放送作家・樅野太紀氏「テレビが終わったら僕も終わりでいい」 “心中”覚悟でお笑い番組フル回転


●芸人から転身、堂本剛が「樅野さんじゃないですか!」
注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、放送作家の樅野(もみの)太紀氏だ。

民放テレビ各局が、広告主のニーズが高い層に向けた番組作りを進めるためにターゲットを明確化したことで、昨年から一気にお笑い番組が増加。それに比例して、このジャンルに強い樅野氏への発注が急増しているという。そんな状況にバブルの雰囲気も感じながら、「テレビが終わったら、僕も終わりでいいや」と“心中”する覚悟を語る――。

○■テレ朝・藤井智久班でスタート「本当に感謝感謝です」

――当連載に前回登場したテレビ朝日の藤井智久さんからご指名いただきました。

藤井さんから「君に取材振っといたから受けといて」ってLINEが来たんですよ。僕は藤井さんから言われたことにNOはないので、何かも聞かずすぐ「かしこまりました!」って返したんですね。その後にオファーを頂いて、この連載のことは知っていたので、「藤井さんから紹介されたのか!」と思って。これは結構でかい事件で、僕の放送作家人生の中に、1個「。」が付いたと思いました。藤井さんがいなければ、僕はここにいないので、本当に恩返しをしなきゃいけないんです。

――藤井さんは、樅野さんに「『作家になれば?』と言ったうちの1人が僕だと思います」とおっしゃっていました。

そうなんです。僕は吉本でチャイルドマシーンというコンビをやってて、それが2004年の秋くらいに解散が決まったんですね。ただ、12月いっぱいまでスケジュールが入ってるし、DVDも出るから、そこまではやってくれと言われて、3か月くらいは解散が決まった状態でそれを公表せずにやってたんです。

でも、解散することをちゃんと事前に報告しなきゃいけない人が藤井さんでした。僕は23歳で大阪から東京に出てきたんですけど、藤井さんは結構劇場に見に来てくださるタイプのテレビマンで、テレビに全然出てないときにオーディションに呼んでいただいたんです。その番組が『虎ノ門』で、誰も僕らなんて知らない頃に出してくれたんですよ。「一週間テレビガイド」ってコーナーを担当させてもらって、毎週生放送に出してもらって、ご飯も連れて行ってもらったりしていたので、「これは藤井さんに伝えないと」と思って、「12月いっぱいで解散することになりました」って言ったら、「何するの?」と聞かれたんです。そこで「作家に挑戦しようと思ってます」と言ったら、「何かあったら連絡するわ」と言ってくれて。そしたら本当にすぐ電話かかってきて、年内の仕事を振ってくれたんですよ(笑)

――早すぎる(笑)

「藤井さんすいません、12月までは芸人としてやるんで!」って言ったら、「あぁそうだ、ごめんごめん」って(笑)。それで年が明けて本当にすぐ電話かかってきて、「ライバルの番組だけどやる?」と言われてやらせてもらったのが、『限界アンタッチャブル』という特番でした。ちょうどその直前にアンタッチャブルさんがM-1優勝したときで「全然ライバルじゃないです! 何でもやります!」と言って、初めて参加したテレビの会議でしたね。ディレクターには小田隆一郎さん、作家には伊藤正宏さん、渡辺真也さんがいて、放送作家が何をするのかも分からない状態で、「キャスティング案、来週まで100個な」って言われて、今だったら冗談だって分かるんですけど、頑張って60何個考えて出したら、「めんどくさいなあ」って怒られたりして(笑)。そこから『Mステ』や『くりぃむナントカ』にも入れていただいたんですけど、今思うと最初に入ったのが藤井さんの会議で本当に良かったなと。

――それはなぜですか?

