漫画『ピアノの森』の世界を旅するピアノコンサートが開幕! ピアニスト髙木竜馬が誘う想像の旅路へ

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東京オリンピックも終盤に近づいた三連休初日の2021年8月7日(土)、千葉県のJ:COM浦安音楽ホールで、『イープラス presents ピアノの森 ピアノコンサート』が開催された。現在、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気上昇中のピアニスト髙木竜馬による関東・中部10か所での約二か月にわたるツアーの初日となる当リサイタル。漫画『ピアノの森』で紹介されるピアノ独奏曲目を俯瞰する内容とあって、満席の客席には小中学生同伴のファミリーも多く、会場はほのぼのとした雰囲気に包まれていた。熱気あふれるコンサートの模様をお伝えしよう。

一色まこと氏による人気漫画『ピアノの森』は、全26巻にわたる原作の漫画本の他にも、近年ではNHKが2018年にテレビアニメ版を放映したことから、多くの新たなファンを生んだ。ピアニスト髙木竜馬は、このテレビアニメ版放映において主人公 一ノ瀬海の良きライバルとして、ともに切磋琢磨する雨宮修平のピアノ演奏を担当しており、原作の奥深さや世界観をより身近に体感しているアーティストの一人だ。いやが上にも、同作品の展開軸を成すピアノ独奏曲があますところなくラインアップされた当夜のコンサートへの期待も高まる。

髙木は事前のインタビューで、原作のストーリーが放つ青春群像と人間模様のダイナミックさもさることながら、“森”というタイトルからイメージされる“深遠さ”にも一つの意義を見出したと語っている。髙木は当夜演奏されるプログラムを組むにあたって、原作に描かれた広大で神秘的な森の世界のように、一つひとつの作品の奥底にある未知なる広がりを、聴き手一人ひとりに生の音空間で感じ取ってもらえるよう、調性のつながりなどを含め演奏順番なども熟考したという。

リハーサルの様子
リハーサルの様子

リハーサルの様子
リハーサルの様子

この日、髙木はその期待を裏切ることなく、ベートーヴェンとショパンの親しみやすい作品で構成されたラインナップながら、一つ一つの作品に鮮やかな色と空気感を甦らせ、みずみずしい生命感を吹き込んでいた。全11曲、約1時間30分以上もにわたる休憩なしの演奏に加え、興味深いトークを交えながらのハードなコンテンツでも、決して集中力を失わない、そのタフさとプロ魂には驚くべきものがあった。では、当日のコンサートの模様を振り返ってみよう。


第一曲目。誰もが知る名曲 ベートーヴェンの「エリーゼのために」。物憂げな抑えた音で作曲家の深い心情に迫る。エレガントでロマン派的ともいえるこの作品の持つ純粋な美しさを髙木は端正に表現する。決して、ピアノ学習初心者のための小作品としてではなく、この曲の真の価値を見出させてくれた。

一曲目の演奏が終わると、まずは髙木本人による来場の挨拶。「コロナ禍で多くのことが制限されている今、せめて、このコンサートを通してご来場者の皆さんに“旅”をして欲しいという思いでプログラムを組んだ」と語る。ピアノの森のストーリーとともに、作曲家の生きたその時代、その場所にタイムスリップし、一人ひとりが作品を通して出合い、想像する色や音が織りなすさまざまな風景を心の中に描きだしてもらえたらと語った。


続く作品は、ベートーヴェンのソナタ第14 番 嬰ハ短調 作品27-2 「月光」全楽章。かの有名な第一楽章の瞑想的な楽想では、一つ一つの音を丁寧に紡ぎ、その中にある絶え間ない和声変化の妙を深いまどろみの中にくっきりと浮かび上がらせていく。冴えわたる月光の光を浴びているかのような感覚へと誘われる。会場の子供たちは、この深淵なる境地をどう受け止めたのだろうかと、ふと思いがよぎるほどの悲壮感あふれる迫真に満ちた演奏だった。

変わって二楽章では、はるか彼方にある在りし日のウィーンの森の静けさを空間の中に再現してみせる。小鳥のさえずりを感じさせる明るく軽やかなスケルツォの旋律が、古典的なスタイルの中に美しく響き渡る。こんな小さな曲の中にも、しっかりとした一つの情景を描き、細やかで絶妙なダイナミクスを聴かせるところがさすがだ。

