人種・国籍を越えて人々が共存していくために必要なものとは?/サヘル・ローズインタビュー

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映画『女たち』(製作:奥山和由、監督:内田伸輝)が6月1日に公開される。

孤独な気持ちを抱えながら生きる女たちの姿を描いた本作でサヘル・ローズは、篠原ゆき子演じる主人公の母親(高畑淳子)を介護するヘルパー・田中マリアム役を演じている。

マリアムは当初母から拒絶されながらも、真摯な働きぶりで信頼を獲得し、最終的にはこんがらがった親子関係を解きほぐす存在へとなっていく──彼女が本作の演技に込めた思いを語っていただいた。

サヘル・ローズ
1985年生まれ。イラン出身。7歳までイランの孤児院で育ち、8歳の時に養母と来日。タレント・俳優として活動の幅を広げ、主演映画『冷たい床/Cold Feet』ではミラノ国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞した。2018年には舞台『恭しき娼婦』でも主演を務めた。社会貢献活動にも積極的で、国際人権NGO「すべての子どもに家庭を」の親善大使も務めている。

ーー高畑淳子さん演じる、ハンディキャップを持った女性を介護する外国籍のヘルパーという役柄を演じるにあたって、どのようなことを念頭に置かれましたか。

今回の映画は、突拍子もないような内容ではないですよね。私が演じたような外国籍のヘルパーの方々って、日本にもたくさんいらっしゃいますし、これから日本の高齢化が進んでいくなかで、もっと増えていくと思われます。

そういった私たちの身近にいる存在であるマリアムを、どれだけリアルに感じてもらえるか──そうした目標を抱きつつ演技に取り組みました。

その意味では、下手に自分の思い込みで演じると嘘になると思ったんです。ですからまず実際に、主演の篠原ゆき子さんと一緒にホームヘルパーの施設に行って研修を受けました。そのときに働いている方々にお話を伺ったことが、役づくりに繋がっているんです。

映画の中でマリアムは、母娘の問題に入り込んでいく役となっていますけど、家族の問題に入り込むことは、ヘルパーの業務外になってしまうので、本当は避けるべきだと学びました。

でも物語上マリアムは、母娘の間を取り持つことが重要な役割になっている。どうしたらリアリティを損なわずにこういった状況を表現できるのか考えながら演じました。

ーー『女たち』には“コロナ禍の日本”がリアルに描かれています。仕事中はマスクを付けていて、顔が見えないシーンもありましたね。

マリアムは初登場の場面から、マスクを付けた姿なんですよ。最初、「これは、最後までマスクなのか?」と思って(笑)。見えている目の表情だけで、彼女の感情をどう表現すれば良いのか悩みましたね。さらにマリアムは言葉数が少ない性格で、強いセリフを言うわけでもない。

でも幸いなことに、私はイラン出身なんです。イランの女性たちって、元々、外で顔を出せなかったり、抑圧によって制限されながら生きているわけじゃないですか。だから、みんな言いたいことが目に豊かに表れたりするんです。そういった民族的な歴史が、おそらく私の中にも刻まれているはずなので、私の中の武器が使えるって思ったんです。だから、それが発揮できていると感じていただけたら良いなって思います。

ーー役柄として高畑淳子さんと一緒の撮影が多かったわけですが、あの激しい母親像をどのように受け止められたのでしょう。

他人事ではなく、自分と母親の関係を重ねられる部分が多いなって感じましたね。親と子って、近いようで遠くにいる存在だと思うときがあって、どこかで遠慮してお互いをさらけ出せない部分があるので、本作のように気持ちがすれ違うことは少なくないと思うんです。私の母も歳を取ってきて、体も弱くなってきていますから……人が弱くなってきたときに頼れるのって、家族しかいなくなってくるわけです。

映画で篠原さんと高畑さんが演じている母娘と同じで、私の家族も母と娘なんですよ。なので、私がいつか様々なことで助けることになります。劇中の母親のように、介護をしていて理不尽なことを言われることもあり得ますし、そういう意味で、自分の未来を考えさせられたり、もっと先に自分が介護される側になることも考えてしまいます。