めちゃくちゃ厳しいんですよ(笑)。1個発言するのにものすごく緊張感があるんです。変なこと言うと「なんだそれ?」ってなるし、「何が面白いのか、皆さんの前で説明してみろよ!」って言われて、その時30歳ですが、みんなの前で何回も泣きそうになりましたから(笑)。他の人たちも一言しゃべるのがはばかれるくらいのシーンとした会議なんですけど、そこで“特攻隊長”となるのが、僕と北本かつらさんだったんです。「しゃべれよ」って言われて、しゃべると怒られるので、僕は「しゃべれよトラップ」って呼んでたんですけど(笑)

――最近ではなかなかない雰囲気の会議ですね(笑)

今の若い子に「よくこんな宿題(企画案など)出せるな…」と思うこともあるんですけど、逆にかわいそうだと思うんですよ。藤井さんの会議でこんなの出したらそれこそ血祭りにあげられるけど、今は怒ってくれる人がいないから成長できない。だから、僕はあの厳しさを最初に経験して、本当に良かったと思うんです。

――最初のレギュラーは『Mステ』だったんですよね。

「お前暇だろ? アーティストの方の打ち合わせに行って芸の肥やしにでもしなさい」と言われて、毎週5~6組の出演者がいるんですけど、全員の打ち合わせに連れて行ってもらいました。向こうの時間と場所に合わせて行くので、急に「明日の何時にここで」って言われるから、本当に暇だからできたんですよ。でも、恥ずかしいこともいっぱいありましたよ。KinKi Kidsの堂本剛くんに「樅野さんじゃないですか! ファンダンゴ(TV)見てますよ」って言われたり、50人に1人くらいには「芸人さんですよね?」と言われました。

――最初に音楽番組を担当してもらったのは、そういう面で藤井さんの配慮もあったんですかね?

あったと思います。でも、『Mステ』でも怒られましたねぇ。アーティストの方っておしゃべりが仕事じゃないですから、なかなかエピソードが聞き出せないで帰ってくるときもあるんですよ。そんな取材メモ見せたら「お前これで台本書けるのかよ!」って言われました(笑)

――藤井さん、『シルシルミシル』でも取材が甘かったら「もうちょっと聞いてきてよ」と行かせたと言っていました。

『シルシル』も厳しい会議でした…。でも自分が今、責任ある立場に上がって、自分とは全然レベルが違う話ですけど、藤井さんはこんなところで戦ってたんだなと思いますね。数字をとらないといけないし、とは言え面白くなきゃいけないし、そこのせめぎ合いをすごい責任感でやってたんだなって。『シルシル』なんて、ゴールデン、しかも19時台でちゃんと笑いを入れながら数字をとるって並大抵のことじゃないですよ。

それに、藤井さんは怖いですけど、愛があるんです。自分がリードした企画で結果が出なかったときは、ちゃんと次の会議の頭で「すまん、俺のミスリードだ。申し訳ない」って謝罪するんですよ。だから厳しくてもみんなついていくんですよね。

――男気があるんですね。

そうなんです。でも改めて、藤井さんがあれだけ厳しくしてくれなかったら、ここまで僕は作家としても社会人としても成長することができなかったので、本当に感謝感謝です。これだけは、100回くらい言わせてください(笑)

――同じく芸人さんから作家さんに転身された石原健次さんにお話を伺ったとき、「リサーチ死ぬほどやって先輩作家の代わりに宿題めちゃくちゃやっていた人は『なんだよ、芸人と仲いいからって』っていう気持ちになったと思います」と言っていたのですが、樅野さんもそういう感覚はありましたか?

正直言うと、ありましたね。テレ朝は藤井さん案件だから周りはそんな目で見てこないですけど、吉本時代のマネージャーが僕を気にかけてくれて、別の局の番組に入れてくれたんですね。その会議に早く来すぎちゃって、ディレクターと2人きりになったら、その人が弁当食いながら「芸人辞めて作家になったようなやつに俺、台本書いてほしくないけどなあ~」って言ったんです。

――おぉ……

それで「お前出身どこなの?」と聞かれて「岡山です」って答えたら、「岡山のやつに笑いなんか分かるわけねぇだろ」って言われて、「なんじゃこいつ?」って。

でも、そこで怒らなかったんです。作家になろうと思ったときに、2丁拳銃の(川谷)修士さんに「お前は気が強くて生意気で、人に頭下げられないから無理だ」と言われたんですよ。それを聞いてたしかにそうだと思って、30歳から新しい職業に就いて何者でもないんだから、“何があっても2年だけは怒らないでおこう”って1個だけルールを決めたんです。

