藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 #29 その部分の皮膚

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ミスクには初めてのことだった。

日光浴が体にいいことは彼女も知っていたので、昼間は薄着になって、なるべく肌を太陽に当てようとするのが習慣になっていた。それは、ミスクだけに限ったことではなくて、日照時間の短いウベリスク地方の人々は、曇りの日でさえ、なるべく外に出て太陽の下で過ごそうとする。公園のベンチの多くには、小さな机が備わっていて、それはコロナ禍において市が行った迅速かつ適切な施策として、人々から賞賛されたものだった。その机は午前10時には空きがなくなるほどの人気で、ミスクもPCを開いて、その日のタスクを終えるまでは離れないと決めていた。時々は手と脳を休ませて、空を見上げては太陽の位置を確認し、日光浴の心地よさに浸るのだった。ミスクだけでなく、公園に集まって仕事をするサーミン市民は、心から太陽を愛しているのだ。

だが、ミスクには初めてだった。もしかしたら、24年の人生で初めてのことかもしれない。ペリネウム・サニング。肛門と生殖器の間の皮膚に日光を当てること。とある健康マニアのインスタグラムで発見した、奇妙な習慣を実際自分も試してみようとミスクが決心するまでには、一週間ぐらいかかった。もともと好奇心が旺盛な方ではなく、全て片手に収まるような人生にこそ安心と幸せがあるとするタイプでもあり、北斗七星のように並んだ黒子のように見えるタトゥを右の肩甲骨あたりに入れることを人生最大の夢にしているくらいだ。もちろんそれは夢で終わることを前提としていて、そんな夢を描くことすら、背徳感に苛まれてしまうような24歳の女であった。

その日、天気予報通りに太陽の光がサーミンの街へと朝から力強く届いていた。だが、市民はその光が気まぐれであることを熟知していて、戦時中の配給日のように、ぞろぞろと家から出ては、ベランダやテラスに椅子を出したり、カフェの外の席へ新聞や読みかけの小説を持ち込んだり、公園でシートを開いたりと、その様子は太陽神への信仰心の現れのようでもあった。朝食に全粒粉混じりのベーグルを半分だけ食べて、わざと冷ましたダージリンを飲み干すと、皿やカップをキッチンのシンクの中へ置き、ミスクは、意を決した。築90年5階建ての3階にある大きめなワンルームの部屋の東南に向いた窓からは、すでに十分な日光が、古い木製タイルの敷き詰められた床に届いていた。まずはTシャツを脱ぎかけたが、その必要はないことに気づいた。次に下着だけを脱いだ。シャワーの前にも同じことをするのに、その時だけは、最後のドアを開けて観衆の前に出ていくダンサーのような緊張を覚えた。その緊張は意外なくらいにちゃんとしていて、脱いだ後に下着をキッチンのシンクまで運びそうになった。そのことに自分でも声に出して笑ってしまい、そのせいか落ち着くことができた。Tシャツだけしか着ていない姿になったミスクは、陽の当たる床に窓に向いて座り、膝を立てて足を開いてみた。お尻がひんやりとしたが、すぐに木の温もりを感じられた。お尻を床に付けることさえ、子供の時以来だろう。いや、そういう事実は記憶にはないのだから、それすら生まれて初めてのことかもしれない。ミスクは、そんなことを感じ、考えながら、身を乗り出して、ヘアのさらに先にあるその部分の皮膚を見ようと、さらに背中を丸めた。その部分を見るには、ヘアが少し長すぎた。日常的にはそう感じることはないが、この場合は邪魔だった。ミスクは先の丸いハサミを持ってきて、ヘアを短くした。切られたヘアがパラパラと床に落下する途中で、その部分の皮膚をかすり、チクリとした。だが、せっかくヘアを切ったのに、まだよく見えない。ミスクは性器の下側に3本の指を当てがって、へその方へと持ち上げてみた。そうすることで、ようやくその部分がなんとなく見えた。その結果、太陽の光の当たり方がまだ不十分だとわかった。日光が垂直に当たるように、腰を持ち上げた方が良さそうだった。つまりそれはかなり滑稽なポーズを窓の外に向かって取ることになる。ミスクは、足を開いて腰を浮かしてみた。すると、生殖器と肛門の間の部分、ペリネウムに朝日がしっかりと当たるのが分かった。もう身を屈めて覗き込む必要もなく、温感でわかった。ミスクは、両膝の裏側に両手を差し込んで保持し、両足が床に戻らないようにして、ペネリウムに日光が当たるのを持続させた。ポーズ自体もつらくはなく、背中のある部分を支点として安定させると、いつまでもそうしてられた。その一風変わった日光浴は、太陽が高くなって窓から陽が入らなくなるまで続けられた。それは30分ほどの時間であったが、ミスクはとても気に入った。なにしろ他に比べるものがないほどの心地よさがあったからだ。体の芯に陽が当たり、そこから熱が中心や全体に広がっていく時の、なんともいえない温もりは、感情にまで波及して、自然と涙が流れるほどだった。

