安奈淳、53歳で襲われたうつ。自分が自分でなくなる恐怖、未来への不安#3

OTONA SALONE



元宝塚歌劇団星組・花組トップスターの安奈淳さん。『ベルサイユのばら』のオスカル役を演じ、第一期ベルばらブームを築きました。

しかし、50代からは一転、何度も死にかけたという長い闘病生活に。その後歌の世界に奇跡の復帰を遂げ、74歳の現在も精力的に行うコンサート活動を続けています。

50代以降苦しんだ闘病について、書籍『70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』からご紹介します。

トップ画像/闘病から復帰、精力的に続けるコンサート。チケットは即完売する。Photo by Tomoko Hidaki

高価なコートもアクセサリーも、みんな手放してしまった


薬の副作用で髪が抜けると、「面倒くさい」とバリカンで刈り上げてしまいました。「もう旅行なんてできないから」と車を処分し、パスポートも捨ててしまいました。あとで友人がゴミ箱から拾ってくれましたが。洋服や舞台用のアクセ
サリーは友人や後輩にあげ、気に入っていた絵も高価なミンクのコートもリサイクルショップに二束三文で売ってしまいました。物事を考える力も弱くなり、手紙を書こうにも文章が思い浮かばない、気晴らしに麻雀に誘ってもらってもルールがわからなくなってしまうのです。

眠れない夜が続き、徐々に「死にたい」という感情に支配されていきました。ベランダから飛び降りようとしたこともありましたが、柵を越える筋力がなくて未遂に終わりました。キッチンのナイフで首をつこうとしたときには、心配して毎日顔を出してくれた松原さんに止められました。「そんなナイフじゃ死ねないよ。明日、柳刃包丁を持ってきてあげるから待ってな!」って。松原さんはおすし屋さんの女将だったのです。その言葉につい笑ってしまいました。そんな周囲の支えがなければ、今の私は存在しなかったでしょう。

仕事に復帰できたのは2年もたってからです。治療は10年ほど続き、そのあとにも心臓弁膜症や腎臓がんが見つかりました。でも、私はもう以前の私ではありません。自分を過信するのでも、いたずらに恐れるのでもなく、どんな治療がいいのかを冷静に考えることができるようになっていました。

腎臓がんの手術は、築地の国立がん研究センター中央病院を選びました。その前に2つ病院を回ったのですが、いずれも「腎臓は2つあるから1つ切除しても大丈夫」と腎臓の切除を提案されました。でも私は「腎臓が2つあるのは2つ必
要だから」という気持ちを変えられません。サードオピニオンでがんセンターに相談すると、がんを凍結して腎臓を残す凍結治療を提案され、その方法にかけることにしたのです。季節は夏。術後の入院中に東京湾花火大会がありました。病室は18階。窓の外には次々打ち上げられる大輪の花火、眼下には隅田川と屋形船。こんな美しい花火を見たのは、後にも先にも初めてでした。「手術がんばったね、おめでとう!」そんな祝福のようでした。

人には寿命があり、無理に長生きしたいとは思いません。けれど、たったひとつしかない自分の体を大切にしながら、今という時間を丁寧に生ききりたい、それが今の願いなのです。



元宝塚歌劇団星組・花組トップスターの安奈淳さん。 1965年入団後、27歳で『ベルサイユのばら』オスカル役を演じ、“第一期ベルばらブーム”を築く。

1978年に宝塚退団後は、持ち前の歌唱力と演技力を活かして舞台などで活躍していたが、50代で膠原病となり生死の境をさまよう。その後、長い闘病生活を経て奇跡的に復帰。74歳の今、精力的にコンサートを開催し、チケットは即完売の人気ぶり。

最近ではインスタ(@annnajun0729)の私服ファッションが評判となり、ファッション誌にたびたび取り上げられるように。

薬の副作用によるうつで、一時期は手持ちの服をほぼすべて手放してしまった安奈さんだが、今は本当に気に入った服だけをセンスよくコーディネートして楽しんでいる。その姿が女性たちの熱い支持を得ている。 自身の体験に基づいた生き方の金言とともに、安奈さん流の着回し術や服選びのコツを紹介する、写真満載の初のヴィジュアル本。

当記事はOTONA SALONEの提供記事です。

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