皇位継承を論じる際には、歴史に学ぶ姿勢が何よりも重要である/倉山満

日刊SPA!

―[言論ストロングスタイル]―

◆もし私が有識者会議に呼ばれたら、以下の所見を述べる

日本とは何か。皇室を戴く国である。だが、このままでは、悠仁親王殿下が即位される暁には、お支えする宮家は一つもなくなる。心もとない。だから今から考え、備えておくべきである。

先月23日、「安定的な皇位継承策を議論する有識者会議」が招集された。「名前からして間違っているではないか?」と思い首相官邸のホームページで確認したが、正式名称は「『天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議』に関する有識者会議」だそうだ。

上皇陛下の御譲位の根拠法は皇室典範の一部を改正する特例法だったが、衆参両院は付帯決議で「安定的な皇位継承を検討し、国会に報告するよう」求めた。平成29年の決議だが、ようやく検討が緒についた。

今後は皇室の専門家からヒアリングを行うとのことだ。ここで皇位継承に関する議論をする際の、基本的な事実を確認しておく。

もし私が有識者会議に呼ばれたら、以下の所見を述べる。

そもそもの大前提だが、絶対に子供を産める技術が発明されない限り、皇位の安定継承などありえない。皇位は世襲なのだから、如何なる制度であろうとも、皇族に一人も子供が生まれなければ皇室は終わる。

古き歴史を紐解けば、第52代嵯峨天皇には50人の子女がいたと伝わるが、第58代光孝天皇の崩御に際しては臣籍降下していた源定省が再び皇族に戻り定省親王となり、践祚して皇統を保守した。宇多天皇である。光孝天皇は嵯峨天皇の孫、その皇子の宇多天皇は曾孫になる。

一部に側室制度の復活を望む声もあるようだが、このような先例がある以上、絶対の解決策ではない点には留意されたい。

◆皇位継承を論じる際には、歴史に学ぶ姿勢が何よりも重要である

親王が多かったにもかかわらず数代先には継承者不在となった例は江戸時代にもあったが、その時は閑院宮家から光格天皇が即位し、皇統断絶の危機を防いだ。なお、閑院宮家創設は、光格天皇即位の71年前である。時の為政者だった新井白石が皇統断絶の危機に備え、宮家を創設していたので危機を免れた。皇位継承を論じる際には、歴史に学ぶ姿勢が何よりも重要である。

皇室において最も重要な原則がある。先例、男系、直系である。この順番を間違えてはならない。皇室とは先例によって出来上がっている世界なのだ。

先例を顧みる必要が無いとしよう。「選挙天皇制」「公募天皇制」「外国人天皇制」などなど、何をやっても良くなる。先例を軽視無視して皇室を語る論者が多いが、その人たちは「誰もそこまで言っていない」とでも言うのだろうか。そこまで言っていないなら、どこまでの先例ならば守るのか。

皇室は、2681年の歴史を積み重ねてきた。晴れの日も雨の日もあった。常に歴史に学び、悪例を避け、嘉例に倣う。どの先例に学ぶのかの議論を重ねて、これまで日本は続いてきたのだ。

最も重要な先例は皇位の男系継承である。どの男系に直系が継承されていくのかが、皇室の歴史である。

では、最も大事な原則である男系継承とは何か。初代神武天皇の伝説以来、すべての天皇は父方の先祖が天皇である。つまり、男系継承とは皇室を皇室たらしめる最も重要な原理なのだ。

最も血縁が遠い皇位継承は、第25代武烈天皇から第26代継体天皇の先例だ。武烈天皇と継体天皇は第15代応神天皇を共通の祖とする。応神天皇は、二人の高祖父の父である。日本語には「高祖父の父」に当たる言葉はない。「父の父の父の父の父」である。これほど血縁が遠いにも関わらず、男系継承は守られた。西暦507年の出来事と伝わる。1500年前には、男系継承は絶対との伝統が確立していたのだ。

継体天皇の先例は重要で、「五世の孫」は皇籍を離れることとなる。例外はあるが、皇位を継承する直系に属さない皇族は、五世以内に皇室から離れて臣下(民間人)となるのが原則だ。

多くの外国では、血縁さえつながっていれば、未来永劫、王室に残れる。それが争いのもとになってきた。我が国でも、歴史の教訓に学び「五世の孫」の原則が確立されてきた。

たとえば、応仁の乱の当事者を挙げておこう。足利・細川・斯波・畠山・山名・一色・赤松・京極・大内の苗字を持つ者の中で、「百済の聖明王の子孫」を自称した大内氏以外の全員が、天皇の由緒正しき男系子孫である。この人たち全員に皇位継承の資格を認めたらどうなるか。応仁の乱どころではない大混乱で、皇室などとっくに滅んでいただろう。今は皇族が少なすぎるのでわかりにくいが、多すぎても皇位継承は安定しないのだ。

◆男系継承は女性差別ではない。むしろ逆で、男系継承とは、男性排除の原理なのである

そもそも、なぜ男系継承なのか。女性差別なのではないかとの誤解もあるようだが、まったく逆である。男系継承とは、男性排除の原理なのである。図を見れば一目瞭然だ。平安時代、藤原氏は皇室の外戚として、三百年に渡り権勢を誇った。しかし、皇室に入り込むことは遂にできなかった。藤原氏の女は、天皇の后として皇室に入り、天皇の母となれた。一方で、藤原氏の男は一人の例外もなく皇族にはなれなかった。男系継承の歴史が盾となっていたので、藤原氏は外戚にしかなれなかった。もし男系継承の原則を変えるなら摂関政治などという面倒なことはしなくてよかった。

我が国の歴史において、臣下の男が生きて皇族となった例は一例もない。唯一の例外が、死後に法皇の尊号を贈られた足利義満だけである。義満は皇位を窺ったとされるが、もし男系継承の原則が無ければ、内親王と結婚し、子供を天皇にすればよかった。五世の孫の原則が無ければ、義満自身が清和天皇の男系子孫として天皇になれた。

先例は、皇室を時の権力者から守る盾なのだ。

一部には、女性天皇制度を導入して「愛子天皇」を実現したいともくろむ者がいる。女帝は八方十代の先例があるが、悠仁親王がおわすのに何のために? 秋篠宮家に直系が移るのを阻止したいのか? いまさら古代の争乱や南北朝の動乱を再現したいのか。

政府は先例に学び歴史を守り、国民に理解が得られる結論を導き出してほしい。

菅内閣は初めて「旧皇族の皇籍復帰」を論点に入れたが、画期的だ。

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【倉山 満】

’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。現在、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を行っている。ベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』のほか、最新著書に『保守とネトウヨの近現代史』がある

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