高橋優が描く希望の形、「誰かを意識した時、少し心の中に灯るような音楽にしたかった」

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昨年2020年、デビュー10周年を迎え、よりパーソナルなその名も『PERSONALITY』と銘打ったアルバムをリリース。コロナ禍の影響で、4年間毎年秋田県の異なる市で開催してきた『秋田CARAVAN MUSIC FES』はやむなく中止となったが、新鮮な角度でルーツである故郷を再発見する旅は続いている。そしてアルバム以来となるニューリリースは“独身のカリスマ”ことジェーン・スーの著書を原作とし、話題のドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』のオープニングテーマとして書き下ろした「ever since」。娘から見た父親、十分に大人になった子と老境にある親の間にある嘘のない、でも淡々とした描写を高橋自身のフィルターを通して表現した、新しい魅力を感じさせる1曲になっている。


――去年は例年通りに動けない状況はありましたけど、高橋さんの場合は『秋田CARAVAN MUSIC FES』が中止になったり。いつも通りに行かなかったからこそ再認識したことはありますか?

改めてあの『秋田CARAVAN MUSIC FES』っていうのは、フィールドワークで成り立っていたフェスだったんだっていう。今の時代って難しくて、やろうと思えばやれるじゃないですか。賛否あるけど、「やったら危険だよ」なんて言われるけどやる人もいるし、開催されても行かない人もいるし。で、去年の段階で中止にしようって最終的に踏み切ったときは、そのモヤっとする感じがすごく多かったというか。自分たちも、“まぁ今回のことはこれぐらいのことでやるっきゃないね”みたいな感じになりそうだったんですよ、いろんな意味で。でも、わざわざはるばる来ていただく場所だと思っているので、そういう場所に、例えば県外から赴いてもらって、“まぁ今年はこんぐらいですけどね”っていうようなものはやりたくないっていう。やるからには、4年間やってきたみたいに、秋田に行って、秋田の人と協力して、市の方々――市長さんにも話に参加してもらったりして、会ってやらなきゃいけない。そういうフェスをやっているんだっていうことが、逆に僕的には再認識できたっていうか。僕らがやってるフェスっていうのは、やっぱり人と人が会って、人と人で繋がらないとやれないし、リモートライブが今、盛んになってますけど、『秋田CARAVAN MUSIC FES』は、まだ今のところ時代に乗っかろうとはしてないというか。ちゃんと会って、来てもらって、その空間でやることに価値があるんじゃないかなぁっていうのは思ってますね。

――開催する市のガイドブック『秋田キャラバンガイド』がホームページで読めるじゃないですか。あれを拝見してて、高橋さんのやってることってASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤さんがやっている『THE FUTURE TIMES』に似ているなと思って。

ははは。そんな先輩には及びませんけど。

――取材対象が同世代の方が多くないですか?

そういう世代なんだと思う。割と今、血気盛んに仕事している人とか、例えば酒蔵を継いでいる人が僕の世代なのかな、ぐらいに考えてました。

――様々な職業っていうのは、理由があって続いてきてるというか。お祭りとかも人間の五感が研ぎ澄まされるじゃないですか。昔から引き継がれている仕事がなくなると、人間にとっての大事な感覚や能力が失われるなと思ったんです。

それを『キャラバンガイド』を見て思って貰えたんですか?(笑) 嬉しい。僕ら制作側の気持ちを汲み取ってくれているようで。でもあれは、僕が楽しませてもらっているというか、僕がまず秋田を満喫して、“こう満喫できるよ”っていうのをただ紹介するぐらいの感じに……それだけじゃダメなんですけど。ああいう人たちが作っている食べ物とかほんとに美味しいし。去年の『キャラバンガイド』で言うと、じゅんさい採りとか、楽しいんですよね、普通に。だから、やっぱりまだ“知られてないだけ”というか。「あんま楽しいことないよね」なんて言ってるような人たちに「是非ともこれやってみて」って言いたいことが秋田にはいっぱいあるし。

――このフェスをやってらっしゃること自体そうだと思うんですけど、高橋さんが地元に向き合えるようになったことも大きいんじゃないかと思って。なかなか若い時は難しいかもしれないし。

ああ。僕は秋田県好きじゃなかったですもん、18歳の時とか。好きじゃなかったから出たので。ずっと秋田県に住んでいたら、もしかしたら、今も好きじゃなかったかもしれない。たらればの話で申し訳ないですけど。自分にしか見えてない部分、もしかしたらあるかもしれないなっていうのは確かにありますね。