人って誰かに寄りかかることで生きていられるところがありますよね。「迷惑をかけちゃいけない」って言うけど、「人って面倒を掛け合いながら生きてるし、迷惑をかけて良いんだよ!」って思うんです。そういうことを、この作品で伝えられたら良いなと考えています。

ーードキュメンタリー作品のように、リアリティある掛け合いが、本作の演出や演技の特徴でした。

この作品はアドリブも多く、現場で台本は何度も変わりました。例えば篠原さんがこう動いたから、こう出るとか、それが監督の意図と表面的にズレていても、見ている方向が同じであれば良いという方針だったんです。なので、役者がそこで発する言葉は、セリフでなく本当に会話でした。

篠原さん、高畑さんと演じたエンディングも、撮影の日に変わったんです。ここまで自分たちの演技で台本を変えてきたので、私たちは元の台本の流れでは演じにくいということを監督に相談して話し合いました。

本作のエンディングは、みんなで提案し合ったり議論しながら、現場で作り上げたんです。

ーーそれが、蜂蜜をお母さんに渡す、マリアムのシーンに繋がっていったわけですね。

苦しいときに自分の心をほぐしてくれる食べ物ってありません? 私はそれがカリカリ梅なんですけど(笑)。働きバチが集めてきた蜜っていうのは、厳しい現代社会で頑張っている娘の気持ちを代弁したものでもあると思うんですよ。

じつはイランの風習では、結婚式のときに、花嫁と花婿が誓いのキスの代わりに二人で蜂蜜を舐め合うんです。その瞬間、二人が繋がるんです。これは台本を書くときのヒアリングで監督にも話しています。

ーーだからその役割をサヘルさんが……

させてくださったんだと思います。離れかけた二人の関係を繋ぎとめるという意味で。

ーー外国籍のヘルパーという存在についてはどのような印象を持たれていますか。

言葉の壁もありますし、介護される方によっては不安を覚える場合もあるじゃないですか。「家の物を持って行かれるかもしれない」と警戒する高齢者の方もいらっしゃると聞きます。でも、そんな外国の人に対する固定観念をぶつけられたら、当然本人は傷つくわけです。

これからの日本社会は、外国の人たちに頼らざるを得ないわけですよね。だから、マリアムという本作の登場人物は、ある意味で日本が直面する問題を映し出す存在だと思っています。内田監督は、もしかしたら役にそこまでの意味を持たせようとは思っていなかったかもしれませんが、私としては、自分がその存在になり切ることで、差別や偏見に関する問題を感じさせることができないかなと思って演じていました。

ーーサヘルさん自身も、役に重なるような経験がありましたか。

ありましたよ。やはり疎外感を感じるときはありました。本作でマリアムが出会い頭にお母さんから「何なのこの外国人」って言われてしまうように、言葉で圧力をかけられたこともあります。

他の国に来て生きるというのは、それだけでまず居場所がないってことなんです。異国の地に向かう人たちって、それぞれに異なった物語を持っています。マリアムの背景は、映画の中では描かれないし、設定も作り込まれてはいないんですけど、私の中にはあるんです。それは映画を観ている方たちには伝わらないんですけど、本作が描く女性たちの孤独というテーマと、私の中のマリアムの像は重なるんです。

「日本に来ている外国人」という先入観で人を見るのでなく、どんな背景を持って、どんな事情を抱えているのか、その人個人にもっとみんなが興味を持っていただきたいんです。いまは無関心な社会ですから、いろんな問題が起きたとき、社会全体が関心を持ってしっかりと怒らないから、良くない方向にいくことがあるわけでしょう。だからできるだけみんなが人や物事に関心を持って、向き合う社会にしないと。

外国人だけでなく、価値観の違う人とも共存していかなければならないわけです。向き合わないことで共存が難しいのなら、その意識を少しずつでも自分が変える努力をしなければと思うんです。大勢の人の意識をすぐに変えることはできないけれども、『女たち』を観た人の中でひとりでも意識を変えてくれたら良いなって。映画って、そういう力を持っているって、信じているんです。

(取材・構成:小野寺系、撮影:細谷聡)

『女たち』
6月1日(火)TOHOシネマズシャンテ他全国公開!!
配給:シネメディア、チームオクヤマ

当記事はwezzyの提供記事です。

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