<純烈物語>恋人に歌えなかった愛と世界観 尾崎豊に心酔していた白川裕二郎<第98回>

日刊SPA!

―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―

◆<第98回>彼女に歌えなかった愛とその世界観 白川裕二郎の音楽的ルーツは尾崎豊

配信ドラマ、舞台、映画……今やムード歌謡グループの枠にとどまることなく活動の幅を広げている純烈。だが、その“本籍”が歌であるのはどこまでいっても変わらない。

現メンバー4人全員がシンガーでもミュージシャンでもないところから出てきたためか、音楽のルーツがどこにあるのかはこれまであまり語られてこなかった。おそらく、将来の対象として意識することなく接していたのだと思われる。

酒井一圭に誘われなかったら、確実にステージで歌う人生は巡ってこなかった白川裕二郎、小田井涼平、後上翔太の3人。そこへ行き着くまでの「紀元前」に刻まれたのはどんなアーティストであり、作品だったのか――。

◆初めて買ったのは爆風スランプの唄

小学生の裕二郎少年が自分の部屋で過ごしていると、隣から何やら音が聴こえてきた。7つ上の姉が大型のコンポを持っており、そこから漏れてくるメロディーだった。

姉は洋楽が好きで、それがイーグルスやスティングの曲だとあとになって知る。歌詞が英語だから何を言っているのかはわからない。そうした中、日本のアーティストとして一枚の壁を揺らしていたのが爆風スランプ。

小学6年の社会科見学で国会議事堂へいき、バスの中でクラスメートがかけた曲も爆風の『Runner』で、みんなで盛り上がり楽しい歌だなと思い生まれて初めてCD(8cmシングル)を買った。やがて中学に入ると、2年生で尾崎豊の歌詞に衝撃を受ける。

「初めてハマったアーティストでした。歌詞が過激なのに、雑誌とかを読むと純粋な人だと書いてあって、繊細だからそういう歌詞が書けるのかと思ったし、尾崎さんの経験から書かれたものもあると思うけど、ストレートなものが突き刺さったんです。

僕らの時代はまだドカンとか履いている時代でヤンキーの友達が多くて、校舎の窓ガラスを壊して回ったりはしなかったけど、学校をサボってそいつらの家に集まって遊んでいて。そこでよくかかったのが尾崎さんだった」

『ビー・バップ・ハイスクール』や『今日から俺は!!』の世界が現実だった時代。グレていたわけではなかったが、ご多分に洩れず白川も背伸びしたい年頃にあった。

標準よりも少しだけ膨らんだ学生服のズボン、ボタン裏の留め金を細工し、カラーを外して学ランを着た。そういうものがカッコいいと思えたし、ヤンキーだとモテたのだ。

尾崎の歌詞には、そんな自分があこがれる世界観のそのものが描かれていた。先生が気にくわないとか、母に対するイラつきというような自分の他愛ない感情よりもっともっとドラマティックで、ダイナミックかつエモーショナルだから心を奪われた。

◆母親に苛立つ自分を尾崎に投影していた

「世の中や体制に対する反発ってほど大袈裟ではないんですけど、そういう気持ちを抱く時がありました。俺、小学6年で親父を亡くしてから、ちょっとしたことで母親に対しイライラするようになったんです。

今考えると本当にしょうもないことなんだけど、先にトイレにいかれたりとか、朝シャンしている時に風呂のドアを開けられたりすると『なんだよ!』ってなって。そういう時に尾崎さんの歌詞を聴くと『わかるよ、尾崎!』って共感できた」

自宅にいる時も聴きたくなり、友人から借りて姉がいない間にコンポを使った。そこからCDウォークマン、MD(ミニディスク)とハードが進化していく中、学校中の男子が聴きまくった。

大人になってYouTubeを見ると、尾崎が照明のイントレに登り、7m上から飛び降りたシーン(1984年8月4日、日比谷野外音楽堂反核・脱原発フェス「アトミックカフェ」)に当時、抱いた思いが蘇ってきた。左足を骨折しながらセットリストの最後まで歌い続けたという、伝説のライブだ。

「今、その瞬間を全力で生きている――それができる人は素晴らしい。言葉にすると変になるのかもしれないけど自分の人生、どこまで生きられるかわからないというか、一日一日を全力で生きている人に映ったんです。あの映像を見た時にも、そう思いました」

