5月5日は自転車の日!最初は馬車の代用品でペダルがなかった「自転車」の歴史

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なかなか旅に出られない時期が続いています。だからこそ旅に使う、旅に関係した身近な道具や持ち物の歴史に注目して、旅の「お供」の価値を見直せればと思います。5月5日は「自転車の日」ということで、旅の移動手段にもなる自転車の歴史を振り返ってみました。
自転車
(C)Coco Ratta / Shutterstock.com
最初は「ストライダー」みたいな乗り物から
ドライジーネ

ドライジーネ(Drais' 3-page printed description of 1817 )photo by Wilhelm Siegrist (1797-1843?)

そもそも人は、自転車にいつごろから乗るようになったのでしょうか。手元にはドラゴスラフ・アンドリッチ、ブランコ・ガブリッチ著、古市昭代訳『自転車の歴史』(ベースボール・マガジン社)という大型本があります。

同書によると、自転車が歴史に登場する時期は18世紀後半から19世紀初めごろ、舞台はヨーロッパだと書かれています。その背景には意外にも、男女ともに衣服の簡素化が始まり、散歩やスポーツなどの野外活動が自由になり始めたファッションの変化もあったといいます。



カール・フォン・ドライス男爵 photo from Wikipedia

その当時、ドイツにカール・フォン・ドライス男爵という人がいました。独ハイデルベルク大学(通称)で建設業、農業、物理を学んだ後に、森林管理官として林業に従事しながら、発明の楽しさにとりこになっていた彼は、1817年に馬車の代用品として「ドライジーネ」という自転車を発明します。

その瞬間が、表向きは自転車の誕生として歴史に記録されています。発明の目的は、手軽で楽しい全身運動として、「ホビーホース」を生み出す狙いがあったみたいですね。しかし、そのころの自転車は、現代でいう「ストライダー」(ペダルがない子ども用ランニングバイク)と同じで、自転車にまたがり自分の足で地面を蹴って進むタイプでした。

ドライジーネ

初期のドライジーネ(Laufmaschine des Karl Friedrich Drais 1817, gefertigt durch Johann Frey, Stellmacher in Mannheim)photo from Wikipedia

同じ構造の乗り物でいえば、1791年にはパリのパレ・ロワイヤル公園でも、セレリフェールという人が同じ自転車をつくり試乗しています。どちらを本当の自転車誕生の瞬間と言うかは、恐らくドイツ人とフランス人で意見が大きく異なるはずです。いずれにせよ今から200年ほど前、自転車はペダルのない状態から歴史をスタートさせたのですね。
自転車にペダルが付く
ミショー型

Michaux bicycle 1870 photo from Yesterdays Antique Motorcycles en Classic Motorcycle Archive

ペダルなし自転車に次の変化が生まれる場所も、ドイツとフランスでした。

年代順にいえば、後にドイツにおける「ボールベアリング工業の父」とも呼ばれる、ドイツ人の楽器修理人・フィリップ・モーリッツ・フィッシャーが、1853年ごろにペダルを前輪に付けます。

さらにペダルなし自転車のもう1つの母国であるフランスでも、政府お墨付きの公式見解として、ピエール・ミショーが「自転車のペダル発明者」として記録されています。錠前師、馬車製造業者として働いていたミショーは1861年、足で地面を蹴るタイプの自転車(ドライジーネ)の修理を頼まれました。

ヨーロッパ各地に広まりを見せるものの、当時ドライジーネはまだまだ珍しく、ミショーもその時に初めて実物を見たといいます。そのドライジーネに当時19歳だった息子のエルネスト・ミショーが乗ってみると、「自分の足でけって進まないといけないので大変。乗り心地も悪い」と感じたのだとか。

そこで父に改良を持ちかけると、父ピエール・ミショーは「地ならし機械についているよう軸棒を前輪に付けてみたらどうだろう。片足で踏めば、反対の足が上がってくる」と考え、図面を引きました。地ならし機械についている軸棒とは、今でいう三輪車のペダルのような構造のパーツです。

ミショーの息子

息子のエルネスト・ミショー。photo from Wikipedia

このアイデアをきっかけに、ミショー親子は前輪可動のペダル付き自転車を2台製造・販売します。1862年には142台、1865年には400台を売り上げたのだとか。

単純に年代の早さでいえば、自転車ペダルはドイツ人の発明とも考えられそうです。しかし、商業化した(世に広めた)人物という視点で見れば、フランス人親子が最初の発明家ともいえます。いずれにせよ、初期にはドイツとフランス人が、決定的な仕事を続けていたようです。
前輪が巨大なお化けみたいな自転車でスピードが増した
オーディナリー

Ordinary bicycle, Skoda Museum, Mlada Boleslav, Czech Republic photo by Agnieszka Kwiecień

そのミショーの自転車も、新しい自転車の登場によって駆逐されます。新しい波は、ドイツやフランスとドーバー海峡を挟んだ、イギリスで生まれました。

それまで、自転車の決定的な進化にはドイツ人やフランス人の発明家たちが大きな影響を与えていました。しかし、次の変化はイギリス人であるジェームス・スターレーとウィリアム・ヒルマンがもたらしました。

彼らは大きな前輪、小さな後輪、車体全体が金属製で軽やかなデザイン性を重視した自転車を開発し、その優雅さ、気高さ、美しさで、新しい自転車の価値観を示しました。彼らのつくった自転車は、フランスで「ル・グランビ」、ドイツで「ホフラッド」、アメリカでは「オーディナリー」という名前で販売されます。

当初は「面白いが実用性に欠ける」「興奮はかき立てるが無駄」「役立たずの代物」という評価を受けたそうですが、次第に自転車=スポーツという印象が認知されていくとともに、その走行性が評価され、広まっていったといいます。

