歌舞伎俳優の尾上菊五郎、文化勲章を受章「色気を追求し、煩悩を持ち続けたい」取材会レポート

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歌舞伎俳優の尾上菊五郎が、文化勲章を受章する。2021年10月26日(火)の発表に向けて25日、取材会が行われた。菊五郎は27日まで歌舞伎座『十月大歌舞伎』の第三部『松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)』に出演しているため、この日も本番前の登壇となった。

■役者の道は続きます


1942年10月2日、七世尾上梅幸の長男として生まれ、1948年4月に四代目尾上丑之助を名乗り初舞台。1965年5月に四代目尾上菊之助を、1973年10月に七代目尾上菊五郎を襲名した。

「栄えある勲章をいただけるのも、不器用な私に、時代物、世話物、舞踊を、懇切丁寧にご指導賜ったおじさまたち、父やおにいさん方のおかげと、ただ感謝の気持ちでいっぱいです。役者の道は、まだまだ続きます。この後も歌舞伎の独特な様式美、役者としての色気、艶、愛嬌、そしてまた江戸っ子気質(かたぎ)といったものを研究し、お客様に楽しんでいただける役者になりたいです」



歌舞伎俳優で初めて文化勲章を贈られたのは、祖父の六世尾上菊五郎だった(1949年、没後追贈)。

「余談ですが、六代目が頂いた文化勲章を、おじの九朗右衛門が首にかけて銀座に飲みにいきましたところ、大変にモテたそうです。私は……いたしません!」

菊五郎のユーモアに、一同が笑いに包まれる中、取材会が行われた。

■金メダルを頂いたような気持ち


吉報の電話は、偶然にも自身でとったことを明かす菊五郎。

「いつもは電話をとることもないのですが、たまたま休演日で。(電話口の方に)写メールをどうこうしてほしいと言われるのですが、私はガラケー。まるで分かりませんので、事務の者に電話を代わってもらいました。そこから、フラッシュバックのように、先輩方の顔が浮かんできて。ありがたいことです。オリンピックの年に、歌舞伎界の金メダルをいただいたような気持ちに。一生忘れられない年になります」

家族の反応を聞かれると、顔をほころばせた。

「女房(富司純子)が本当に一緒に喜んでくれました。コロナ禍で、私は家から出て行かないわけです。その間ずっと、食事も面倒みてくれまして。女房のことを本当にありがたく思っています。時々私の手綱をひっぱったり緩めたり、放して遊ばしてくれたり(笑)。ただ感謝の一言です」



今月2日に誕生日を迎え、現在79歳。体力維持や健康への心がけを問われると神妙な面持ちに。

「いまだにタバコは1日40本、晩酌ではウイスキーをがぶがぶ頂いており、健康についてはあまり考えておりません(一同笑)。健康に産んでくれた親に感謝しております。散歩をした方が良いのだろうと思っても、つい理由をつけてしまうんですね。次にやらせていただく役は、あまり痩せてはいけないな。今日は風が強いな。雨っぽいな。散歩の途中に雨が降っちゃうんじゃないかな、とね(笑)」