――そう思う人が表現なり、何かをするんだと思うんです。ずっと地元大好きで、人間関係が好きな人は、あまり表現には向かわないのかもしれない。

そういう人の表現も聴いてみたいですけどね(笑)。超ハッピーみたいな。音楽とかが必要な時って、僕の場合はやっぱ足りない時だったから。“なに!?”って思った時に、ヘヴィなギターのサウンドを聴いて気持ちが安らいだりとか、もっと落ちるすごい暗い歌詞の曲を聴いて、逆に癒されたりとか、あったから。自分もそういうアプローチになってる部分もあるかもしれないですね。


これを言ったら友達とかいなくなっちゃうかも知れないけど、全部が僕の中では曲作りになり得るものだと思ってるんですよね。


――コロナ禍でもあり、特に去年はおうちで自分と向き合ったりする感じでしたか?

家にいる時間は長かったですね。自分と向き合ってたかはちょっとわかんないですけどね。曲は書いてました、ずっと。なんかリモート飲みとかって、あんまり楽しくなかったんですよね。だから自ずと曲を書いたり、自分の時間を過ごすことが多かったですね。

――コロナ禍に突入してからの曲ばかりじゃないかもしれないんですけど、去年リリースのアルバム『PERSONALITY』は高橋さんの本音の吐き出し方がこれまでより濃いぞ、と思ったんです。面白い方に振った曲も、尖った内容も。

ああ。ほとんどコロナ禍で書いた曲です。

――ある種、これも曲のタネだなっていう部分もありつつ?

とあるミュージシャンと曲作りについて話したことがあって。大きく分けて2パターンあって、曲を書くために取材するぞ、みたいな人、メモ帳を用意している人とか。で、その人から見たら僕はそうじゃなくて、「人生全部、曲作りと思ってるでしょ」って言われたんです。友達と喋ってる時も、ラジオ番組に出てる時も、心のどこかで“これ全部、曲になる”と思って生きてるでしょ、って言われて、否定できなかったんですよね。やっぱり自分って何のためにいるのか?って思ったら、そういうとこになってくるんですよね。自分っていうフィルターを通して見たものを音楽にして届けるっていう、何かしら、自分の根底の部分にその価値観があるから。だからこれを言ったら友達とかいなくなっちゃうかも知れないけど、全部が僕の中では曲作りになり得るものだと思ってるんですよね。そう考えていくと、コロナ禍っていうものに対して、コロナっていう曲を書こうとは思わないけど、どこかであるかもしれないですね。今だから書けるものを探してるっていう部分は。

――上辺のイメージで聴いてる人はものすごく驚くと思います。

(笑)。曲作りはずっと楽しかったんですよね。それこそインディーズの頃みたいに、時間があるから書いて。いくらでも煮詰める時間があるから、どこを完成とするか?ぐらい悩めるのって、なかなか珍しい。ここで完成しないと締め切りがどうのとか、そういうのも特にないし。だから濃い味になったんですかね、自分ではちょっとわからないけど(笑)。


自分のちょっとパーソナルな部分とか、作ろうと思った部分が、これからドラマが進んでいくともっと噛み合っていくといいな。


――そして、アルバムの最後の曲がタイトルチューンの「PERSONALITY」だったので、今回のシングルにもつながるなと。ラジオに関連しているし。良いドラマで久しぶりにドラマというものを見てるんですけど、この『生きるとか死ぬとか父親とか』のオープニングテーマのオファーはどういう形で、いつ頃きたんですか?

去年の、割と年末の方だったと思うんですけど、お話しをいただいて、台本もいただいて。で、監督だったりプロデューサーの方だったりとリモートで打ち合わせさせてもらって、という流れでしたかね。個人的にはジェーン・スーさんの原作を読ませてもらったりして。僕、父親と割と仲良いんですけど、姉が二人いて、10個上の姉が父親を見るときって、どっかこういうニュアンスだった気がするっていうか。やっぱり、息子が母親を思うのとか、一応、異性じゃないですか。その辺りのニュアンスがちょこちょこ出てくるのがまず面白いなと思ったのと。もちろん全体を通して、ジェーン・スーさんの物語の切り取り方というか、話し方が面白いので、ぜひこのドラマ以外にも全部の本を読んで欲しいぐらいで。この『生きるとか死ぬとか父親とか』に限っていうと、やっぱり娘と父っていうことと、父親っていう肩書きを持った男性っていうことになると、自分も今、37なので、父親になってもおかしくない年齢だし、でも父親も今もいるしみたいな。そういう風に、自分や自分の姉とかと置き換えながら読みましたね、最初は。

――非常に現代に読まれて然るべき作品なんじゃないかと。

あとはジェーン・スーさん本人のラジオでお話しさせてもらったんですけど、改めて思ったのが、今、こんな感じのお父さんは少ないと思うんですよ。あの時代の好き放題やってたお父さん世代と(笑)、その娘のジェーン・スーさん世代ならではの時代背景がかなり入ってるお話なんだなっていうのも、ジェーン・スーさんと話してて思いましたね。高度経済成長?

