皇帝ヒョードルに勝てなかったノゲイラ。だが4度目の対決が実現していたなら─。


1990年代後半から2000年代半ばにかけて、世界の総合格闘技界をリードしたスーパーイベント『PRIDE』。このリングで幾多の名勝負が繰り広げられたが、その中でも「アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラvs.エメリヤーエンコ・ヒョードル」は珠玉のヘビー級対決だった。

3度にわたり日本のファンの前で繰り広げられた死闘は忘れ難い。ノゲイラは敗れた。だが彼は、その後も諦めずにリベンジに燃えていた。4度目の対決があることを信じて彼がリオ・デ・ジャネイロで取り組んでいたこととは?
○■グランプリ決勝は、まさかの結末に

アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは、日本における格闘技人気全盛期にPRIDEのリングで、エメリヤーエンコ・ヒョードルと3度対戦している。
それは文字通り、「世界最強」を決める闘いだった。

初対決は2003年3月16日、横浜アリーナでの『PRIDE.25』。
当時、ノゲイラはPRIDEヘビー級王者。ボブ・サップ、マーク・コールマン、ヒース・ヒーリングらを下し、連勝街道をひた走っていた。そして、初防衛戦の相手に「最強の挑戦者」を迎えたのである。

両者のファイトスタイルは大きく異なる。

柔術ファイターであるノゲイラは、グラウンドの攻防で勝機を見出すテクニシャン。対するヒョードルは、柔道、サンボなどの組み技系格闘技出身ながら「ロシアンフック」など強力な打撃技を有するパワーファイター。
ノゲイラがサブミッションを決めるのか、それともヒョードルが殴り倒すのか。
戦前の勝敗予想は、ほぼイーブンだった。

アリーナ内の空気が張り詰める中、試合は始まった。
ノゲイラは得意なグラウンドの展開に持ち込もうと、開始直後にタックルを仕掛ける。だが、これをヒョードルに潰されてしまう。その後、ヒョードルが上になったままグラウンドの攻防が長く続く。
下になった状態からでもノゲイラは、腕ひしぎ十字固め、三角締めなどを決めることができる。だが、この時は決められなかった。ヒョードルのパウンド(寝業状態で打ち下ろされるパンチ)が、あまりにも凄まじかったからだ。
ヒョードル優勢のまま、試合時間の15分はアッという間に過ぎた。ノゲイラは判定で敗れベルトを失う。

2度目の対決の舞台は、それから1年5カ月後の2004年8月、さいたまスーパーアリーナでの『PRIDEヘビー級グランプリ』決勝戦。
同日に準決勝が行われており、ノゲイラはセルゲイ・ハリトーノフとフルラウンド(15分)闘っての判定勝ち。一方のヒョードルは小川直也に僅か54秒で腕ひしぎ十字固めを決め勝利していた。

体力の消耗具合はノゲイラの方が激しい。そんな中で始まった両雄の再戦は、意外な結末を迎える。グラウンドでの攻防の際に偶然のバッティングが生じ、これによりヒョードルが右眉の上を深くカット。試合はストップされノーコンテストとなってしまったのだ。

○■ヒョードルに勝つために

3度目の対決となる決着戦は、約4カ月後の大晦日、さいたまスーパーアリーナ『PRIDE男祭り2004』で行われることに決まる。
その直前に私は、リオ・デ・ジャネイロのブラジリアントップチームの練習場を訪れた。その時、彼は言った。
「この前の試合が、ノーコンテストになったことが、とても悔しい。あのまま続いていたら私が勝者になっていたと思う。今度は勝てる」

だが、結果はそうはならなかった。
初対決時とは異なりノゲイラにもチャンスの場面があり、競った展開となる。だが、ジャッジ3者は、試合のペースを握っていたヒョードルを支持…またもや判定負けを喫してしまった。普段は陽気なノゲイラも、さすがにこの時の落ち込みが激しかった。準備してきたことが試合で発揮できなかったことが悔しくて仕方なかったのだ。

翌2005年にも私は、リオ・デ・ジャネイロを訪ねた。
久しぶりに会うノゲイラの表情は明るかった。そして言った。
「練習を見ていくかい。いまから俺の家に来てほしい」と。
リオ・デ・ジャネイロ郊外の高級住宅街で彼は暮らしていた。とてつもなく広い家で、3階のベランダスペースには20畳ほどの屋根付き練習場もある。連れられて中に入ると、中央にはリングが置かれていて、数人の男たちがノゲイラを待っていた。

ウォームアップを終えるとノゲイラはグローブをつけてリングに入る。すぐにボクシングスパーリングが始まった。
「立っている位置を考えながら動くんだ! 動きながら打つ! そこで追い込め!」
声を張り上げて指導しているのは、ボクシング・ブラジル代表のコーチだったルイス・カルロス・ドリア。リング上でノゲイラと拳を交わしていたのは、アマチュア・ボクシング元南米ヘビー級王者のエジソン・ドラゴ、プロでサンパウロ州王者ファビオ・マウドナードらだ。
錚々たるメンバーでチームが組まれていた。

「以前からボクシングのトレーニングはやっていた。でも、あの試合(ヒョードルとの3戦目)の後、もっとボクシングが上手くなる必要があると感じたんだ。
だからいまは、さらに本格的にやっている。
これまでと同じ闘い方じゃ駄目だと思う。もっとスタンドでプレッシャーを強くかけて試合のペースを握りたい。そうすれば、ヒョードルにもサブミッションを決められる」
練習を終えた後、大粒の汗を額に浮かべたまま、ノゲイラはそう話した。

このボクシングトレーニングをノゲイラは、長く熱心に続けた。ヒョードルにリベンジを果たすために。
だが、4度目の対決は実現しなかった。
『PRIDE』が、消滅してしまったからだ。
その後、ノゲイラは闘いの舞台を米国の大手格闘技イベント『UFC』へと移し、2015年8月の試合を最後に引退する。『UFC』で闘うことを選択しなかったヒョードルとは交わる機会がなかった。

もし、4度目の対決が実現していたなら─。
いずれが勝ったかは分からない。それでも、これまで以上の濃密な闘いは必至だったと思う。名勝負がひとつ失われたことが、いまも残念でならない。

文/近藤隆夫

近藤隆夫 こんどうたかお 1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等でコメンテイターとしても活躍中。『プロレスが死んだ日。~ヒクソン・グレイシーvs.高田延彦20年目の真実~』(集英社インターナショナル)『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文藝春秋)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『柔道の父、体育の父 嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。
『柔道の父、体育の父 嘉納治五郎 (1964年東京オリンピック物語) 』(汐文社) この著者の記事一覧はこちら

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