音と照明、布が奔放に交錯するファンタジー空間を生み出す「仕立て屋のサーカス」が新たなるステージへ

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フルート、カヴァキーニョ、テープレコーダ、鍵盤楽器、トイ楽器などを使った即興演奏を持ち味とする音楽家、曽我大穂。2014年、ファッションブランド「suzuki takayuki」のデザイナー・スズキタカユキ、照明作家・渡辺敬之、ジャム・バンド「CINEMA dub MONKS」の相方・ガンジーらに呼びかけて結成したのが「仕立て屋のサーカス」だ。音と照明、布が交錯しながら時に耽美で、時にダイナミックな世界を紡いでいく。KAAT神奈川芸術劇場での新作公演を機に、現代サーカス・ユニットとして次のステージに進んでいきそうだ。
曽我大穂
曽我大穂

――KAATでの公演に至るきっかけは前芸術監督の白井晃さんとのトーク企画だったそうですね。

曽我 そうなんです。まず横浜の象の鼻テラスでmama!milkカルテットとして演奏する機会があって、白井さんもいらっしゃっていたのかなあ、KAATの方から「SHIRAI’S CAFEのゲストに」とお声がけいただきました。実は僕も白井さんの演出された舞台を拝見したことがなくて、白井さんも僕も知らない者同士(笑)。でも白井さんと対談させていただいたときに、仕立て屋のサーカスもいつかKAATでやりたいというお話をさせていただいたんですけど、僕らの公演を見てくださっているスタッフさんがいて、いつかやりたいと思っていたとおっしゃってくださったんです。それがきっかけでした。打ち合わせでKAATさんに何度か伺ったんですけど、事務所の雰囲気は非常によくて、すごくアーティストを大事にしてくれる印象があります。コロナで延期になったときもすぐに次のスケジュールの検討をしてくださいました。

――仕立て屋のサーカスは、曽我さんを中心に結成されたんですよね?

曽我 まず僕がスズキくん渡辺くんをゲストに呼んで、パフォーマンスをやったんです。その公演を終えて、ゲストじゃなく、みんなが同じ立場でものをつくったらもっと面白いことができるんじゃないか、そういうやり方をするグループをつくりたいんだと提案したところ、みんなが賛同してくれたんです。ただCINEMA dub MONKSのメンバーでもあるガンジーさんは、彼が仕立て屋のサーカスに入りたいと言ったわけではなく、僕が勝手にガンジーという存在感ある役者が好きだからいつも呼んでいるんです。ガンジーさんは嫌だったら嫌とはっきり言う人だから面白いと思ってくれているんだと思います。照明の渡辺くんは今は離れて、ゲストとして参加という形になりました。


――実は昨年の2月に城崎国際アートセンターでアーティスト・イン・レジデンスをされていた時にお話を伺いにいきました。その時は創作をしつつも、スズキさんとかなり深く話し合っていたんですよね。

曽我 そうでしたね。目指す表現にたどり着くまでの道筋は少々遠回りしようが、仕立て屋のサーカスは民主的にやりたい、全員で考えるグループとしてやりたいと僕が基本設定したんです。だけど、僕が思っていたほど、みんなはそのことを重視していなかった。メインである仕事の合間にやる、コラボレーション的なプロジェクトだったのかもしれません。僕ばかりがああしたい、こうしたいと言うのも嫌だから、メンバーがこうやりたいと言い出してくれるのを待っていたんですけど、6年が過ぎて、ようやく遠慮は止めようと思ったんです。僕なりにあの手この手で引っ張ってきたつもりだったけれど限界がきてしまい、ずっと物足りなく感じていたことを伝えたんです。もちろんそれは僕のやり方、伝え方がうまくなかったのかもしれません。

――なるほど。外部からは口の挟みにくい話です。

曽我 ゲストとして参加してくれた皆さんからも、どうして仕立て屋のサーカスは演出家がいないの? どうしていちいち一つのことを全員で話し合うの?と指摘されていました。でも僕はこのやり方でチャレンジをしたかった。演劇やダンスの場合はリーダーがいて、その人の発想のもとでみんなが動く場合が多いじゃないですか。でもだれもがリーダーになったり裏方になったり、しょっちゅう入れ替わる、そして常に前進していくグループをつくりたかったんです。でもスズキくん、渡辺くんもリーダーがいないグループはないんだという考えがどこかにあった。たしかにファッション業界は強烈なリーダーがいるから成り立っているところはありますよね。今回のKAAT公演は、僕が「演出」とクレジットされていますが、僕がジャッジをするということです。じゃあ永遠に僕が演出かと言えばそうではなく、スズキくんがやりたいアイデアを出してくれたり、スズキくんのアイデアのほうが素晴らしいと思ったときはどんどん交代していきたいと思っています。


――メンバーの皆さんは、その考えを受け入れてくれたということですか?

