『秋山祐徳太子と東京都知事選挙』~奇才アーティストの伝説的パフォーマンスをフィーチャーした展覧会開催

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昨年(2020年)4月に85歳で没した前衛芸術家・秋山祐徳太子。「ダリコ」をはじめ、狂逸的なハプニング・アートの旗手として名を馳せた奇才・秋山の代表的パフォーマンスこそ、1970年代に2度にわたっておこなった“東京都知事選挙”だった。その伝説的偉業に焦点を当てた展覧会『秋山祐徳太子と東京都知事選挙』が、2021年9月13日(月)~10月9日(土)、東京・銀座のギャラリー58で開催される(入場無料/日曜休廊)。
(撮影:渡辺克巳 1979年)
(撮影:渡辺克巳 1979年)

1975年、革新系無所属(社会、共産、公明 推薦)の美濃部亮吉や保守系無所属(自民推薦)の石原慎太郎ら16人もの候補者たちが乱戦を繰り広げた都知事選に、秋山も「政治のポップ・アート化」を目指して初参戦。「保革の谷間に咲く白百合」のキャッチフレーズを掲げ、最終的に3,101の得票数を得て5位まで食い込んだ(首位当選=みのべ亮吉、2位=石原慎太郎、3位=松下正寿、4位=赤尾敏)。
1975年 選挙ポスター
1975年 選挙ポスター

続く1979年、13人が立候補し、事実上、鈴木俊一(無所属/自民・民社・公明・新自ク 推薦)と太田薫(無所属/社会、共産、革自連 推薦)の一騎打ちとなった都知事選にも秋山は再出馬し、前回を上回る4,144の得票数を得るも7位の結果に終わった(首位当選=鈴木俊一、2位=太田薫、3位=麻生良方、4位=赤尾敏、5位=安井けん、6位=吉田浩)。
1979年 選挙ポスター
1979年 選挙ポスター

両選挙を通じて秋山は、街頭や立合演説会場、テレビ・ラジオの政見放送、560万部の選挙公報、1万2千箇所のポスター掲示板、そのすべてを芸術行為の現場とした。泡沫候補ながら、その当落を超越したひたむきな選挙活動は人々の脳裏に鮮烈な印象を残し、現代アート史の神話となった。実際、このときの選挙ポスターは現在、芸術作品として諸美術館に収蔵されている。
東京都知事選挙・選挙公報 1975年
東京都知事選挙・選挙公報 1975年

今回の『秋山祐徳太子と東京都知事選挙』展では、当時の選挙ポスターや写真、映像をはじめ、音声記録、候補者届出書、供託書、選挙公報、候補者用特殊乗車券、腕章、旗、そのほか初公開の資料を多数展示する。40数年前の東京都を舞台に繰り広げられ、華々しくも健気に散った秋山祐徳太子候補の泡沫芸術パフォーマンスを一気に総覧できる貴重な機会だ。

なお、会場では、記録冊子「秋山祐徳太子と東京都知事選挙」も販売される。現代アート史を飾る重要資料として購入をオススメする。
(撮影:羽永光利 1979年)
(撮影:羽永光利 1979年)

【秋山祐徳太子(あきやまゆうとくたいし) 略歴】
1935年東京・日暮里生まれ。本名は秋山祐徳(すけのり)。1960年、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)彫刻科卒業。工業デザイナーとして大手電機メーカーに勤務。グリコのランナー姿で走る「ダリコ」をはじめ、ポップ・ハプニングと称する数々のパフォーマンスを展開。1973年初個展。以降、ブリキによる彫刻作品を発表。1975年と79年の2度にわたり、政治のポップ・アート化を目指して東京都知事選に立候補。1992年、赤瀬川原平・高梨豊と写真グループ「ライカ同盟」結成。1994年「秋山祐徳太子の世界展」(池田20世紀美術館)。2011-12年「秋山祐徳太子+しりあがり寿 ブリキの方舟」(広島市現代美術館)。著書に『泡沫桀人列伝』(二玄社)、『ブリキ男』(晶文社)、『恥の美学』(芸術新聞社)、『秋山祐徳太子の母』(新潮社)ほか。2020年4月3日、85歳で死去。
(撮影:渡辺克巳 1979年)
(撮影:渡辺克巳 1979年)

当記事はSPICEの提供記事です。

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