――ベビーブーマー世代ですよね。

そう。で、バブルとかもあって、ほんとに赤い服着たり、イエーイ!ってやった世代のお父さんたちが娘を持ったタイミングの話だったりするから、ものすごい自由気ままで人懐こくて、ちょっと悪くいうと自分勝手なお父さんだけど、その時代背景でいうと、そういうお父さんはたくさんいたんだと思いましたね。で、そういうお父さんにちょっと困ってた娘とか、困ったり好きだったりするのかもしれない、っていうのをご本人と話してて思いました。

――高橋さんのお姉さんは、ドラマをリアリティを感じながら見ていらっしゃるかもしれませんね。

(笑)。うちの話でいうのもちょっと恥ずかしいんですけど、10個上の姉が見てきた父親と、僕が見た父親って多分違うんですよ。同じ父親なんですけど、僕の時はだいぶ丸くなってる。姉が子供の時の父親は怖かったんですよ。いろいろギラギラしてて(笑)。そういう違いとかも面白いなっていうのは、原作を読んでる時に思いましたね。

――ドラマのオープニングテーマというところで、曲調などで考えたことはどういうところですか? 何をどう書きたいなとか。

いろんな人からいろいろ「こんな曲にして欲しい」っていうのはいくつかいただくんですけど。監督とお話しして思ったりしたことは、割とパーソナルな、それこそ『PERSONALITY』のアルバムに続く――続けようと思ったわけじゃないんですけど、僕が思ったのは、やっぱミクロの世界というか、超個人的な方にシフトして行こうかなと思いましたね、今回は。ドラマだから間口を広くして、誰にでも受け取れる感じの曲になって行こう、みたいなのをやめるというか。そっちじゃなくて、“絶対、特定の誰かに歌っちゃってるじゃん、これ”みたいな方にしていく方が、逆にドラマとハモるというか、うまく混ざり合うかも知れないし、うまくお互いにゴツゴツと存在感を主張する感じになっていいかなっていうのが、今回の結論だったので。パーソナルな部分っていうのは心がけましたね。

――高橋さんの今のテンションと、ドラマの現実的なある種の苦味が、ちゃんとほんとのことを描いているので、それがリンクした感じがします。

あ、それは嬉しい。まだドラマが始まったばかりでちょこちょこと感想をいただてる段階で、みんなにどう受け止められているか、ソワソワしてる部分もあったり。だから、自分のちょっとパーソナルな部分とか、作ろうと思った部分が、これからドラマが進んでいくともっと噛み合っていくといいなって思ってますけどね。


久しぶりに実家に帰る時にちょっとかっこつけて帰ろうとか、ちょっと心の中がほわ~んって、熱を持ってるというか、光ってる感覚、僕はあるんですよ。


――この曲、面白いのは穏やかな曲なんですけど、一行一行がパンチラインで。

そうですか? 嬉しいな。

――誰しもある程度、大人になると思い当たる出来事でもあり。ここまで親に対して形容できたり、《強い人じゃなくて 強がりが上手な人》とかいうふうに。みんながみんな曲を書いたり文章を書かないので、言葉にしないですけど、かなり全部パンチラインじゃないかと。

おお、励まされます。

――高橋さんは、お父さんの中に自分を見るようになってきたってことですか?

