歌舞伎座の感染症対策を支える「巡り合わせ」~歌舞伎座のコロナ対策について聞きました~

SPICE



歌舞伎座は、コロナ禍の影響による5か月間の休業を経て、2020年8月に再開した。それ以来、安全と安心を掲げて毎月興行を行っている。何をもって安全とするか。ガイドラインを満たせば安心なのか。まだ定義できる時期ではない。それでも歌舞伎座が、客席でも舞台裏でもクラスターを起こすことなく、14か月の興行を続けてきたことはたしかだ。

SPICEでは、歌舞伎座支配人の千田学さんと、歌舞伎製作部部長の橋本芳孝さんにインタビューを行った。昨年8月に、再開できたのは「巡り合わせのおかげ」とふり返るのは橋本さん。千田さんもこれに頷く。コロナ禍の歌舞伎座は、何に支えられているのだろうか。2人の話から見えてきたのは、歌舞伎特有の「古典」の強さと歌舞伎座の「常連さん」の存在だった。

※インタビューは7月後半に行いました。その後、感染拡大の影響を受け、9月に追加取材を行い再編集しました。

■いま歌舞伎座を支える、いつものお客様


取材を行った7月後半、イベント開催時の客席の人数上限は5000人に、収容率は定員の50%が上限とされていた。歌舞伎座は、幕見席を含めると約2000席ある劇場だが、この1年は幕見席の販売を休止し、客席も一部を除き、前後左右1席おきに販売している。

千田:感染状況に応じて、制限が緩和される時期もありましたが、歌舞伎座は昨年8月の再開以来、定員の50%以下を維持しています。(※10月2日に初日を迎えた「十月大歌舞伎」も引き続き、客席数は50%を維持している)

橋本:お客様に、『50%だと思ったから買ったのに、緩和されたら100%の満席になるの?』『緊急事態宣言が出たけれど座席はどうなるの?』といった、世間の不安さを持ち込むことなく、お芝居を楽しんでいただきたいからです。このような時期にも関わらず、特に片岡仁左衛門さんと坂東玉三郎さんの共演で話題となった4月と6月の『桜姫東文章』には、連日多くのお客様にお越しいただきました。もし平常時であったなら、もっと多くのお客様にご覧いただけたであろうことを思うと、残念な気持ちです。

橋本さんは5月まで歌舞伎座の支配人をつとめた。
橋本さんは5月まで歌舞伎座の支配人をつとめた。

歌舞伎座の興行は、1895年創業の老舗・松竹株式会社が行っている。大きな企業だからできる安全策だ、と感じる方もいるかもしれない。しかし、現在の顧客層も見据えた上での方針でもあるという。

橋本:根底には、演劇の灯を絶やしてはいけないという思いが強くあります。興行が止まることで俳優だけではなく、舞台を支えるスタッフや関連会社、職人たちの技術の継承を止めてはいけないという思いです。その上で、興行ですから収支的な判断からは逃れられません。正直、大変厳しい状況が続いております。その中で50%を維持しているのは、お客様のニーズを見据えた結果です。歌舞伎座にいらっしゃるお客様の中には、安全対策を徹底していることで、ご家族様が『歌舞伎座ならば』と送り出してくれることもあると聞きました。私たちは、歌舞伎を愛してくださるいつものお客様に安心を提供することを優先しています。

千田:海外や遠方からのご来場が難しいご時世、いまの歌舞伎座を支えてくださっているのは、昔から歌舞伎に親しみ、歌舞伎座に来ることが生活の一部となっている、いわゆる常連のお客様。今月のお客様の多くは、おそらく来月もお運びくださいます。1か月に複数回おいでの方もいらっしゃいます。そういったお客様に、安定したサービスを提供することが、大切だと考えています。