藤井さんに対してだって、すごい怒られるから、悔しくて1人で酒飲んで帰ることもあって。面白いだけが取り柄の人生だったのに、「どこが面白いのか説明しろよ!」って毎日言われて、ルミネの最大集客数記録まで持ってる僕の鼻がなくなるまで折られましたけど(笑)、何があっても歯を食いしばって耐えられましたから。だから、あの修士さんの一言がなかったら、「俺、面白いから」って生意気な顔して嫌なやつで終わってたと思うんで、本当に感謝してます。
○■犬が振り返るほど絶叫した『有吉の壁』G帯レギュラー化

――藤井さんの番組から、どのようにお仕事が広がっていったのですか?

藤井さんのチームにいた人たちがどんどん成長して、藤井さんの番組にADでいた北野(貴章)とか近藤(正紀)の企画が通るようになっていくんです。最初は、若いディレクター同士が初めて作った作品を戦わせるという『ハードル・プードル』という番組を小田隆一郎さんと作って、そこで北野が『未来ディレクター吉村』、近藤が『モテ★スベ』っていう企画を出して、その両方に僕も入ってやってました。今、北野とは『しくじり先生』を、近藤とは『かまいガチ』をやってますけど、彼らとはそこからですね。

他局では、吉本からの紹介で日テレのコント番組に呼ばれて、そこから『有吉の壁』をやってる橋本(和明)さんといろいろやらせてもらってます。『はんにゃのこの手があったか!』『ショコラ』『あらすじで楽しむ世界名作劇場』『ニノさん』、そして『不可思議探偵団』がゴールデンでレギュラーになるんですけど、これが終わったらスポーンと会わなくなるんです。その後、橋本さんは『不可思議探偵団』の枠に『有吉ゼミ』でリベンジして当てるんですけど、そのときは声がかからなかったんです。それから、有吉さんとお笑い番組を作るという流れになって、そーたにさんと僕が入って作ったのが『有吉の壁』ですね。

――『有吉の壁』が19時台でレギュラー化するというのを聞いたときは驚きましたよね。

忘れもしないです。目黒川沿いを犬の散歩してるときに、橋本さんから電話かかってきて、『有吉の壁』がレギュラーになると言われて「えーっ!」ってなって、しかも水曜19時だと言われて「えーーーーっ!!!」ってなって、犬が振り返りましたから(笑)

●「めちゃくちゃ大変です!」『しくじり先生』の台本作成

――ご自身の会心の企画を伺っていきたいのですが、放送文化基金賞で構成作家賞を受賞された『しくじり先生』は大きいですか?

あれは北野の企画なんですよ。「企画書が通ったから手伝ってください」と言われて行ってみたら、番組の題字になってる北野が書いた「しくじり先生」って字があって、そのときは「しくじった人が授業する」くらいしか決まってなかったんです。それをどうやって番組にしていくかという会議をやっていく中で、教科書を一緒にめくりながら進行するという形に決まりました。

当時はひな壇トークバラエティ全盛なので、1人のゲストで30分やるなんていうのは非常識中の非常識で、尺が持たないだろうと思われてたんです。結構ネガティブな意見が多くて、僕にもその気持ちがあったんですよ。そこで、大林素子さんが「私結婚できないんです」という授業をやるときに、大林さんにより興味を持ってもらえるように、頭で「1%未満」と出して、「この数字、何だか分かりますか?」って問いかけてもらったんです。この数字は「独身40代女性が結婚できる確率」なんですけど、最初に数字で驚かせて共感を生めば興味を持ってくれるんじゃないかということで、今では『しくじり先生』の名物になってます。

――最初の手応えはどうだったのですか?