そんな菊五郎だが、現在出演中の『松竹梅湯島掛額』では、溌溂とした芝居で観客を大いに楽しませている。

「日々の舞台はおろそかにせず、体をめいっぱい使いお芝居をやらせていただいています。それが少しは健康につながっているのかもしれませんね」

11月1日からは、『吉例顔見世大歌舞伎』で『寿曽我対面』に出演する。

「(十代目坂東)三津五郎の追善狂言です。面白いやつでした。かたいことを言っていると思ったら、時々ふざけたことも言う。懐かしいですね」

菊五郎は工藤左衛門祐経役を勤め、三津五郎の長男・坂東巳之助が曽我五郎役を勤める。

■思い浮かぶ先輩の顔


父の七世尾上梅幸からは、「基礎を大切にするように」と教わった。

「基礎がしっかりしていれば、その上の建物はいくらでも建て替えられるから、と言われました。私自身、『基礎だけはしっかりしておくように』と後輩にも伝えています」

数々の当たり役をもつ菊五郎。思い入れのある役を問われると。

「出世作となりました弁天小僧菊之助。1000回近く勤めさせていただいております。(二世尾上)松緑のおじから教わりました髪結新三、魚屋宗五郎なども思い浮かびます」

現在は立役中心だが、女方でも多くの役を勤めた。

私ほど多くの先輩から教えを受け、可愛がられた役者はいないと思っております。本当にかわいがっていただきました」

お世話になった先輩俳優を問われた菊五郎は、二世松緑、十七世中村勘三郎、十七世市村羽左衛門、三世市川左團次、女方では父・梅幸だけでなく六世中村歌右衛門、七世中村芝翫、四代目中村雀右衛門などなど……。次々に名前を挙げた。そして若手だった頃を振り返った。

書抜きを読んだ時を再現する菊五郎。
書抜きを読んだ時を再現する菊五郎。

「当時は、(役がついても台本はもらえず)自分の台詞だけが書かれた「書抜き」という紙1枚を渡されるんです。ある時の書抜きには、『伊勢三郎。用はない、立て立て』とだけ書かれていました。きっとお侍だろう。けれども、用はない? 立て立て? これだけでは、どんなお芝居か分かりません。そこで先輩に聞きに行くんです。“これは『熊谷陣屋』というお芝居だ。本当は義経の台詞だけれど、義経(役の俳優)が皆に台詞をわりふってくれたのだね。義経の気持ちになって台詞を言わないといけないよ”といった風に、たくさんのことを教えてくださるんです。楽屋ではそのような交流があり、話が広がっていくのが面白かったです。私はどなたの楽屋にも飛び込んでいきました」

当時を懐かしむ菊五郎。現在は書抜きではなく台本が、皆の手に渡る。

「今は台本を読めば話は分かりますし、ビデオで、名人の芝居を見ることができます。私たちが若い頃よりも、出発点が高いですね。その辺りが、少しつまらないような。楽屋がなんだか冷たく感じるような。そんな気もいたしますね」

率直な思いを吐露しつつも「最近の若手はしっかりしています」と若い世代にエールを贈り、「私どもは、たくさん失敗をしたものです」と笑っていた。

■死ぬ間際まで発展途上


俳優人生を振り返り、悔しい思い出はあるだろうか。

「悔しいことは、いくらでもあるのだけれど、性格もありまして、悔しい思い出としては意外と残っていませんね。楽しかった思い出はたくさんございます。役者にとって、舞台は一過性ではないのですよね。毎日の積み重ねです。今日は上手くできなかった。チキショウ! となっても、明日またがんばろうと思えます」

これからの歌舞伎界をどう活性化させていきたいか。この問いには、イヤイヤという身振りで答えた。

「おこがましいです。個人個人、お家お家でお考えでいらっしゃることでしょう。音羽屋では、松緑、菊之助、松也、右近と、若手がどんどん育っており、楽しみに思っております」

孫の尾上丑之助と寺嶋眞秀については、「2人とも歌舞伎は好きなようです。この先は分かりませんが、親に任せ、私はただ『いい子、いい子』と可愛がっています」とコメントした。菊五郎の名前を継いで約半世紀。文化勲章の受章にあたり、深く思うところもあるのではないだろうか。

「実際のところ夜に布団に入って、『このような勲章を、自分が頂いて良いのだろうか』など、色々と考えます。それだけ重みのあるものなのだと、考えさせられました。はじめに申し上げましたとおり、役者の道は、まだまだ続きます。死ぬ間際まで、発展途上なのだと思いますし、これで良いと思ったら、役者としてはおしまいです。いつまでも色気を追求し、『モテたいな、褒められたいな』という煩悩を持ちつづけ、役者を勤め続けていきたいです」

「お土砂(の場)をやっている最中に、文化勲章をくださると言うんだからね」と菊五郎。会見後は歌舞伎座の舞台へ。
「お土砂(の場)をやっている最中に、文化勲章をくださると言うんだからね」と菊五郎。会見後は歌舞伎座の舞台へ。

取材・文・撮影=塚田史香

当記事はSPICEの提供記事です。

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