現・支配人の千田さんは、4月まで大阪松竹座の支配人をつとめていた。
現・支配人の千田さんは、4月まで大阪松竹座の支配人をつとめていた。

現在、歌舞伎座に入場する際は自分で切符をもぎり、検温と手指消毒をする。客席での会話は控え、食事は禁止。終演後は整列退場する。

千田:この状況下での歌舞伎座での過ごし方が、大変スムーズに浸透したのも、常連の方々が早い段階でご理解くださり、慣れてくださったおかげが大きいと感じています。毎公演はじめましてや久しぶりの方ばかりだとしたら、もう少し時間がかかっていたかもしれませんね。

入口での手指消毒と検温、そして自分で切符を切る。この流れは今や定番。
入口での手指消毒と検温、そして自分で切符を切る。この流れは今や定番。

■歌舞伎座だから、歌舞伎だからを振り返る


橋本:歌舞伎座がコロナ禍に興行を続けるには、お客様を迎え入れるオモテの対策だけでなく、俳優やスタッフの方々を迎え入れる幕内(ウラ)の対策も必要です。

歌舞伎座独自の取り組みと言えるのが、1日4部制(2021年1月からは3部制)の導入だ。コロナ禍前は、基本的に昼夜2部制だった。今は部を分けて滞在時間を短くし、各部が終わるごとに専門業者が場内を消毒する。

消毒風景。花道の内側3席、外側4席が空いている。残った席が千鳥格子になる。
消毒風景。花道の内側3席、外側4席が空いている。残った席が千鳥格子になる。

千田:お客様だけでなく俳優さんたちにも、各部が終わるごとに退出いただきます。前後の部の出演者と接触がないように入れ替わっていただくので、どこかの部に陽性者が出た場合も、他の部は興行を続けられます。また共演者同士でも、楽屋の行き来や挨拶(俳優は楽屋入り・出番前・出番後に先輩の楽屋へ挨拶にうかがう習わしがあった)は控えていただいています。私たち松竹の社員も、昨年8月以来、これまで行っていた初日や千穐楽の楽屋挨拶も行っていません。

「顔寄せ」という、公演前に俳優、スタッフが顔を揃える習わしも中止しているという。

橋本:幕内のスタッフも、それぞれに知恵を絞っていますね。たとえば舞台美術。大道具さんが少ない人数で対応できるよう、昨年8月は、第一部から第四部まで、一杯道具(舞台展開なし)の演目に。しかも第一部『連獅子』と第二部『棒しばり』は、同じ松羽目の舞台を使いました。
昨年8月に公演を再開した歌舞伎座。四部制のうち、第一部『連獅子』と第二部『棒しばり』は同じ松羽目の舞台 /(C)松竹
昨年8月に公演を再開した歌舞伎座。四部制のうち、第一部『連獅子』と第二部『棒しばり』は同じ松羽目の舞台 /(C)松竹

稽古における“歌舞伎ならでは”も、感染症対策における強みとなった。

橋本:古典の演目は、これまで通常4日間の稽古で本番を迎えていました。現在は、2日の稽古で本番を迎えることもあります。稽古期間を短縮できるのは、歌舞伎に古典のレパートリーがあるからこそです。

そんな中、今年の『八月花形歌舞伎』は、主演の市川猿之助が休演をした。稽古前の定期なPCR検査の結果を受け、保健所の指示に従ったものだ。8月20日の猿之助の復帰まで、坂東巳之助が代役を勤めた。巳之助が、4日間の稽古で6役早替りの代役を勤めたことが話題となった。

橋本:歌舞伎では、どなたかが急遽休演すれば、基本的にはすぐに別の俳優さんが代役に立ちます。コロナ禍の特別な対応という訳ではなく、もともとの強みが、この時期ならではの状況で生かされる形となりました。
小道具、かつら、衣裳などに使う紫外線照射殺菌装置。新型コロナウイルスに対しても有効であるとし、都内総合病院、国内の大学病院でも導入されている。
小道具、かつら、衣裳などに使う紫外線照射殺菌装置。新型コロナウイルスに対しても有効であるとし、都内総合病院、国内の大学病院でも導入されている。