北野には申し訳ないんですが、僕は深夜に特番を1回、2回やっても、実はあんまり手応えがなかったんですよ。ただ、局ですれ違うプロデューサーの人とかが「面白かったよ」「評判いいよ」と言ってくれて、しばらくは「あぁ、そうなんだー」という感じでした。だから、レギュラーになると聞いたときは本当に驚きました。

――『しくじり先生』は他の番組に比べて、台本作成作業のカロリーがものすごく高そうですよね。

めちゃくちゃ大変です! 冨澤(有人)さんというプロデューサーがいるんですけど、『しくじり先生』の作り方を見て、「初めて“放送作家”という仕事を見ました!」と驚いてましたから。直前まで台本ができなかったりしたら、僕と北野の2人で朝まで書いて、そこにずっと富澤さんが付き合ってくれて、「これは大変だ!」って。

――まさに“作家”の仕事ですよね。

フォーマットがあるわけじゃないし、この世にない授業を作るわけですから。タレントさんを取材して「こういう授業でできませんか?」と提案して、「ここは違う」と言われたら書き直して…みたいな作業ですし、収録何日か前に「これをやる自信がないです」って言われたら急いで別の人を埋めなきゃいけないこともあるし。よう続いてるなと思いますよ(笑)。だから、そこには1言って10分かってくれる後輩作家たちに入ってもらってます。
○■一流大卒のスタッフに説教…「放送作家は夢のある仕事」

―――『両親ラブストーリー~オヤコイ』でも、放送文化基金賞で企画賞を受賞されましたが、以前の取材でお話を伺った際に「知らないことを知る」というのを企画で意識しているとおっしゃっていました。

あの頃はそうだったんでしょうね(笑)。僕はもともと芸人だし、自分で言うのもアレですけど、本当に“奇跡”の作家だと思うんですよ。会議見渡したら僕以外全員、一流大学出てるんです。そこで偉そうにしゃべってるんですから(笑)。たまに北野にお説教して、家に帰ってシャワーを浴びながら、「あれ? あいつたしか京大出てたよな…」とか思って、あいつの母ちゃんに見られたら「うちの子は京大出てるんですけど、あなた高卒のNSCでしょ!」って言われるんじゃないかって(笑)

そんなこと考えると、すごく夢がある仕事だなあと思うんですよ。面白いことだけが得意で好きで、いい大学なんか出なくてもちゃんと通用するよっていうのを、この記事を読んでくれる人に伝えて、放送作家を目指したいと思ってくれる人が1人でもいるといいんですけどね。本当に学もないし知識もないし、企画考えるときに「ロジック」とか言ってても、全く理解できないですから。コント案とか出すと、いい大学出てる人に「これどうやって思いつくんですか?」って聞かれるんですけど、答えられないんですよ。「ごめん、思いついた」って言うしかない。

――“感覚”なんですね。

そうなんです。まさに僕、感覚だけでずっとやってきてるんで、1秒ごとに考えることも違うし。だから、「知らないことを知る」っていう意識も、なんとなく面白いなあと思ったんだと思います(笑)

――そういう感覚を武器にしている樅野さんと、論理的に整理するディレクターさんという噛み合わせが、うまく行っている要素ではないでしょうか。

そうです、もう出会いがすべてです。藤井さんのおかげでいろんなディレクターさんに会いましたけど、いくら自分が面白いことを思いついても、それを具現化してくれるディレクターがいないと結局はいい番組にならないので、ディレクターさんには頭が上がりません。北野とか近藤はその最たるもので、僕が言ったことを全部「面白いです」って褒めて乗せてくれるんで(笑)

●くりぃむ有田との緊張感「すごくいい経験」

――他に、ご自身の担当された番組で特に印象に残ってるのは、何ですか?

僕は『くりぃむナンチャラ』がすごく楽しくて。「ミニスカート陸上」とか「『もうええわ』を言わない相方たち」とか「クイズ!技術さんが考えました」とか、我ながら面白いなあと思う企画を、小田(隆一郎)さんや土井(功輔)Dが面白がって選んでくれて。でも、その先に有田(哲平)さんがいるのが大きかったですね。