さらに自転車のスポーツ化が進み、速度が求められるにしたがって、彼らがつくった「オーディナリー」の自転車も上の写真のように前輪がどんどん大きくなり、1878年にはイギリスの道路に、5万台もののっぽ自転車が走ったみたいです。

とはいえ、この極端な形状の追求は、逆に現代自転車に通じる次の発明を生む原動力になります。前輪の大きなお化けのような自転車は、転倒リスクも当然高いため、次第に安全性が重視されるようになるのですね。
チェーンで後輪が動く「バイシクル」の誕生
優雅さと気高さ、さらにはスピードを重視した自転車の危険性を見直す動きが出てくると、同じイギリス国内で、転倒しても安心な重心の低い(前後の車輪の大きさが極端に変わらない)セーフティーな自転車が生み出されます。



1878年時のローソンがつくった後輪駆動の自転車(Lawson's Safety 1878)photo from Wikipedia

前輪を小さくして、後輪を大きくし、チェーン伝導を利用した後輪駆動の自転車というアイデアは、1860年代にはすでに考案されていました。しかし、その安全性の高いスタイルで商業的に成功を収めた人は、イギリス出身のヘンリー・ジョン・ローソンでした。さらに彼は開発を進め、1879年には「バイシクレット」と呼ばれる、前後の車輪の大きさが似ている自転車も開発します。

「バイシクレット」とは、現在のバイシクルの語源にもなっています。前輪を支える支柱(フロントフォーク)を斜めにして、サドルの位置も後方に下げ、正面からの衝突に強いデザインになりました。1879年とは、日本でいえば幕末の大政奉還から10年ちょっとがたったころです。

セーフティー型

ジョン・ケンプ・スターレーのつくった自転車(Ladies safety bicycles1889)photo from Wikipedia

さらに、イギリスでは別の発明も生まれます。安全性に対する好みが市場の主流になっていく中で、のっぽ自転車の生みの親であるジェームス・スターレーのおい、ジョン・ケンプ・スターレーが、ウィリアム・サットンと組んで、ほぼ前輪と後輪の大きさが同じ自転車を生みます。

「ローバー」と呼ばれるその自転車は、現代自転車の直接的な祖先ともいわれています。1885年2月にショーでお披露目された時には、「みにくい」「ちんちくりん」「カブトムシ」「シラミ」などといわれ、好意的な人でも「臆病者や老人向け」と評価しました。



ジョン・ケンプ・スターレーの会社の広告(J. K. Starley & Co. Ltd advertisement)photo from Wikipedia

しかし、実際にタイムレースをしてみると新記録が出るくらい、「ローバー」はスピードと安全性が両立された自転車だと判明しました。その瞬間から、商業的にヒットを始めるのですね。
日本に自転車は明治維新直後に入ってきた


錦朝楼芳虎,孟斎芳虎『東京日本橋風景』 image from 国立国会図書館オンライン

現代自転車の祖先とも言える「バイシクレット」や「ローバー」が生まれた時期は、日本だとすでに明治維新が起きて、10年以上が経過したころです。欧米の文化は明治維新とともに大量に日本に入ってきています。日本に最初に入ってきた自転車は、もちろん「バイシクレット」や「ローバー」ではなく、もっと古いタイプの自転車でした。

明治維新後すぐに、佐藤アイザックという人がアメリカから自転車を輸入したという記録があります。明治に入ったばかりの東京日本橋を描いた絵画にも、馬車に交じって路上を自転車で走っている人の姿が見られます。このころ日本に入ってきた自転車は、ミショー型です。ミショーは、自分で地面を蹴って乗った自転車(ドライジーネ)の修理を頼まれたフランス人の親子でした。息子のエルネスト・ミショーが、父ピエールの描いた図面通りのペダルを取り付けたころの古いタイプです。

『自転車の一世紀―日本自転車産業史―』(自転車産業振興協会)を読んでも、明治初期の日本に入ってきた自転車は、前輪ペダル駆動式で「ボーンシェーカー」と呼ばれるミショー型の自転車だったとされています。ボーンシェーカーとは、直訳すると骨を砕く乗り物といった感じ。車輪が木、サスペンションも何もないミショー型の自転車は、ちょっとした段差でも激しい衝撃がドライバーに伝わるので、「骨砕き」と言われていたのですね。

それでも在日外国人や一部の物好きに自転車は乗り回され、日清・日露戦争を経て近代国家へと日本がいよいよ本格的に生まれ変わっていくとともに、国産車が生まれるようになりました。第二次世界大戦前までは、世界の三大自転車国としてイギリス、ドイツとともに、日本車はアジアを中心とした海外市場にどんどん進出していたといいます。その後、第二次世界大戦で日本史はリセットされますが、戦後の経済復興では日本の自転車もよみがえり、今の自転車文化がつくられていくのです。

自転車
(C) Gumpanat / Shutterstock.com

以上が旅の道具にもなってくれる自転車の歴史でした。何気なく乗っている自転車も、以上のような歴史を踏まえてまたがってみると、気分も変わってくるはずです。早速今度の週末にでも自転車に乗って、近所の旅を楽しんでみてはいかがですか?

[参考]
※ こどもくらぶ『Q&A式 自転車完全マスター 3自転車の歴史と文化 日本の自転車・外国の自転車』(ベースボール・マガジン社)
※ ドラゴスラフ・アンドリッチ、ブランコ・ガブリッチ著、古市昭代訳『自転車の歴史』(ベースボール・マガジン社)
※ 『自転車の一世紀―日本自転車産業史―』(自転車産業振興協会)
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当記事はTABIZINEの提供記事です。

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