その意味で先ほど千穐楽を迎えた『九月大歌舞伎』第二部は、異例の対応だったといえる。稽古に入る前の定期的なPCR検査(全出演者・スタッフ・劇場関係者644名に実施)で、第二部の中村歌昇と中村隼人を含む関係者に陽性反応が出たことに伴い、業務上関わりのある周辺関係者を念のため休養させたことなどを理由に、初日から5日間の公演を中止したからだ。

千田:隼人さんの代役に(中村)錦之助さん、歌昇さんの代役に(中村)種之助さんで、予定通り初日から開けることも可能ではありましたが、この時、東京は第5波。世の中の感染状況をみて検討し、一度立ち止まる判断をしました。全員に再度PCR検査を行い、安全を確認した上で、7日に初日を迎えました。

これについては、9月に行った追加取材で、副支配人の原祐道さんも「興行を止めることに迷いはありませんでした」とコメントする。「世の中にこれだけ感染が広がっている時期。歌舞伎座でも陽性者が出るのは、仕方のないことです。昨年の8月以来、大切なのは、早い段階で陽性者を見つけ、感染を最小限に食い止めることです。そして、もし陽性反応があった時や体調に不安があった時にも、俳優さんたちが、ためらうことなく休んでいただける体制を整え、復帰される時は、舞台や職場に戻りやすい場の空気を作ることも、歌舞伎座の仕事だと考えています」と語っていた。

■古典というソフトと、歌舞伎座というハード


松竹が運営する劇場の中で、一番最初に再開したのが歌舞伎座だった。大劇場としての使命感もあったのだろうか。

橋本:再開できたのは、巡り合わせが大きかったように思います。歌舞伎座は、現在、歌舞伎だけを上演する劇場で、歌舞伎には“古典”というレパートリーがありました。ロビーの広さや、楽屋の数、配置など、もともと密にならない構造で、換気設備は、通常の運用でも数値的にガイドラインをクリアできていました。ただ、お客様には、視覚的にもご安心いただけるよう、上演中も通路や桟敷席の扉を開放することにしました。歌舞伎座は、たまたまそれができる劇場だったということです。

巡り合わせで再開し、劇場スタッフ、出演者、来場者に支えられ、興行が続いている。今も、大向うなどの掛け声は控えられ、上演中も、扉は開けた状態になっている。出演者から困惑の声もあったのではないだろうか。

橋本:それは一切ありませんでした。演者の方々も、お客様に安心して観ていただける環境を、何より望んでくださっていたんですね。

千田:ある地方公演で、座頭の方が劇団の方々に呼びかけておられるのを拝見しました。『せっかく地方へ来たのだから、ぜひご挨拶したい御贔屓さんもいらっしゃるでしょう。あちらからお誘いいただくこともあるかもしれません。けれども今は、外部との接触を一切避けて、各自ホテルで過ごしましょう。なんとしても舞台を成功させましょう』と。そしてご自身が、率先して行動を律しておられました。歌舞伎の世界では、先輩後輩の関係をとても大切にします。トップの方が行動で示されることで、皆の気持ちもより引き締まるように思います。

観劇後はご案内があるまで座席で待機を。
観劇後はご案内があるまで座席で待機を。

対策を尽くしても、幕を開けられないことはある。今年4月に発令された3回目の緊急事態宣言では、『四月大歌舞伎』は終演が前倒しになり、『五月大歌舞伎』は開幕が遅れた。

橋本:4月の第一部では、松本白鸚さんと松本幸四郎さんが、『勧進帳』弁慶を交互にお勤めでした。それが政府からのイベント中止の要請により、白鸚さんの弁慶は、予期せず23日で最後になってしまいました。白鸚さんは、その日一日一日の舞台を『今日が千穐楽』という心構えで、これまでも弁慶を積み重ねてこられたと思います。けれども、突然の打ち切りで、きちんとした千穐楽を迎えることはできませんでした。突然の公演中止を聞かされた幸四郎さんも、やるせないお気持ちが相当おありだったと推察します。我々にとっても非常に無念なことでした。なにしろ俳優さんたちは、『ぜひご観劇に』と言えない中で、どうしたらお客様に来ていただき、ご満足いただけるか考え、演目を選ばれています。そして、それぞれ葛藤の中で覚悟をもち、舞台に立たれているからです。