芸人のときに、くりぃむさんがMCをやっていた『笑金(笑いの金メダル)』(ABCテレビ)に出させてもらって尊敬してましたし、今『有田Pおもてなす』(NHK)では有田さんとの打ち合わせに出席してるんですけど、ここですごくいい経験をさせてもらってます。MCクラスのタレントさんとの打ち合わせって、まぁ緊張感があるんですよ。ご自身の番組だから背負うものがあるし、お笑い番組なんてこっちがちょっとでも詰めきれていなければ指摘されちゃうし。そうするとスタッフ内での会議の緊張感が変わるんですよ。藤井さんはずっとこれをやってたんだなあと、今になって思いますね。だから、有田さんにはとても鍛えてもらってます。仕事のときはすごく厳しいんですけど、打ち上げとかで飲んだらめちゃくちゃ優しいっていう、すばらしい方ですね。

――印象に残るタレントさんは、他にもいらっしゃいますか?

ラッキーなことに元芸人なので、まあまあ早い段階で世に出る前の芸人を知れるんですよ。僕が作家になってすぐの頃、芸人がいっぱいいる花見に呼ばれたんですけど、そのときにまだ全然有名じゃないオードリーの若林(正恭)がいて。当時、おぎやはぎさんが『くりぃむナントカ』で弾けてるときで、若林を見て第2の矢作(兼)さんになるんじゃないかなと思ったんです。それをずっと思っていて、さっき言った『ハードル・プードル』で、せっかく新しいディレクターの番組をやるならということで、まだMC経験の少なかった若林にやってもらいました。ここで、吉村(崇、平成ノブシコブシ)と一緒にやってた北野と出会って、『しくじり』のチームができるんですよ。

あと、麒麟の川島(明)もそうですね。ずっと面白いなと思ってて、『バカリズム御一考様』(テレビ朝日)って大喜利の番組を作ったとき、「川島を使いましょう!」って入れてもらったら、やっぱり面白いんですよ。ずっと『IPPONグランプリ』(フジテレビ)に出てなかったと思うんですけど、あるとき優勝してすぐ「ずっと面白いと思ってたから自分のことのようにうれしい!」ってLINEしましたもん(笑)。でも、当時はMC案で名前を出しても「川島じゃ弱いかなあ」っていうのがテレビ局の意見だったんですよ。それが見てくださいよ、朝の顔になりましたからね! ほら見たことかってことです。
○■とろサーモン久保田に“英才教育”

――これから、次の若林さん、川島さんになりそうな注目されている芸人さんはいらっしゃいますか?

今は年取っちゃったんでなかなか若い子に目が行かなくて…。ただ、とろサーモンの久保田(かずのぶ)は、作家人生においてかなり大きな存在なんですよ。『人志松本の○○な話』(フジテレビ)という番組をお手伝いしていたとき、河本(準一、次長課長)さんが自分の好きな芸人を紹介する企画で、とろサーモンを出したんです。それで打ち合わせに行って収録に出てもらったら、うまいこといって。その後、久保田からDMで「同じ匂いがしました」って来て「なんやこいつ!」って思いながら後日飲みに行ったら、こんなに面白いやつがいるのか!って思ったんですね。

放送作家って、M-1みたいに優勝とかないじゃないですか。ちょうど、自分の中で目標がほしいと思ってたときだったんで、「こいつをゴールデンの番組に当たり前に出れる世の中になったら俺の優勝と呼ぼう」と決めて、その日から僕による“英才教育”が始まったんです(笑)。もう毎日くらいLINEで「ミッション」と言って、僕がキャスティングをハメられる深夜番組があったらそこに呼んで「この番組のお前の立ち位置はこうだから、こういうことをやりなさい」と伝えたり。

――マンツーマンの特訓ですね。

でも、ネタには一切口出ししませんでした。そんな日々を送って、とろサーモンがM-1のラストイヤーで決勝に行ったんですよ。ここまで来るのに何年もかかって、しかもそこで優勝するわけなんです。そしたら、優勝後の記者会見で、「この喜びを誰に伝えたいですか?」って聞かれて、村田(秀亮)は「お母さんです」って感動的なこと言うんですけど、久保田は「樅野さんです」って。でも誰も知らないし、ボケなのかも分かんないし、変な空気になって俺、名前出されてスベってるんですよ(笑)

――(笑)。でも長年の成果が出て、感慨もひとしおだったのではないでしょうか。

そのちょうど1年後にあの事件が起きて、「ゴールデンの番組に当たり前に出れる世の中に」っていう目標は終わるんですけどね(笑)。でも、今『クセスゴ(千鳥のクセがスゴいネタGP)』(フジテレビ)にも出てもらって、すごく感慨深いものがあります。

●お笑い番組急増で引っ張りだこ「人生楽しいです」

――最近は、放送作家さんもYouTubeに進出されている方が増えてきましたが、樅野さんはいかがですか?