曽我 それも試行錯誤かと思います。でも僕は腹を決めたというか、一人でも続けていこうと思っているし、グループ名も場合によっては変えることもあるかもしれません。「仕立て屋のサーカス」という名前は気に入っているんですけど、名前に縛られているところがあったかもしれません。考え方としては、長く続いていく新しい舞台芸術の入口を目指したいと思って立ち上げたグループでもあるので、それとして成り立つ基本的なルールを、いくつか見つけていきたいと常に思って毎回トライしています。あとは、それを軸にみんなで自由に動ければいいなと思っているんです。芯となる一つだけでもいい。お客さんからしたら何も変わってないじゃないかと見えてもいい、内部では違う方向を見てやっているんだということができればいいと思っています。

自分とお客さんとのギリギリの折り合いをずっと探し続けたい


――ところで仕立て屋のサーカスさんはどこまでが即興なのですか? 緻密につくり上げているのか、そのスレスレにいる感じが面白いと思っていたんです。

曽我 最初の1年は完全に即興でした。どうやって終わるかも決めていなかった。だから同じ公演でも1時間の日もあれば3時間やる日もありました。照明がここはエンディングだと思ったら、そこから1時間半やってしまい照明がやることがなくなって崩壊したこともありました。僕はやることがなくなったらどんどん退場していこうというルールを提案していたんだけど、僕が60分でやりきったと感じて先に退場したときは、あとで映像をチェックしたら、残されたメンバーがまごまごしていたこともありました。照明や布についてはある程度決める部分もほしいという意見が出て、崩壊しない程度のルールは決めました。前半だけ緻密に決めて後半は白紙、始まりと終わりを決めて中盤が白紙とかいろいろです。逆に全編が台本になるくらいすごく緻密にやったときもありました。僕は予定調和感が嫌だったけど、お客さんの満足度はある程度整理したときの方が高かったんです。お客さんが楽しんでくれる、お客さんが増えるイコールこのグループを回す予算ができるということなので、もっと訳のわからないことを追求していくには予算を獲得するためなら、今はこれでいいと思ってやっていました。ただ思ったより予算が獲得できないんで、だったら好きにやろうというのもあります。


――役者でも即興を得意とする人、そうでない人といますよね。

曽我 僕は大道芸として音楽をやっていたのが原点で、ジャグリングをやったりハーモニカを吹いていたことが生活の糧になったんです。だからこそお客さんに育てられたという実感があります。お客さんとセットで生きてきた感覚があるので、好き勝手やりたいけど、お客さんにソッポを向かれてしまうギリギリのところの綱引きを探していたんです。だから作品をつくっても3本に1本が成功すればいいんじゃないかと。今の時代、家の中にいてもすごく楽しく過ごせるじゃないですか。その中で外に出てよかったというバトンだけはつなげたいと思っているんです。でも失敗すると、そのバトンを落としてしまったと悲しくなることもあって。基本的には全部を楽しんでほしいんですけど、けれど、そのために最初から最後までしっかり決まったものを見せることはしたくないんです。それをやっていたら自分が腐ってしまうような感覚になります。もし自分が死ぬ瞬間が来たときに、最後まで投げ出さず、自分とお客さんの折り合いをずっと探し続けたなと思うようなことをやっていきたいんです。ただそう思っていると、すぐ脱線しちゃうんですよね(苦笑)。曽我は言っていることとやっていることが違うぞ、どうするんだよってことになる。でもそういう中から、いい場面ができるときもあるんです。そういうのを何100個も積み重ねていかれればいいんですけどね。

――でも葛藤するから面白いんじゃないですか? あうんの呼吸でできてしまうメンバーばかりだったら逆に曽我さんも面白くない気がします。スタンスが違う人ばかりだから、合致したときに、すごいものが生まれるんじゃないでしょうか。

曽我 お互いが信じ合い、助け合っているんだけど、もたれ合っていない状態、そこに何のストレスもないような関係を演目でもつくりたいんです。あいつ煮詰まったんだな、だったら俺が行くよみたいな。何を目指すのかと言えば、「担当はこれ」だからやりました、にならないことですね。常に新しい発見をしたい。だからパフォーマンスが入れ子のようにコロコロ入れ替わることで、その演目の中で主役だと思っている人がお客さんそれぞれで違う、それが理想だと思うんですよね。


取材・文:いまいこういち

当記事はSPICEの提供記事です。

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