『呪術廻戦』禪院真希の“殺戮描写”に賛否… 彼女は英雄なのか? 殺人鬼なのか?

まいじつ

『呪術廻戦』禪院真希の“殺戮描写”に賛否… 彼女は英雄なのか? 殺人鬼なのか?

『呪術廻戦』15巻(芥見下々/集英社)

5月31日に発売された『週刊少年ジャンプ』26号の『呪術廻戦』150話が、大きな話題になっている。禪院真希の戦いが描かれているのだが、その展開に読者から賛否の声があがっているようだ。

※『呪術廻戦』最新話の内容に触れています


第150話『葦を啣む -参-』では、真希が父・扇を殺害したと禪院家全体に伝達される。禪院家の武装集団「躯倶留隊(くくるたい)」は、大人数で真希を包囲。だが彼女は、真依が残した呪具を使って、あっという間に敵を全滅させる。

続いて禪院家は、「躯倶留隊」の上位組織で、準一級以上の術師で構成された術師集団「炳(へい)」で真希を仕留めることに。そこには伏黒甚爾の兄・甚壱も含まれていたが、あっさり返り討ちにされてしまう。覚醒した真希はまさに鬼神のごとき強さで、禪院家の男たちはほぼ全滅。最後には「炳」筆頭である直哉が、たった1人で立ちはだかっていた。

禪院家を全部壊すことは本当に“正義”なのか?


禪院家と真希に確執があることは散々描かれてきたので、ご存じのことだろう。さらに最近は、扇のクズっぷりや直哉による真希へのイジメまがいの仕打ち、暴言などで禪院家は読者のヘイトを溜めてきた。

真希は禪院家を〝全部壊す〟ために戦っており、これまでに溜まっていた鬱憤を晴らすかのように舞っている。

まさにカタルシス的展開なのだが、読者からは《すべてを壊す殺戮マシーンになってるの地獄絵図以外の何ものでもねえよ…》《味方側の無双なのに全然スカッとしない。ただの殺戮にしか見えない。スゲェモヤモヤするし、応援できないです》《私は俗世に染まりきった人間なので、真希の殺戮をなんとかして正当化したいけど無理》《禪院家が悪いのはそうなんだけど、ここまでド派手に殺戮しちゃったあと、普通に仲間として合流はどうなんだろ…》《真希さんが本当にやりたかったのは、クソな身内を殺戮することじゃないでしょ。なんでこうなるの》《因果応報ってのはわかるんだけど…。明確な人殺しに、こっちの心理が追い付いてなくて申し訳ない気持ちになったわ》といった声があがっている。

しかし一方で、真希の殺戮を〝正当防衛〟と捉える読者もおり、《真希さん虐殺したみたいになってるけど、殺しにきてるのアイツらだから正当防衛だよね》《禪院家が真希・真依と恵を殺そうとしてたし、これを考えたら正当防衛と言える気もするんだよなぁ…》《個人的感情としては同情しかない。罪を着せられ、殺される予定の彼女らに逃げ道は無かった》《向こうが殺しに来ているから正当防衛。そもそもクソにクソを塗りたくったような感じなので『火の粉を払った』にすぎないかと》《真希さんがいつもの真希さんだったら、こんな殺戮を行わなかったと思う。真依の「全部壊して」の呪いがどれだけ強力だったかという話だよね》などの意見も散見された。

“罪の意識”はどこから生まれるのか?


大量殺戮といえば、渋谷事変での宿儺を思い浮かべる人もいるだろう。この事実に虎杖悠仁は、罪の意識に苛まれていた。しかし、伏黒恵は虎杖に「俺たちは正義の味方(ヒーロー)じゃない 呪術師だ」「俺達を本当の意味で裁ける人間はいない だからこそ俺達は存在意義を示し続けなきゃいけない」「もう俺達に自分のことを考えてる暇はねぇんだ ただひたすらに人を助けるんだ」と説いている。

ドストエフスキーの『罪と罰』を筆頭に、罪の意識というのは物語の展開やキャラを動かすうえで重要なポイント。「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」という思想は、現在にも受け継がれているだろう。「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということわざもあるように、勝者こそが正義としての歴史を紡ぐこともできる。

大きく話題になった真希の無双展開。作者の芥見下々は今後、業を背負った禪院真希というキャラをどのように動かすのだろうか。

文=「まいじつエンタ」編集部
写真=まいじつエンタ

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