打って変わって、激情的で性急な第三楽章。しかし、会場の大きさを考慮してか、物理的な音の大きさや激しさではなく、あくまでも内に秘めたパッションを込める。激高する速いパッセージが鮮やかな技巧で紡がれ、ごくごく自然なダイナミクス(強弱表現)の中で流れてゆく。それゆえに、最後部の真のクライマックスがひと際引き立つ。




この日、ベートーヴェンの二作品に続いて、ショパン作品が多数演奏されたが、その直前の髙木によるトークが会場を沸かせた。

これから演奏会に赴く読者を考え、詳細には触れずにおくが、プログラムに大きく使用された写真を髙木自らがウィーンで撮影した際の苦労話について、そして、これから演奏される作品について、漫画のストーリーに即したかたちで少しずつ解説していった。中でも、髙木独自の解釈による、それぞれの調性が持つイメージや思いについてのくだりは、髙木が奏でる音楽が持つ豊かな音楽性と想像力の核心に迫るようで実に興味深かった。



ショパン作品の第一曲目は、即興曲第4番 嬰ハ短調 作品66 「幻想即興曲」。冒頭、流麗な音ながら、ショパン特有のやるせない激情のようなものを一気に聴かせ前半のクライマックスへ。中間部のカンタービレでは、決して感情に溺れることなく、淡々とテンポの中で歌う様が印象的だ。ただ、二度目のカンタービレの主題再現では、明らかに一度目のそれとは違う音色とあふれる情感で、よりいっそうの深い陰翳をもたらしていた。そして、冒頭の主題テーマの再現。中間部のテンポの取り方の的確さと端正さゆえに、この激しい再現部がよりいっそう悲壮感を持って迫りくる。

続いては、「24の前奏曲作品28」から 第15番 変ニ長調「雨だれ」。抒情的で優しさに満ちた冒頭。少しだけくぐもった、しかし澄んだ親密な音色がしとしとと打ちつける雨の雫の音を感じさせる。詩的な冒頭部分とは対照的に劇的で翳りのある中間では、驚くほどのダイナミクスの振れ幅を聴かせ、渾身の力を込めて異次元的な世界、いや、届かぬものへの憧れや思慕を募らせるかのように心の葛藤の様を表現してみせる。最後部の追憶的なコーダでは、それらのストーリーがすべての夢の中の出来事であったかと思わせるような幻想的な感覚に誘われる。あたかも、このコーダが夢と現実の世界を結ぶ結界のようにさえ思われた。


そして、間を置かずして「12の練習曲」から 第12番 ハ短調 作品10 「革命」へ。前作品の夢の世界から覚めた後に体験する「革命」は何とも鮮烈だった。髙木はいとも鮮やかに感情に溺れることなく、この激情的な一曲を一息に弾き切った。前作品「雨だれ」とともに、ショパンという作曲家の多感な心の内を旅したような思いに駆られる絶妙なカップリングだった。

そして、「スケルツォ第3番 嬰ハ短調 作品39」。「革命」のままの集中力と激情で、幻想的な序奏から第一主題冒頭オクターブの下降連打までを一気に引き上げる。その後に続く第二主題では、鋭いながらもショパンらしい瀟洒(しょうしゃ)な優美さを際立たせる。調性を変えつつ循環的に現れる各主題は進行するごとに情熱と華麗さを増し、次第に葛藤を感じさせるものへと陰翳を増してゆく。そして、ついに慟哭を予感させる激しさへ。その後に続くヴィルトゥオーゾ的(達人的な域に達した)な終結部のクライマックスでは、様々に入り乱れる想いが爆発するかのような境地に。すべての想いから解き放たれ、浄化された心のありようが美しかった。ピアノという楽器から次々と繰り出される(曲想の)激しいコントラストの応酬に、会場全体が息を呑むような集中力で引き込まれていた。近くに座っていた小学生や児童までもが真剣に聴き入っていたことに思わず感銘を受ける。