それからしばらく、ミスクはペリネウム・サニングを日課とした。それで分かったことは、やはり晴れた日の、強い日差しの方がより効果が感じられるということだった。股を広げ、腰を浮かし、その部分の皮膚に宇宙空間を旅してきた太陽の光が当たる時の清々しさは、未開の原住民が初めてホットシャワーを浴びた時の億倍の感動に例えられるだろう。ミスクは、ペリネウム・サニングを晴れた日の朝の習慣に組み入れた。そして、天気予報で週に一度ほどしかない晴れマークがついた日を待ち侘びるようになった。もともと鬱っぽいミスクなのだが、その日光浴のおかげで以前よりも気楽に過ごせている実感があった。多くはない知り合いに、ミスクから連絡を入れて、一緒に紅茶を飲みに行ったりすることもあった。ミスクにとっては、それすらも珍しいことだったのだ。多くはない知り合いの中には、ミスクにとって2人しかいない友達もいて、そのどちらも外国人の男だった。一人は、ホイスという名のブラジル人で、もう一人はヤマザキという日本人だった。ホイスはファーストネームで、ヤマザキはファミリーネームであった。日本人は、ファーストネームで呼び合わないらしい。自己紹介する時に、その日本人は、ヤマザキと名乗った。ミスクはその響きが好きだった。意味を尋ねると山の先端じゃないかなと自信なさそうに答えたヤマザキの困ったような表情をミスクは今でも覚えている。ホイスは、ブラジルの田舎町出身で、家族全員の職業は泥棒だと言っていたが、冗談かもしれない。ミスクは、冗談の精度について無頓着なので、人の話は大方信じないでいるようにしていた。そして信じていないことは、誰にも言わずにいる。



太陽に足を開き始めて3ヶ月が過ぎようとする頃、ミスクは、この不思議な日光浴を誰かに紹介しようと思い始めた。相手はただの知り合いではなくて、友達にしようと決めた。これは誤解を招く習慣だし、自分への理解がある程度必要に思えた。リスクがあるのなら、紹介などしなければいいのだが、その日光浴の素晴らしさを自分の内に留めておくことは不可能だった。品切れの心配がない、おいしいパン屋さんを誰かに伝えたくなるようなもので、ミスクにとっては、少なくともパン屋さん以上に大切なものだった。

ミスクは図書館での仕事の合間に、人選へ思いを巡らした。ホイスはきっとその陽気さで笑いながら興味を持ってくれるだろう。そして、その繊細さで、いろいろ気を遣ってもくれるだろう。紹介するには気楽な対象だ。ヤマザキは、その寡黙さが彼の本心を隠してしまうだろう。だけど、彼の誠意のある人柄からして、決してネガティブな捉え方はしないだろうし、探究心があるので、ひょうっとしたらとても興味を持ってくれるかもしれない。どちらを選んでもいいのだが、ミスクはなかなか決められずにいた。実は、誰かに紹介したいというのには、ひとつの目的があった。この3ヶ月間に、どうしても屋外で、いつもより高く強い日光を浴びてみたいという希望が増すばかりとなった。ただ、人気のない場所で、一人でそれをする勇気はなかった。もし誰かがいてくれたら安心なのだが。ミスクはそんな思いを抱きつつ、紹介する相手を考えていた。

普通に考えれば、人前でパンツを脱ぐには、自分を性的な対象とみなさない相手を選ぶ必要があるはずだが、ミスクはそこには無頓着だった。ミスクにはボーイフレンドがいない。そして、ホイラーもヤマザキも女性を恋愛対象としていて、それぞれにガールフレンドがいない。となれば、なんとなく厄介なことにもなりそうなのだが、ミスクは完全にそれを思考から外していた。個人として、ホイラーもヤマザキもミスクの恋愛対象内には入っていなかった。