僕、実は2019年の暮れくらいから、本気でYouTubeに参入したんですよ。テレビにちょっと危機感を覚えていた時期で、他のこともやったほうがいいなと思って、4~5個くらいチャンネルに携わって、自分の会社でお金出して運営もしたんです。それで、やればやるほど結果も出て、お金ももらえるというのが分かってきたんですけど、そういう中ですごい違和感を覚えるようになって。

――“違和感”ですか?

これって、タレントさんと撮影・編集するディレクターがいればできちゃうんじゃないか、つまり、作家は必要ないんじゃないかと思ったんです。テレビの仕事って、「僕がいなかったらできなかったでしょ?」って胸張って請求書出せるんですけど、YouTubeはどうも気持ち悪くて、1年くらいで全部抜けました。僕に入るお金があるんだったら、それはタレントさんとディレクターさんで分けてくださいって。

それと、ちょうどそのときに、テレビが世帯から個人視聴率重視になって、『有吉の壁』がゴールデンで成功して、お笑い番組が急にめちゃくちゃ増えたんですよ。何年か前まで、僕みたいなお笑い放送作家はもう必要ないのかなと思ってたんですけど、排水口のように僕のところに仕事がどんどん入ってくるみたいなことになっちゃって。だから僕は「テレビが終わったら、僕も終わりでいいや」と決めたんです。

――心中すると。

はい、そんな気持ちです。

――それにしても視聴率指標の変化で、ここまでお笑い番組が急増するというのは、ちょっとバブルみたいで怖くもあるのですが…。

流行っちゃったらいつか終わることは覚悟しています。でも、僕らの仕事って発注される喜びなんですよ。それがある限りは、「もう喜んでやりましょう!」って感じで今やってますね。僕、忙しいのが嫌いなんですけど、暇なのはその100倍嫌いなんで(笑)、暇よりはいいわと思って歯を食いしばってやってるんですけど、ちょっともう回らんぞ!?というところまで来てる感じですね。

――4月からは『新しいカギ』が始まりますし、『かまいガチ』も24時台に上がりました。

それに付随して、ありがたいことにレギュラーがまた数本増えるんです。この年になってこんなことになるなんて思ってなかったので、最近親に言いましたもん。「面白く生んでくれてありがとう。人生楽しいです」って(笑)

――40代後半で「人生楽しいです」と胸張って言える人、なかなかいないですよね!

いやぁ、それは思いますね。でも本当に幸せなんですよ。だって、僕らみたいなお笑い作家なんて、少し前までテレビにいっぱいあった生活情報番組を作るのにいらないじゃないですか。それがまさか、こんなにも「樅野さん、樅野さん」って呼ばれるようになるとは思わなかったですね。しかも、年下の若いディレクターから誘われるのが、すごくうれしい。これはみんなで橋本さんに「『有吉の壁』のおかげです」ってお礼を言いに行かないといけないですよ。

――それ、(名城)ラリータさん(『クセスゴ』総合演出)も言ってました(笑)

『クセスゴ』の会議で、ラリータさんが言うんですよ(笑)。でも、『しくじり先生』をやって本当に思うのは、調子の良いときこそ腰を低くしないといけないということですね。誰の授業を見てもそうおっしゃるんで、調子にだけは乗らないようにしています。

――長年『しくじり先生』をやっていて、人を見る目が変わりましたか?

