直木賞作家・朝井リョウが作家10周年記念で「性欲」をテーマにした理由

日刊SPA!

※紙面では著者確認前の原稿を掲載してしまいました。著者確認後の記事をwebで全文公開いたします。

早稲田大学在学中の20歳の時に『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー、23歳の時に『何者』でエンタメ界の最高賞・直木賞を戦後最年少受賞した、朝井リョウ。この春、小説としては17冊目となる長編『正欲』を発表した。

<日本で、男で、五体満足な異性愛者に生まれる。これで、社会に蔓延る理不尽から、九割は免れることができる>(本文より)。

巻末には「本書は作家生活十周年記念の書下ろし作品です」とあるが、アニバーサリーイヤーはとうに過ぎている。それを承知しながらも特別な看板を掲げたのは、本書がこれからの10年を切り開く「新境地」であり、「新たな代表作」である宣言だ。

◆人の性欲についてちゃんと書きたいと思っていた

――発明的なタイトルですね。「性欲」が「正」の字に変わっていることで、さまざまなイメージが喚起されます。この作品内容ならばこれしかない、という感じでしたか?

朝井:人の性欲についてちゃんと書きたいなと5年前くらいから考えていました。少しずつ取材も進めていってはみたものの、具体的にどう書くかで悩んだ時期は長かったんですが、タイトルを決めたのはかなり早い段階でした。「せいよく」という4文字は、音として強いじゃないですか。

もちろんそれは性欲という単語がイメージされるからなんですが、音の強さはそのまま使いつつ別の言葉を当てられないかなと考えた時に、割とすんなり「正」に辿り着きました。「性」は淫靡で個人的なものというイメージですが、「正」は全員に関わるものだし基本的に光の中にあるイメージなので、ギャップがあるのもいいな、と。ネットで検索したら、他に日本の小説でこのタイトルはなかったのでホッとしました。

◆イロモノ扱いされるのは寂しい

――章ごとに視点人物が変わる、群像形式が採用されています。’19年の夏にある「事件」が起こることが、小説の冒頭で早々と明かされる。その事件に直接的・間接的に関わる人々の人生が描き出されていくのですが……「事件」の中途半端な紹介はしないほうが良さそうですよね。

朝井:そうしていただけると嬉しいです。具体的な内容が先走ってイロモノ扱いされてしまうのも寂しいというか、「ニッチな物珍しいものを書きました」みたいな見え方になるのは避けたいんですよね。だから今回、本のあらすじとして公にしている情報も、極力減らしています。

◆少数派の人たちを書いたという感覚はない

――とにかくもう猛烈な握力でもって摑んだ主題設定が、圧倒的にオリジナルです。読者は初めのうち、他人事だと思って読み始めると思うんですよ。でも、読み進めるうちにどんどん、他人事だと思える人は減っていくんじゃないか。

朝井:すごく少数派の人たちを書いたという感覚は私自身、まったくありません。自分の持っている欲望が、社会や経済の大きな流れに乗っていないと感じることって、大なり小なり誰にでもあると思うんです。気楽な例ですが、私はここ数年、YouTubeで人がご飯を食べる動画ばかり見ているんですけれども、そんなところに自分のグッとくるポイントがあるなんてこれまで想像したこともなかった。

――誰もが何かの分野では、マイノリティである。

朝井:社会や経済の大きな流れが受容してくれる人間の欲求というのは、どうしてもメインジャンルの幾つかでしかないんですよね。何もかもから自分の欲求が弾かれ続ければ、誰だって目の前の世界を恨めしく感じるはずです。そんな感情の積み重ねによる爆発を、あらゆる報道から感じます。ああ、この人は世界から弾かれ続けた結果こういうことをしたんだな、と、色んな報道を見て思います。そういう種がどこにでもあることは誰もがわかっているけれど、自分のすぐ隣で爆発が起きることは少ないから、ないものとして暮らし続けてるんですよね。

◆「性欲を巡る人間模様」よりも書きたいもの

──朝井さんのデビュー作『桐島、部活やめるってよ』の新しさは無数に数え上げられますが、青春小説だけれども「性春」ではないというか、今時の若者っぽい「性の匂いの少なさ」もその一つだったと思うんです。そのような作品でデビューした人が、10年を経て性欲についての話を書いた。その経緯は気になるところなのですが。

朝井:『何者』(’12年)の時も、「大学生の男女5人が室内で長い時間一緒にいるのに、恋愛とかセックスが発生しないのはすごく今っぽいよね」と言われたりしたんですが、それに対してきょとんとしてしまうのは今も同じです。人間関係を築いていったうえにある恋愛関係とか肉体関係とか、そういうものを書きたい気持ちは昔も今もあまりないんです。今作も、性欲を巡る人間模様というよりは、人間の欲求そのもの、性欲そのものに焦点を当てています。誰かを好きだ嫌いだということよりも、生まれつき搭載されたものと共に生きていくということを、性欲をテーマに書きたかった。

