今こそ見直したい! 細田守『サマーウォーズ』が描いた〈家族〉と〈インターネット〉

2月27日(日)の19時からBS12トゥエルビ『日曜アニメ劇場』で、アニメーション映画監督・細田守の作品『サマーウォーズ』が放送される。

本作は、2009年8月に劇場公開された、細田監督の7本目(短編/再上映含む)の劇場作品。
2006年『時をかける少女』で一躍世間の注目を集めた細田監督が、アニメーション映画監督として新たな一歩を踏み出した記念すべき作品であり、2021年の最新作『竜とそばかすの姫』にまで至る ”夏の細田映画” のスタート地点に位置づけられる。

>>>【画像】『サマーウォーズ』の場面カット(写真8点)

ある夏休みの日、数学が取り柄の内気な高校生・健二は、憧れの先輩・夏希から「婚約者のフリをして一緒に田舎に帰る」という ”バイト” に誘われる。
待っていたのは、地方の旧家の大家族・陣内家。
90歳の誕生日を迎える曽祖母を筆頭とした勢揃いした親戚一同と対面し、戸惑いつつも、健二は夏希とともに過ごすひと夏の経験に心をときめかしたりもする。
だがその夜、健二の携帯に数字が羅列された謎のメールが届き、それが数学の問題だと思った健二は、回答を返信する。
そのメールは、インターネット上の仮想世界〈OZ(オズ)〉に起こりつつあるトラブルと関係していた……。
世界中の人々が集う〈OZ〉を巻き込む事件、それはやがて現実世界にも波及し、ついには世界が滅亡の危機にーー!?
そんな未曾有の事態に健二は、陣内家の人々とともに立ち向かうことになる。

夏を舞台にしたボーイ・ミツ・ガール、インターネットの仮想空間に起きるトラブル、地方の大家族の騒々しくも温かい空気感、そして魅力的なキャラクターたちを描き出す巧みな作画の芝居。
細田監督らしい要素が詰め込まれた傑作と言えるこの『サマーウォーズ』だが、映画単体の魅力もさることながら、細田監督のフィルモグラフィーと照らし合わせることでより魅力的な作品として捉えることができる。

◎〈家族〉という ”大きな物語” ◎

そのひとつは〈家族〉という視点。
〈家族〉は本作以降、細田作品の重要なモチーフとなる。
次作『おおかみこどもの雨と雪』は、おおかみおとことの間に生まれた2人の子供を育てることになった女性を描き、〈母と子〉の関係がメインテーマとなった。
続く『バケモノの子』では、バケモノ界で育てられた人間の男の子の物語を通して、〈父と子〉の関係が描かれた。
そして『未来のミライ』では、妹が生まれた5歳の男の子を中心に、いわば ”現代的な家族” の在り方が、子供の目を通して問われた。
その出発点である『サマーウォーズ』は、旧来の日本的大家族を都会の少年が体験していくという物語という側面を持っている。
その変遷には、細田監督自身が実生活で体験したできごと(結婚、ご子息の誕生、子育て……)と、そこから得た細田監督自身の実感が反映されている面もあるようだ。

思春期を過ぎて一度は〈家族〉から離れて独り立ちし、他人と出会って結婚し、新たな家族の一員となり、自らが親になることであらためて親子や家族について見つめ直し……という、多くの人が体験する ”大きな物語” が細田作品のフィルモグラフィー全体を貫いているとも言える。
そうした ”大きな物語” の出発点として『サマーウォーズ』を観ることできっと、細田作品の新しい面白さに気づけるだろう。
陣内家の一癖も二癖もある親戚たちに振り回され、余所者として警戒されるかと思えば、無遠慮に距離を詰めてくるという大家族特有の空気感。
アニメーションで巧みにデフォルメされつつどこか生々しくもあるその描写は楽しく、本作の大きな魅力になっている。
そして、それに戸惑いつつ徐々に馴染んでいく健二の姿が表現するのは、思春期を経てあらためて体験する〈家族〉との出会いなのだ。