やっぱり、そこは抗えないものがあるなと思いますね。ありませんか?(取材の場にいる人たちに聞く) 逃れようとするじゃないですか? “俺はこの親から生まれたわけじゃない”っって言いたいぐらい。

――ははは。ひどい。

(笑)。反抗期の時とか、誰々さんちのお父さんがよかったとか、誰々さんちのお母さんがよかったとか、もっと若けりゃよかったとか、ありとあらゆる無い物ねだりみたいなものをする時期があって。その名残が何歳になってもちょっとあるんですよ、正直。

――親とはいえ別の人間だし、後天的に自分が獲得していったものもあるだろうし。

そう。音楽を始めた理由も、父親がやっていたからっていうのもあるんですけど。僕の父親は民謡を歌ってたわけで、僕はそうじゃないとか、抗ってる部分はずっとあって。今も家族と話してて、どうでもいいことで“なんでわかんないんだ”みたいなことになったり、そういうことあるんだけど、そうなればなるほど、心のどっかで“あ、わかる”っていう。相手が引っかかってる部分はすごくよくわかってたりするんですよ、実は。似たようなところがあるから嫌いになったり、争いになったりする。普通に容姿も似てきたりするっていうのもあるのかも知れないですけど。だから、僕の親と会ったことがない人たちとかでも、やっぱり僕の親からもらってるエッセンスをきっと感じているんだと思うんですよね。喋ったら、「すごい優さんと同じだった」とか言われたりして。「どこが? 全然違うよ、俺と親と」、「いやいやいや、やっぱ外から見るとすごい一緒だよ」みたいなことが。前は嬉しくなかったんですけど、そこがちょっと変わってきたっていうニュアンスですかね。この曲で歌っている戸惑いというか、結論とまではいかないけど、《僕のなにもかもがあなたを写している》っていうのは、必ずしも喜びで歌おうとしてるわけじゃない(笑)、っていうのはあるのかもしれないですね。

――曲調自体は早い段階でこういう曲調だろうなって着地しました?

そうですね。最初に弾き語りで原曲を作ったところから、ほぼ変わってないですね。

――励ます系のミディアムでもなく、珍しいですね。

曲調がですか?

――“頑張って”っていうテーマでもないですし。

まぁそうですね。自分の場合はですけど、“頑張って”って言われて頑張れる時もあるけど、めっちゃあるあるみたいなことを言われても、それだったらお笑い芸人さんのネタの方がもっとあるあるで面白いのあるな、とか。そうなった時に、音楽でなんかちょっとこう灯る感じというか。親に会う前って、ややこしい気持ちと、どこかちょっとだけ嬉しいというか、楽しみな気持ちがあると思うんですね。実家に帰る時、おめかししたことないですか?(笑) 久しぶりに実家に帰る時にちょっとかっこつけて帰ろうとか、久しぶりに会う人だから、ちょっと気合い入れようみたいな時って、ちょっと心の中がほわ~んって、なんか熱を持ってるっていうか、光ってる感覚、僕はあるんですよ。それって別に、会って“ああ、やっぱり会えてよかった”とかいうわけじゃなくて。会ったら喧嘩してるかも知れないし。あんなに楽しみにしてたのはなんだったんだってなったりすることもあるんですけど。でも会う前って、ちょっと心の中がほわ~んってなる、その感覚みたいな曲を書きたいなと思ったんですよね。なんか、この曲を聴いたときに、ちょっとでも“あの人何してるかな”とか、例えばもう死んじゃって会えないなら、“あの人と会う前ってこんな気持ちだったな”とか、誰かを意識した時にちょっと心の中がほわ~んてなる感じの音にならないかなっていうのが、今回、僕の中で裏テーマとして思ってましたね。

――そのほわ~んとした感じは、この時期、通常に比べて人に会いにくくなっていることも関係しているのかもしれないですね。

うん。意外とそれが生きる糧みたいなことに置き換えられる気がしたんですね。永遠に完全に隔離されて一人ぼっちだったら――リモートだけとかでも割り切れるのかもしれないけど。なんなら、さっきこの部屋に入ってくる前も“この中で取材するんだ”って一瞬、人と目の前で話せるんだっていうだけで、ちょっと灯るものがあるというか。確かにおっしゃる通りで、こういうご時世なので余計にそれは際立って思うのかもしれない、会えない時間が長いから。そう考えたら、生きる希望とかって、大それた言葉にすると、“愛”とかになってくるのかもしれないけど、そういう言葉に今回はしたくなくて。そうじゃなくて、ほんとに心の中に灯るような音楽を奏でられないかな、っていうのは思ってますね、ずっと。それは『PERSONALITY』辺りから思ってるかもしれないですね、言われてみると。コロナになって、会うっていうことのワクワクとか、みんなが当たり前に思っていた部分が当たり前じゃなくなったから余計に、“今日会おうよ”っていうことがすごく際立つ感じ。