──『正欲』の中では、「根」という表現をされていますよね。性欲はいろんな欲の中でも、その人の人間性の根幹を成すものである、という。

朝井:視野が決まるというか、その人が「世界をどう見ているか?」に直結するものだと思うんです。自分にとっての性的対象が世の中の多数派と重なるかというのは、たとえそうでなくても自分らしく生きよう、みたいな簡単な話ではないと思っています。

◆作家として書き続けるテーマは「死なずに生きていく」こと

──異なる「視野」を持つ人の人生を内面的に追体験できるのは、小説というジャンルの強みだと思うんですが、そこは表現するうえでも突き詰めるべきポイントなんですね。

朝井:最近よく、多様性という言葉が、世の中の分断を阻止する意味合いで使われている場面を目にします。でも多様性って「種類の多さ」のことなので、分断そのものだとも思うんです。全員違う視野で生きている者同士、どう共生していくか。そして、そんな連帯にも仲間入りさせてもらえない人はいる。そこを書きたいと思いつつ、「視野が広がってめでたしめでたし」という展開は避けたかった。

──どういうことですか?

朝井:こういう言い方をすると棘がありますが、「視野が広がりました」って、人間の成長を書く上で一番簡単な締め方だと思うんです。今回は、登場人物がいろんな経験を経て視野が広がる話よりも、こういう種類の視野で生きている人間が存在する、ということ自体を書きたかったんです。私は『死にがいを求めて生きているの』(’19年)を書き終えたくらいのとき、「死なずに生きていく」ということがこれからの自分の書きたいテーマなのかも、となんとなく思ったんです。『正欲』は、今までの小説の中で、「死なずに生きていく」ということを最も前向きに捉えた作品だと思います。途中で「なんじゃこの話は」と思っても、あるところで底にトンと足が着いて浮上していくはずなので、そこまで是非読んでもらえたら嬉しいです。

◆10年かけて自分の中のルールがなくなっていった

──これまでの作家人生を振り返ると、やはり直木賞受賞がトピックとしては大きかったですか?

朝井:そうですね、本当に青天の霹靂でした。どうしよう、もう死ぬんだ、とか思いました。少なくとも、あまりいい人生じゃなくなるな、とは真剣に思いました。レベルが違いますけれど、宝くじに当たった人って大体バッドエンドな人生になるって言いますよね。「大きな賞をいただいけれども、とにかく謙虚でいよう」とか思う時点で、もうキモいんですよね。自分は変わっていないと思っても、何かは絶対に変わってしまった。その瞬間から、とにかく無事に過ごそう、という気持ちが強まってしまいました。

──作家として「死なずに生きていく」ぞ、と……。実際、大きな賞をもらうと書けなくなってしまう人も多いんですが、コンスタントに書き続けてきましたよね。

朝井:『正欲』は、書き続けてきた10年の集大成になったと思います。ただこの10年は、自分が書くものを自分で縛っていた期間でもありました。自分はエンタメ作家だという意識が強かったですし、例えば両想いになるとか夢が叶うとか、そういうものがハッピーエンドであるとどこかで思っていました。先ほどの、視野が広がる、もそうです。でも、「もっと個人的なゴールでも、というかゴールと呼べないものをラストに持ってきてもいいのでは」というような感覚がどんどん強まってきて、『正欲』にはそんな思いも反映されています。

◆総合デパートみたいな書き手になるのが夢

──傑作でした。新たな代表作だと思います。

朝井:「『桐島』の人」「『何者』の人」ではなく、「『正欲』の人」と言われるようになりたいです。自分で自分を縛っていたルールがちょっとずつなくなっている感じが、今、自分でも頼もしいんですよ。「それでまだ31歳なんだ!」みたいな驚きもあります。自分が10年後、何をしているかぜんぜん想像がつかないんです。自分の未来に対して、何でもありじゃんみたいな気持ちになれていることは初めてで、謎の開放感がすごいんです。

──こういう作家になりたい、というイメージはありますか?

朝井:爽やかな青春を味わいたい時に読むものもあるし、すごくイヤな気持ちになりたい時に読むものもある、どんな感情になりたい時も朝井リョウの本棚に行けば何かがある。吉田修一さんのような、総合デパートみたいな書き手になるのが夢なんです。今年はもう1冊小説を出す予定ですが、来年の目標は、3冊目のエッセイ集を出すこと。タイトルももう決まっていて、というか帯の売り文句まで既に決めてあるんです。それは、「なぜか書き下ろし!」。さきほど『正欲』というタイトルを褒めてくださいましたが、「なぜか」と「書き下ろし」の言葉の組み合わせは、「正欲」以上の発明だと個人的に思っています!

※3/30発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』より

【RYO ASAI】

’89年、岐阜県生まれ。小説家。’09年、『桐島、部活やめるってよ』(集英社)で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。’13年『何者』(新潮社)で第148回直木賞、’14年『世界地図の下書き』(集英社)で第29回坪田譲治文学賞を受賞。『正欲』が発売中

取材・文/吉田大助 撮影/鈴木大喜

当記事は日刊SPA!の提供記事です。

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