(C)2009 SUMMERWARS FILM PARTNERS

◎インターネットのある世界◎

もうひとつの重要なモチーフは〈インターネット〉だ。
先にも書いたように、インターネット上の仮想空間〈OZ〉に起きるトラブルが現実に波及し、世界を巻き込む危機が引き起こされるーーというのが『サマーウォーズ』のストーリーの縦軸。
そして健二を筆頭とした人々は、その事態に立ち向かうためにやはり、インターネットを活用する。

本作公開当時から指摘されていることだが、この『サマーウォーズ』の展開は細田監督が2000年に監督した『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』とよく似ている。
ある部分では、『僕らのウォーゲーム!』を時代に合わせて再解釈したのが『サマーウォーズ』と言ってもいいだろう。
兄弟作ともいえる1999年の『劇場版デジモンアドベンチャー』と合わせて、いまだに〈傑作〉として多くのファンに支持されている『ぼくらのウォーゲーム!』は、ネットに接続されているコンピュータのデータを食い荒らす新種のデジモンに、主人公たちとその仲間のデジモンが立ち向かうというストーリー。

詳細はネタバレになるので省略するが、主人公たちが事件を解決するために採る手段には、『サマーウォーズ』との共通点が見受けられる。
だが、大きな違いは主人公たちが主に小学生だという点。
日本国内で低価格のインターネットプロバイダーが設立されるようになったのは1990年代終盤で、2000年といえばようやく一般家庭にもインターネットが普及し始めたばかりの時期。
当時、多くの人にはまだ馴染みのないツールだったインターネットを、小学生の子供たちが巧みに使いこなして危機を乗り越えるーーというのが『僕らのウォーゲーム!』のポイントだった。

それから10年近くを経た『サマーウォーズ』では、より広く世界中の老若男女がインターネットを通じてコミュニケーションを取り、情報を交換し、協力して事態に立ち向かっていく。
つまり『僕らのウォーゲーム!』の時よりさらに一般化・広大化したインターネットの世界を描いたのが『サマーウォーズ』であり、細田監督自身の目から見た ”インターネットの変化/歴史” がそのまま、フィルモグラフィーとも重なっているという面があるのだ。

その意味でこの系譜に連なるのが、言うまでもなく昨年、2021年公開の『竜とそばかすの姫』だ。
『僕らのウォーゲーム!』や『サマーウォーズ』でのインターネットは、まだポジティブなイメージが強く、現実の問題を解決する特別な ”魔法のツール” として描写されている面もあった。

だが『竜とそばかすの姫』で描かれたインターネットは、まさに今という時代を反映していた。
もはや特別なものではなく日常社会の一部としてあたりまえにそこにあり、そして人の心を反映するようにネガティブな面も目立つツール。
そんな ”インターネット” がもう、どうしようもなく存在する世界で、いかに現実を生きていくのか。
『竜とそばかすの姫』にはそんなテーマも込められていた。

今現在の視点で『サマーウォーズ』を観ると、どこか牧歌的でファンタジックに感じられるかもしれない。
だが、わずか10年程度前には、確かに人々はインターネットをこんなイメージ捉えていたし、本当はそうした ”ポジティブに世界を変える力” をインターネットは持っていたのかもしれない。
そして、その力はもしかしたら、まだ今も残っているのかもしれない。
『サマーウォーズ』を見返すことで、そんな”希望”を思い出すのもいいのではないだろうか。

最後に、細田監督作品は何より極上のエンタテインメントだ。
単に ”ハイクオリティ” というだけではなく、語られるべきストーリーや描かれるべきキャラクター、もっとも魅力的に伝えるためにデザインされた絵や動きによって構成された映像は、いつもアニメーションの楽しさを観る側に与えてくれる。
その上で、エンタテインメントの奥にさりげなく配置されたテーマやモチーフ、その変化を感じ取ることで、さらに別の楽しみをみつけることができる。
そんな細田作品の魅力を、今回放送される『サマーウォーズ』をきっかけにしてあらためて見つめ直してみるのはいかがだろうか。

(C)2009 SUMMERWARS FILM PARTNERS

当記事はアニメージュプラスの提供記事です。

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