■ゆるりと歌舞伎座で会いましょう


昨年より、歌舞伎座に掲げられているポスターがある。「ゆるりと歌舞伎座で会いましょう」のコピーがあしらわれたポスターだ。観客として劇場にいても緊張感や閉塞感が否めない時期、このコピーにふと肩の力が抜けるのを感じる。

橋本:昨年4月、歌舞伎座再開の目途が立たず、『宣伝できる公演もないけれど、場所を開けておくわけにもいかないから』と制作したものです。キャッチコピーは『御存 鈴ヶ森』の台詞からとりました。幡随院長兵衛と白井権八が出会い、幕切れに『ゆるりと江戸で逢いやしょう』と言います。いつということはないけれど、ゆっくり江戸で落ちあって……と。『ゆるり』には、焦らず落ち着いて、の意味もあるそうです。歌舞伎座が再開した暁にはお待ちしております。お仲間同士、『ゆるりと歌舞伎座で』を合言葉に、また歌舞伎座にお越しくださいという思いから、この台詞を思い出しました。歌舞伎座の再開とお客様同士の再会、どちらへの思いも込めています。

現在も歌舞伎座正面や場内で見かけるポスター。
現在も歌舞伎座正面や場内で見かけるポスター。

橋本さんは現在、歌舞伎座の製作部門で、プロデューサー的立場から興行を支えている。

橋本:コロナ禍により、上演時間の制限ができました。奇しくもこれによって、古典の台本の見直しが進んでいます。古典歌舞伎の上演時間は、現代の感覚だと少し長いのではないか。現代にあった構成や見せ方を模索するべきではないか。そのような動きが、以前からありました。ふり返れば約50年前、海外公演で『仮名手本忠臣蔵』をやるために、本来3時間かかる「大序」から「四段目」までを、1~2時間に再構築したこともあります。先人の知恵を手ぐりよせ、古典として守るべきところは守り、お客様のニーズに即して見直し、制約の中でも感動が充分に伝わる芝居をどう作っていくか。同時に、歌舞伎は古典だけでなく、時代を反映した新作との両輪で成り立っています。この時期に我々に与えられた課題と受け止め、取り組んでまいります。



工夫を重ねながら、興行を続ける歌舞伎座。千田さんは次のように語り締めくくった。

千田:歌舞伎座は2000人近く入る劇場ですが、現在は904人に制限しています。舞台は、客席のお客様と舞台上の俳優さんの力が一体化してできあがるもの。歌舞伎座で、最高の舞台芸術が構築されるのは、2000人のお客様の力があわさった時だと考えています。今もなお一進一退ですが、またはやく、この空間で最高の舞台をお客様にお楽しみいただきたい。そしてまた、海外や地方からのお客様にも足をお運びいただきたいです。その時まで、劇場も制作サイドも、感染症対策を協議し、更新して、興行を続けていきたいと考えています。

「状況に応じ、都度協議し、見極めていきたい」と口を揃える。
「状況に応じ、都度協議し、見極めていきたい」と口を揃える。

<関連記事>
・「歌舞伎座のコロナ対策取材レポート『八月花形歌舞伎』四部制で守る3つのもの」(2020年8月21日)
https://spice.eplus.jp/articles/274190

・「松本幸四郎に聞く、歌舞伎座再開からの2か月の思いと舞台裏の新型コロナウイルス対策」(2020年8月21日)
https://spice.eplus.jp/articles/275215

・歌舞伎座のオモテで支える感染症対策『九月大歌舞伎』取材レポート (2020年9月2日)
https://spice.eplus.jp/articles/275214

・歌舞伎座、ウラの感染症対策 『十月大歌舞伎』観劇&小道具さん取材レポート (2020年10月16日)
https://spice.eplus.jp/articles/276907

取材・文・撮影=塚田史香

当記事はSPICEの提供記事です。

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