ようやく、(髙木自らも曲間のトークでそう語っていたが)ショパン作品も少し明るくリラックスした作品に。まずは、「別れ(告別)のワルツ」として知られる 第9番 変イ長調 作品69-1。髙木はどんなに小さなフレーズでも一つ一つ丁寧にバランスの取れたルバート(意図的な速度の緩急)を緻密に描きだし、豊かに歌う。しかし、それは決してサロン的な小ぢんまりとしたものではなく、繊細で緻密な緩急の揺れが、むしろ骨太な輪郭を描きだす。そのせいか、時折、挿入される装飾音のたおやかで優雅な息づかいがよりいっそう心に響く。そのセンスのよさに大人のワルツの醍醐味を充分に堪能した感じだ。続く、 「子犬のワルツ」(ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1)でも、驚くほどの鮮やかな指運びを目の前にし、会場の子供たちもびっくりしたことだろう。

ショパン作品の最後を飾るのは「スケルツォ第2番 変ロ短調 作品31」。連続する三連符の音型から始まる冒頭。それに応えるメロディラインの高音の煌めきが鮮やかで美しい。中間部では、間奏曲的な別世界の音楽とともに始まるが、次第にショパンらしい語法を体現するヴィルトゥオーゾ的な要素が目くるめく現れる。髙木はこの小宇宙的な世界観を、小さなフレーズにおけるルバート、そして、大きなフレーズにおいてのアゴーギク(早めのテンポで頂点を目指し次第に緩やかに速度を落とすという緩急の計算的なかけひき)を自由自在に駆使し、激しくも壊れやすい繊細さを持ったショパン的な美の世界観をじっくりと堪能させてくれた。



髙木のメリハリの効いたリズムの捉え方の巧みさは、こちらも思わず肩をふるわせたくなるほどで、会場全体にも振動から伝わる一体感のようなものが浸透していた。情熱的なフィナーレは、髙木のすべてのエネルギーが注がれているのではと思えるほどの驚くべき熱情に満ちた弾き納めだった。

プログラム上では、この後に続く二作品も本プログラムとして列記されているが、演奏者本人曰く、ここまでが本プログラムでこれから先はアンコール的な感覚だそうだ。次なる作品は、アメリカ民謡「茶色の小瓶」。原作の中では、主人公の一ノ瀬海と師の阿字野壮介との出会いの曲として登場する。茶色の小瓶は酒のピッチャーを暗示しており、いわゆる”酔っぱらい”の曲だ。グレン・ミラー・オーケストラによってスイングジャズのナンバーとして大ヒット以来、ジャズのスタンダードナンバーとなっている。日本では某ビール会社のCMの挿入曲として誰もが知るところとなった。


生れて始めて舞台上でクラシック以外の曲に真剣に挑むという髙木。このツアー以前に行われたレコーディングでも、この作品が何よりも難しく、イメージを掴むのに苦労したという。しかし、この日の髙木は、リラックスしたムードで、シリアスな曲ばかりが続いたその緊張感を解き放つかのように軽快な旋律を楽しんでいた。〆のグリッサンド(鍵盤上を隙間なく流れるように指を滑らせて移動させる奏法)もお茶目に、華麗に。今まで真剣に正統派のピアノ音楽と向き合っていた会場を沸かせた。

そして、本プログラム最後にして、“アンコール曲”の二作品目は、やはりショパンの 「英雄ポロネーズ」(ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53)。すべての想いを出し切るかのような情熱的な締めくくり。髙木の「英雄」は、エレガントで、格調の高さにあふれる。民族舞踊的作品とは言え、貴族の軍隊行進に起源を持つこの作品の風格と個性が力強く描きだされていた。この最後の大曲を弾き終え、髙木は満場の客席からの大喝采に丁寧に応えていた。



ちなみに、約1時間半強の演奏を通して髙木の曲間トークも何とも印象的だった。ためになる面白さでつねに客席を笑わせてくれたが、想像上の旅路へと誘ってくれる髙木の話題の幅広さとユニークさは実に魅力的だ。『ピアノの森』のストーリー、髙木の演奏、そして、洒脱なトークと、盛りだくさんの夏のお楽しみコンサート。遊び心と本格的なピアノ演奏会の魅力と醍醐味が融合した1時間半の涼しげな心の旅を、ぜひファミリーで夏の思い出に刻んでみてはいかがだろうか。
髙木竜馬
髙木竜馬

取材・文=朝岡久美子 撮影=ジョニー寺坂

当記事はSPICEの提供記事です。

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