結局ミスクは2人に声をかけ、2人とも行くことになった。7月の土日は3人とも予定をいれず、晴れた日の決行に備えた。ホイスはどうせ脱ぐのに、いつもよりも値段の高い下着をわざわざ用意し、その話に影響されたヤマザキも、新品の下着をネットで買った。そして日本の褌の歴史と伝統をミスクに15分も費やして説明したが、ミスクはそれには興味を全く示さなかった。自分の国の伝統と歴史の知識は、移住者にとって自分をアピールできるツールなのだが、ミスクはそもそも日本という国には関心がなかった。それはアメリカに対してもであり、もっと言えば、自分の国に対しても興味がなかった。国家とは人工的なものである、と幼ない頃に父の口から出た言葉を聞いて以来、ミスクは国家というものに関心を持たずに生きてきた。

3人が太陽に向かって足を開いたのは、結局7月最後の日曜日になった。ヤマザキがふさわしい場所を綿密に選んだ。そこは、市内から車で2時間ほど走った海辺だった。その岩場は、干潮時には歩いてアクセスでき、満潮時には誰もやって来れない場所になった。そこから陸側は低木の荒地となっていて、陸からも近づけない。フィヨルドの入り組んだ海岸線の南に向いた岩場は、平な場所がいくつかあって、それぞれに適当な距離をとって座った。念のためにと、ミスクを一番南に向いた先に座らせ、男二人は、ミスクの背後側に10メートルほどの距離をとって座った。ミスクは、全裸姿を見られても平気だったが、あの格好を見られるのは恥ずかしかったので、自分はもっと離れたところに移動すると伝えて、適当な岩陰に隠れた。ホイラーは、いきなりあそこをさらしたら、日に焼け過ぎてまずいだろう、と真剣に心配していたが、適当に調整すればいいんだよ、とヤマザキにたしなめられていた。あそこが熱くて夜になっても眠れなくならないように気をつけよう、とホイラーはリーダーのような口ぶりでミスクとヤマザキに大きめな声で伝えたが、2人とも微笑んだだけで、返事をしなかった。

ミスクにとっては念願の屋外でのペネリウム・サニングだった。下着を脱ぎ、さらにTシャツも脱いで全裸になると、仰向けになって足を開き、腰を浮かせて、角度を合わせた。まるで太陽とセックスしているみたいだと思いついたが、だからといって性的な興奮には結び付かなかった。近くで同じように足を開いているはずの男友達の存在があったからでもあった。これは、これは、すごくいい!岩の向こう側からホイラーが山崎にそう言っているのがミスクに聞こえてきた。さらに耳を澄ませていると、「今まで、じめじめした、日陰暮らしだったとは、かわいそうなことをした。」とヤマザキが呟いているのが聞こえた。その部分の皮膚の気持ちが分かる人が、この大きな惑星にいったい何人いるのだろう。ミスクはそう考えてペネリウムにそっと触れてみた。その部分は、熱く、乾いていた。熱い、熱すぎるぜ!ホイラーが向こうで叫んでいる。ヤマザキは返事をしていない。ホイラー、いいから海に入って!熱をとるの!ミスクが叫ぶ。何に入るんだ?ホイラーの大声がかすれている。だから、海に入るの!海よ!ミスクが返す。海に入って頭を冷やすんだ、ホイラー。ヤマザキがそう言っている。頭もそうだけど、あの部分の皮膚を冷やすの、とミスクは思ったが、言わなかった。

#1 裏の森 #2 漱石の怒り#3 娘との約束#4 裸を撮られる時に、百合は#5 モルディブの泡#6 WALKER#7 あの日のジャブ#8 夏休みよ永遠に#9 ノーリプライ#10 19, 17#11 S池の恋人#12 歩け歩けおじさん#13 セルフビルド#14 瀬戸の時間#15 コロナウイルスと祈り#16 コロナウイルスと祈り2#17 ブロメリア#18 サガリバナ#19 武蔵関から上石神井へ#20 岩波文庫と彼女#21 大輔のホットドッグ#22 北で手を振る人たち#23 マスク越しの恋#24 南極の石 日本の空#25 縄文の初恋#26 志織のキャップa href="https://www.neol.jp/culture/104483/">#27 岸を旅する人a href="https://www.neol.jp/culture/105623/">#28 うなぎと蕎麦

藤代冥砂1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある  

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