【追悼】日本の漫画を成長させた!さいとう・たかをの功績とその素顔

日本のコミックシーンを牽引し続けてきた漫画家・さいとう・たかを氏を悼み、取材などでさいとう氏の知遇を得たライター・編集者である今秀生氏に改めてさいとう氏の思い出・その仕事について綴って頂いた。(編集部)

さいとう・たかを先生が9月24日にすい臓がんのために亡くなってしまった。享年84。さいとう先生に最後に直にお会いしたのは今年の2月、『ゴルゴ13』200巻突破を記念した秋本治先生との対談の記事を担当した時だ。そのあと体調を崩されたと後で聞いたが、その日は普段と変わりない様子で、2時間以上も楽し気にお話しされていた。秋本先生の作品作りの手順を熱心に聞いて、驚いたり感心されたりしていたのが印象的だった。他の作家にこんな風に興味を持てるのが現役バリバリの証だなと思ったからだ。

2019年にさいとう先生にインタビューした時、植木金矢先生が亡くなる直前まで時代劇劇画を描かれていた話から、「金矢先生が97歳まで描いてたんですからさいとう先生は少なくともその記録は抜いて下さい」と言ったら「(金矢)先生にくらべたらワシなんかまだひよこみたいなモンだから頑張るよ」と笑ってられたので、こっちはすっかりその気になっていた。正直、”さいとう・たかをのいない世界” に感情が全く追いつかなくてまだ呆然としている状態だ。子どもの頃から大好きだったマンガ家が亡くなるたびに受ける大きな喪失感には、何度経験しても慣れることができない。

さいとう・たかをと言えばまず『ゴルゴ13』だ。1968年に『ビッグコミック』(小学館)で連載開始以来、ずっと看板作品として連載されている代表作だ。この7月には単行本201巻が刊行され、「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定されたのも記憶に新しい。『ゴルゴ13』は先生の訃報と同時に、先生の遺志で連載継続される事が発表された。さいとう先生が、自分がいない状態でも作品が作れるプロダクション制作のシステムを作られていたからこそ可能な選択だ。
▲さいとう先生の代表作である名作『ゴルゴ13』。

さいとう先生は、マンガを一人の作家頼りに制作するのではなく、脚本や作画などを分担したプロ集団で作るプロダクション・システムを提唱し、実際にさいとう・プロダクションを1960年に立ち上げて多くの劇画作品を生み出してきた。アシスタントを多く集めてマンガを描くのとは根本的に違うこの発想は画期的だったが、作品作りをあまりにもシステマティックに考えすぎていると、なかなか同業者や仲間からは理解してもらえなかったという。作家はあくまでも自分の作品を描くべきであって、完全に分業で描くなんて工場で製品を作るのと一緒じゃないかと言われたそうだ。

でも、読者を常に楽しませられる製品が提供出来るのなら、それでいいじゃないかというのがさいとう先生の考え方だった。とは言え、やはりさいとう先生の巨大な存在があってのさいとう・プロダクションだった。さいとう先生がいなくなって、ついに先生が思い描いたプロダクション・システムで『ゴルゴ13』が描き続けられる事になる。その準備はバッチリしたよ、と空の上で笑いながらタバコを吹かしてるような気がする。

さいとう先生が日本のマンガに遺したものは実に多い。四頭身の子供のような体形キャラではアクションが描けないとスラリと頭身を伸ばした八頭身キャラを生み出し、そのキャラにカッコいいシャツや靴を身に着けさせ、「パンパン」しかなかった銃の擬音に「ズキューン」「バキューン」というリアルな擬音を発明し、日活よりもはるかに早く海外のハードボイルド小説の影響を受けたセリフ回しを持ち込んだ無国籍アクションを1958年あたりからたくさん描いた。マンガに本格的なアクションを持ち込んだのはさいとう先生だ。ここから劇画が誕生していく。

自分で出版社を起こし、作家の選定や読者層を考えて編集もした1962年創刊の『ゴリラマガジン』は日本最初のヤング誌だったし、最大でも一話8ページくらいだったマンガ誌の編集部に「これではドラマが描けない」とかけあって21ページの作品を『別冊週刊漫画TIMES』に掲載したのが1964年だ。扉に「異色大長編」とアオリがあって、21ページでも当時は破格のページ数だったのが伺える。これが人気を得たため、まとまったぺージ数のマンガが雑誌に掲載されるようになり、結果、大人もマンガを読むようになって『ゴルゴ13』誕生に繋がっていく。1969年にマンガ誌ではなく大人向け週刊誌で初めてマンガが連載されたのもさいとう先生の『影狩り』だ。コンビニ向けのコミックス販売を発案したり、時代劇専門劇画誌を企画したりと、作品作り以外のアイデアも豊富な稀有な存在だったのだ。

若かりし頃にストーリーマンガを軽視する大御所風刺漫画家を怒鳴りつけた話や、貸本を馬鹿にした大手出版社の編集者にキレた話など面白おかしく話される様子はまるでガキ大将がそのまま大人になったようだった。自身の体験をベースに描いた『いてまえ武尊(たける)』という作品で子供時代のガキ大将っぷりを垣間見ることが出来るが、相当なヤンチャっぷりも「実際よりだいぶ抑えて描いてるよ」と笑っていた。
▲さいとう先生が自身の不良少年時代を振り返って執筆した自伝的作品『いてまえ武尊』。

仲間や後輩の展覧会には律儀に顔を出し(体調不良をおして車椅子で来られてた事もあった)、袂を分かった人や自分を批判したような人が相手でも亡くなれば哀悼の意を表し、受けた世話や恩は絶対に忘れず、そして自慢話をしない。何度か取材やお話をさせていただいただけだが、さいとう先生の筋を通さんとする大人のふるまいは描かれる劇画そのままでもあった。ヤンチャと大人が混ざり合った理想のガキ大将、さいとう・たかを。長い間本当にお疲れ様でした。たくさんの劇画をありがとうございました。

>>>さいとう・たかを氏の写真、代表作を見る(写真4点)

(C)さいとう・プロダクション

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