【今週はこれを読め! エンタメ編】コロナ禍でのろう者の苦悩~丸山正樹『わたしのいないテーブルで』

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 手話通訳士という職業について"耳慣れない"と感じるのは、障害というものに対する関心の低さの表れかもしれない。私たちはよく「○○は周りにいないから(○○についてよく知らないのはしかたない)」という物言いをする。実際、○○に「聴覚障害者」を当てはめてみても、違和感なく成立するだろう。確かに聴覚障害者の絶対数は聴者にくらべて少ないのは事実だが、やはり学校やコミュニティが分けられている現状が大きく影響しているに違いない(利便性などを考えればある程度棲み分けがなされるのは致し方ないとしても)。

本書は『デフ・ヴォイス』(文春文庫)から始まる、手話通訳士の荒井尚人が主人公のシリーズ第4作(第2作に当たる『龍の耳を君に』からは東京創元社に版元が移っている)。第1作では離婚して独り身だった荒井が、ふたりの娘を持つ父親ぶりもすっかり板についてきている。荒井はコーダ、すなわち「聴こえない親から生まれた聴こえる子(Children of Deaf Adults)」だ。両親と兄はろう者で、自分だけ聴力があるという状況で育ってきた。ずっと疎外感を抱きながら生きてきた荒井がどのようにして手話通訳士として働くようになったのかについては、ぜひこれまでのシリーズ作品をお読みいただければと思う。再婚同士の妻・みゆきは刑事課勤務の警察官(荒井ももとは警察で事務職員として働いていた。ちなみにみゆきの夫だった米原も元警察官)。中学3年生になる長女の美和は、みゆきの連れ子で聴者。次女の瞳美は4歳。荒井とみゆきの間に生まれたろう児で、すべての授業を手話で行う国内唯一の私立校・恵清学園の幼稚部に通っている。本書の舞台となるのは2020年の日本。コロナ禍での就業・就学の難しさなどをはじめとする、社会全体を覆う閉塞感がリアルに描かれている。ただでさえ多大な不自由を強いられる状況下で、障害者の場合はより一層厳しさにさらされているといえよう。

エッセンシャルワーカーのひとつである警察の仕事は、リモートワークの望めない職種である。そうはいっても、美和はともかく、4歳の瞳美をひとりで家にいさせることは難しい(緊急事態宣言を受けて登校・登園ができない状況になっていたため)。というわけで、みゆきがフルタイムで働き、勤務の融通をつけやすい荒井が主に在宅で子どもたちのケアをすることになったのだった(自粛生活により、病院の受診や銀行・役所などへの同行といった派遣通訳の仕事が激減したという事情もある)。そういった日々が続いていた中、"女性ろう者が、口論の末に実の母親を包丁で刺した"という事件が起きた。その後荒井は、社会的弱者を救済することを主な活動としているNPO法人フェロウシップから、女性ろう者の通訳を引き受けてもらえないかと打診される。

手話通訳士の仕事は、多岐にわたるものだ。ただ荒井に関しては、警察事務職員だった経歴と過去に担当してきた実績があることから司法通訳を依頼されることも多い。今回被告となっている勝俣郁美は、先天性の失聴者であり、聴こえの程度はほぼ「全ろう」レベル。一方、刺された母親の智子は聴者。幼い頃に両親が離婚して以来、郁美は智子に女手一つで育てられた。なぜ、娘は母親を刺したのか。休業補償の網目からすべり落ち、不安定な雇用によって切り捨てられ、次の仕事を見つけるのも困難な20代女性の厳しい現実がそこにあった。しかも、聴覚障害者ということでサポートはどうしても手薄になりがち。そのうえ、さらに彼女を追い詰めたのは...?

本書を読むことは、障害というものを考えるきっかけにもなるし、障害者の方々が直面されている問題を知る機会にもつながる。家族の中に障害者がいる、荒井家においてはそれが瞳美であるわけだ。彼女が今後成長していくにつれて、それまでとは異なる悩みも発生するだろう。そのうちのいくつかは、瞳美が聴者であれば彼らの意識にのぼりもしなかったことかもしれない。「ディナーテーブル症候群(ろう者が聴者の家族の会話に十分参加できず、疎外感を覚えている状態)」といった言葉は、この本を読むまで知らなかった。荒井は、郁美の姿に瞳美の将来を思わずにいられただろうか。我が娘が同じような道をたどらないとは言い切れないという不安は、彼の心に小さな棘のように刺さっているのではないだろうか(荒井家ではいまのところ十分なコミュニケーションはとれているように思われるけれども)。

ただ、どんな家庭にも特有の苦悩があることもまた事実だと思う。本作ではこれまでのシリーズ作品の中でも、とりわけ家族小説としての側面を意識しながら読んだ。問題解決にあたっては、やはり家族同士の対話というものの重要性は無視できないだろう。話し合いということに関して、障害者にとってはやりにくい部分というのはあるにしても、健常者同士なら何でも通じ合えるというものでもない。さまざまな家にさまざまにある問題の一例として、本書を読むのもアリではないだろうか。理解したい、わかり合いたい、と思う気持ちは、どんな家族であっても当然のことだから。

ラスト、みゆきのある問いかけに対する反応が荒井ならではという感じで、感動すら覚えた。慎重派で誠実な荒井らしい...。とはいえ、みゆきもそこはビシッと言い切ってほしかっただろうとも思うので、荒井引き続きがんばれ。

著者の丸山正樹さんは、シリーズを通じてあとがきの中で「当事者ではない自分がこんな物語を書いていいのだろうか」との懸念を繰り返し表明しておられる。が、当事者でない(しかし、リサーチは万全という)視点でこそお書きになれる作品もあると思う。今回は何森(シリーズの最初から登場している刑事。現在はみゆきの同僚)の見せ場がなかったことも残念で、また彼が登場する『デフ・ヴォイス』作品も読みたいので、ぜひ書き続けてくださるようお願いします!(何森が主役のシリーズもあるけれど、『デフ・ヴォイス』の要所要所でいいとこ持って行くのを見たい)

(松井ゆかり)

当記事はBOOKSTANDの提供記事です。

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