い立ちから「何をやってたの?」「野球やってたんです」とか、「好きな食べ物は?」とか本当にそういうたわいもない話をたくさん聞いていただいたんですよ。で、そんな中で自分に合う曲をっていうところでこの曲をくださっていて。この切ない、そして大人っぽい詞ではあるんですけれども、やはり僕の中でもモットーとしているみんなの希望であったりとかみんなの太陽でいたいみたいな、すごく僕が大切にしてるその部分を汲み取ってこの曲を作ってくださったんです。

しかもこの<ジェラシー>ってヤキモチとか嫉妬とかで連想されると思うんですけど、すなわちそれも含めて僕の中では“憧れ”だと思って。誰しも生活している中であるじゃないですか、恋愛でもなくて、あの人格好いいな自分は負けてるなとか、何か生活する中でそういう気持ちが芽生えることってあると思うんですね。でもそれを言葉に出すのではなくて、ちょっと内に秘めて“絶対に上書きしてやろう”というような意味を込めて、このジェラシーというのになっているので、ただ恋のヤキモチという意味ではなく何かそれが前向きなメッセージとして伝わればいいなと思ってます。

──曲はポップだけれども歌詞が切ない感じなのはそういう理由なんですね。

新浜:そうなんです。なのでまさにさっきちょうど言っていただきましたけれど、僕としてもこの歌詞の<上書きしてみせる>というのは、すごく大切にしている歌詞のポイントですね。
やはり今日より明日、明日より明後日みたいな、本当に常に明るい未来でいたいという想いもあるので、悔しい思いを糧に常に昨日を超えていってみせるっていうメッセージをお届けできるような気がして、この部分はすごく僕の想いとぴったりで気に入っています。
なのでこの部分は歌っていてもすごく気合が入る部分でもあります。ぜひ聴いていただきたいです。

これからも“がんばレオン”でどんどんチャレンジしていきたい!


──演歌歌謡界としてたくさん新しいことを試みてらっしゃるレオンさんなんですが、今後の豊富を込めて、読んでいる方に最後にメッセージをお願いいたします!

新浜:今、まだコロナ禍で大変な状況が続いてはいますが、僕の歌を通じて、この『ジェラシー』を通じて皆さんに笑顔であったり希望を、そして“幸せ、あふレオン”がたくさんお届けできるように“がんば、レオン”でいきたいと思います。

──はははっ! そんな決まり文句が(笑)。

新浜:すみません(笑)。ぜひ、これからもよろしくお願い致します! これからもたくさん挑戦して、たくさん精進して皆様に良い歌をお届けできるようにがんばります。

──あ、そこは“がんばレオン”じゃないんですね(笑)。でも、本当にレオンさんは演歌歌謡界に新しい風を吹かせられる存在だと思います。実はこのUtaTenが運営しているチェキチャ(1対1のオンライン特典会)も演歌歌謡界ではレオンさんが初となるらしいですよ。

新浜:本当ですか!? それはうれしいですね~。こんな機会をいただいて本当に嬉しく思います。
僕、ファンの方もすごく幅が広くて、今はイベントとかでもけっこうご家族連れの方が多かったりするんです。小さいお子さんとお母さんと、そしてそのお母さんのお母さん。しかもきっかけはお母さんのお母さんがテレビで見て、とか。なので、配信イベントなどをやると「娘にやり方を聞いて見ました」なんてお話もよく聞くので、それもすごく嬉しいなと思ってるんです。これからもどんどんこの業界に風を吹かせられるように、がんばレオン!します!!

──期待しております! 本日はどうもありがとうございました。

新浜:こちらこそ、本当にありがとうございました!



TEXT 川畑貴美代(マイリブズ)
PHOTO Kei Sakuhara

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当記事はUtaTenの提供記事です。

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