やっぱり“負けた人”って強いんだなあって改めて思いますね。僕自身も、芸人として大成しなかったし、作家では最初にボロクソ言われたし、いろいろ“しくじり”があって。でもそれを経験して今があると思うんです。竹原ピストルさんの歌と野村克也監督の言葉が僕、すごくしみるんですよ。だから、「人生の成功は遅ければ遅いほどいい」ってずっと言ってるんですけどね。
○■売れっ子ディレクター&放送作家に共通すること

――今後、こういう番組を作っていきたいという構想はありますか?

僕は本当に自分にできることを粛々とやるだけです。「助けてくれ」って発注が来たら頑張ってアイデアを出し、「一緒に企画を考えてください」と言われたらお手伝いしに行く。結局、作家は受け手なんで、僕にできることがあればやりますというスタンスで、ずっと変わらずにやっていこうかなと思います。

――『オヤコイ』でお話を伺ったときに、「塩漬けされていた企画が復活した」とおっしゃっていたじゃないですか。最近のお笑い番組の盛り上がりで、他にも掘り起こした企画とかアイデアはあるのですか?

『オヤコイ』は吉本のスタッフに預けてたんで復活できたんですけど、僕は今までの採用されなかった企画のデータを、全部削除してたんですよ。それって、渡辺真也さん(放送作家)の影響なんですけど、昔作家になりたての頃、「過去に書いたコント台本とかあったら、勉強のために見せてくれませんか?」ってお願いしたら、真也さんが「全部捨てるからとってねーよ。そんなの書いた日で終わりだから」って言われたのがカッコよくて、俺もそうしようと思ってパソコンにあった企画、全部削除してたんです。

でも、最近また総合バラエティが各所で始まったじゃないですか。ああいうのって何でもありの番組だから、一度出してディレクターさんがピンとこなかった企画とかコントを違うところで出せるので、今めっちゃストックしてます(笑)

――渡辺真也さんから、そんな影響を受けてたんですね。

素晴らしい放送作家の先輩方の会議を経験できたのも、すごく大きいですね。真也さんのほかにも、石原(健次)さん、そーたにさん、中野(俊成)さん……一線で活躍されている方の会議にいっぱい出られたということは、めちゃくちゃ肥やしになりました。あの人たち、笑っちゃうくらいすごいんですよ(笑)。面白くて発想がすごいのは当たり前なんですけど、僕よりも尖ったものを多く出してくるので、それで毎回打ちのめされて反省するんです。あのキャリアでもまだまだ面白いものを数多く出すし。中野さんが作った『ポツンと一軒家』(ABCテレビ)なんて、天才だなと思いますもん。この時代に100点満点のあの企画を作るなんて、もう尊敬しかないですね!

あと、最近気づいたことがあって、売れてるディレクターさんや作家に共通しているのは、みんな気が強くて頑固だということ(笑)。そうじゃないと、個性的な番組って作れないんじゃないかなと思うんです。優しい人は他人の意見を聞いちゃってまんまるな番組になるんですけど、やっぱり番組の名を残した人たちは、みんな頑固だと思いますね。

――ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何ですか?

僕は本当にベタな少年ですよ。ドリフに始まり、『(オレたち)ひょうきん族』に行き、『元テレ(天才・たけしの元気が出るテレビ!!)』を見て、『ごっつ(ダウンタウンのごっつええ感じ)』『ガキ使(ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!)』へ……って、普通の人と同じお笑いを見て育ちましたね。「志村けんカッコいい!」「タケちゃんカッコいい!」「松ちゃんカッコいい!」って。

――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”をお伺いしたいのですが…

今回は藤井さんからの指名じゃないですか。僕、藤井さんに毎年正月のご挨拶メールをするんですけど、ある年に「樅野はこれからうちの若い連中の面倒を見てくれ」と言われてたんです。それは北野、芦田(太郎)、近藤のことなんですけど、北野はこの連載に出てるし、芦田はいろんなところで取材受けてるので、近藤にします。あいつ、金髪でミーハーなはずなのに「恥ずかしい」って取材めっちゃ断るんですよ。でも、面白いやつですし、『かまいガチ』も24時台に上がったので、ぜひ。

次回の“テレビ屋”は…

テレビ朝日『かまいガチ』チーフディレクター・プロデューサー 近藤正紀氏

当記事はマイナビニュースの提供記事です。

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