数ある名曲の中で好きなナンバーとして真っ先にあげたのは『COOKIE』、それに『ハイスクールRock’n’Roll』が続いた。どちらも「歌詞の出だしの耳障りがいい」というのが理由。リリックの意味を深く考察したり、人生訓となるようなフレーズを見いだしたりするのではなく、あくまでも言葉を音感で刻むあたりは他のファンとは違っていたのかもしれない。

歌詞に惹かれつつも、言葉ではなく全体像であるストーリー性が白川の心をとらえたのがわかる。もちろん中学卒業が近づくと「この支配からの卒業」と、何度も口にした。

◆「卒業する前に生意気な後輩をボコろうぜ」

「卒業する前に、生意気な後輩を呼びつけてボコろうぜってなったんです。僕は柔道部で、その担任のカトシンって呼んでいる先生がいたんですけど、そのカトシンの耳に入ったらしくて、職員室に呼び出されて。『シラちゃんよお、おまえらが一個下のやつら集めて一人ずつ殴るって話になっているけどさ、おまえはそんなやつじゃねえだろうよ』と諭されて。

そのカトシンっていう先生、おかんが小学校の教師だった時の教え子なんですよ。家庭訪問へ来た時に2人が『加藤先生って……小学校の時にいたあの加藤君!?』『ええっ、白川って白川先生のことだったんですか!』ってなったのを、目の当たりしたという。まあ、そういうこともあって先生の言うことを聞いて、やらなかったんですけどね」

高校に進学したあとも尾崎は聴き続けた。1年時に「かわいい女子軍団とカッコいい男子軍団」の集まりがあり、そこへ招集がかかった。

男子の誰を呼びたいかとなり「裕二郎君がいい!」とリクエストされたらしい。その中の一人が、この国に住む者であれば誰もが知る超一流大企業の社長令嬢だった。

◆カラオケすら唄えなかった「16の夜」

まるでホテルの部屋のような造りのカラオケルームにいった。高校生では手が出ないところだが「私が全部払うから」と、その子がお金を出し貸切状態に。ここはみんなで歌って盛り上がる……ところなのだが、白川だけひとりマイクを手にしなかった。

女子の前では歌えないほどシャイだった。中3で家族旅行にいったさい、スナックで歌ったのが初カラオケ。その時はLINDBERGの『今すぐKiss Me』を1オクターブ下げて男声に近づけたのだが、顔から火が出るほどに恥ずかしくトラウマになっているのもあった。

「歌わずにいる僕の隣にその子はずっと座っていて『なんで歌わないの? 聴かせてよ、白川君の歌』って言うんですけど『無理無理!』とか言うだけで。後日、その子に告白されて、そこで初めてそういうことだったのかと気づくわけです。鈍感でしたねえ。その子はカラオケ好きでよく友達といっていたらしいんですけど結局、彼女の前では一度も歌えなかった」

◆愛を唱える尾崎の歌をあれほど聴いていながら…

世の烈男さんたちは「そこで尾崎の歌だろ!」となると思われるが、口の周りにケチャップがつくからという理由で、彼女の前で大口を開けてハンバーガーを食べられない思春期だった。大人になった今なら自意識過剰で、常にカッコをつけていただけだと自覚できるのだが。

十代ゆえ、恋愛上手ではなかったとも言える。彼女とデートするよりも男友達と遊んでいる方が楽しく、また部活も忙しかった。

だから告白されてつきあってもその間、ほとんどデートにはいっていない。スマホがない時代、自宅に「花火大会があるから」「縁日にいこうよ」と誘いの電話をかけてくれたのだが、どれも気乗りせず断った。

「形ばかりのつきあい」は2ヵ月ほどで自然消滅。愛を唱える尾崎の歌をあれほど聴いていながら、自分は不器用だった。

「今思うと、すごくかわいそうなことをしましたね……」

そんな「裕二郎君」が、31年経って聴く者の心に染みる愛を歌っている。尾崎豊の作品へ付随してくる甘酸っぱさが、白川の音楽的源流にあるセピア調の情景へほのかな色合いを描くのだ。

撮影/ヤナガワゴーッ!

―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―

【鈴木健.txt】

(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

当記事は日刊SPA!の提供記事です。

あなたにおすすめ

ランキング

ランキングをもっとよむ

注目ニュース

注目記事をもっとよむ

あなたにおすすめ