自分たちの伝えたいと思っていることだけはブレることなく、届けていきたいな、押し付けるんじゃなく。


――ところでこの曲のMVにはお父さんが出演してらっしゃるとか。

曲が曲なので、箭内(道彦)さんからのアイデアで、僕の父を僕が撮りに行くという。

――NHKの若手ディレクターみたいですね(笑)。

(笑)。すごい不思議な気持ちでしたね。カメラを向けられている父をモニター越しに見る日が来るなんて、思ってもみなかったので。すごい変な気持ちです(笑)。

――箭内さんもなかなかな趣旨の企画を立てられましたね。

ただ、僕の知っている箭内さんがそういうアイデアを言ってくる時って、その作品に対する愛情が深い時だと思うので。だからみんなの思いがしっかり形になればいいなっていうのは、「ever since」の曲と映像制作に関しては僕もどんどんどんどん思い入れが強くなっていきましたね。

――箭内さんからのミッションはかなり大きなものですね。

結構、話し合ったんです、二人で。父を撮るということに関してもだし、イメージの共有とか。この曲が出来上がるまでも何度も箭内さんと話したし。さっきの話で言うと、箭内さんが一番最初に家族の話をしてくれましたね。「この曲を聴いたら、高橋の家族のこと考えるし、自分の親のことも考えちゃって」っていう返事が返ってきて。でもそういうお互いのやり取りで、自分も曲へのモチベーションが変わっていったりするので。面白かったですけどね。

――なるほど。高橋さんのお父さんのカメラの画像がTwitterに上がっていたり、ヒントがチラチラ出ているんですよね。

そうですね。あんまり大っぴらに「秋田に行きました」って言うと、いろんなこと言う人もいるだろうから、移動してることとかあんま公に言ってないんですけど。水面下では、色んなことに気を遣いながら制作は進んでいます。それこそ、話がちょっと飛ぶようですけど、『秋田MUSIC CARAVAN FES』も去年は中止してしまって、いろんな思いを抱えながらの一年間だったので、そういうのが、どこがどうヒントになってつながっていくかっていうのは楽しみにしてもらいたいですよね。

――なかなか待ってるだけだと先が開けないので、ほんとに針の穴を通すようにやっていくしかないですね。そして弾き語りツアーが5月から始まるわけですが、初心というような簡単な言葉は当てはまらなそうですね。

確かに“初心に返る”とかではないですね。新しい自分になってってる気がします、弾き語りって一言で言っても。すごい楽しみです。弾き語りでちゃんとホールを回るのは初めてなので、またここにきて楽しみだっていうのもあるけど、やっぱりいろんな状況、いろんな人たちの思いがある中でのこのツアーになりそうだし、日々のニュースを見てもまた状況が変わりそうですし。どういう意味合いを持つライブになるのか、ほんとにその時になってみないとわからない部分もあるんですけど。それこそ、そこに一本でも筋を通していきたい、自分たちの伝えたいと思っていることだけはブレることなく、届けていきたいな、押し付けるんじゃなく。「絶対きてね!」なんて今、言えないから、来ることを選んでくれた人たちにはしっかり、なぜ今やることにしたのか、なんで歌を歌うことが大事なのか、ということが届けられるツアーにしたいですよね。

――ライブがないと辛いですよね。

辛いです。去年の中止になった時から。ほんとに、ライブができない日っていうのは、恋人にふられた日と一緒なんですよ、ミュージシャンにとっては。ライブをやれるってことが自分にとって一番励みにもなるし、一番幸せな瞬間だから、それをやることが悪いことみたいになっちゃってるから、ほんとに瀬戸際だと思うんですよ、ミュージシャンの人たちからすると。だから、ライブをやりたいっていう気持ちはずっとあるけど、“来たい”っていう人もいないとやれないから。だからまだそれが完全に晴れた世の中じゃないから難しいけど。でも、多少苦しい部分があっても、僕はライブで皆さんに会えるっていうことを、来てくれる人がいるなら僕は楽しみにしたいなと思ってます。


取材・文=石角友香
撮影=高田梓
スタイリスト=上井大輔(demdem inc.)
ヘアメイク=内山多加子(Commune)

<衣装協力>
シャツ¥6,300/CASPER JOHN(Sian PR)、プルオーバー¥22,000/CULLNI(Sian PR)、パンツ¥23,000/ベータ・メン(㈱ファイブフォックス カスタマーサービス)、靴/スタイリスト私物
■お問い合わせ先
・Sian PR TEL 03-6662-5525
・㈱ファイブフォックス カスタマーサービス TEL 0120-114-563

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