藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 #26 志織のキャップ

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「わ、めっちゃ似合ってる!」 長女は、そう言って手を叩いて笑った。 誕生日プレゼントにもらった黒いキャップの額の部分には、黒い長方形のパッチが縫い付けられていて、EVERLASTとRVCAの名前が上下に並んでいる。「しかし、なんで志織が、こんなセレクトできた?これ、めっちゃマニアックだよ。ボクシングの老舗ブランドとカルフォルニアのスポーツブランドのコラボだよ。誰かに聞いたの?」 高校生の長女が選んだ誕生日プレゼントは、僕の物欲の、あまりにもど真ん中に放り込まれたものだった。しかし、格闘技に全く興味のない長女らしからぬ奇跡的なチョイスに、ちょっとした疑いを持ってしまった。 まさか中年の彼氏とかいないだろうか、などと考えてしまう自分が嫌だったが、父親の嗅覚というのは、娘にたいしては本能的に働いてしまうものだ。とはいえ、年頃の長女に、あからさまにそうとは聞けない。「志織は、なんでこんなすごいチョイスができたの?実は、格闘技とか興味あったの?」とりあえず、無難なジャブを打ってみた。「へへへ、すごいでしょ?不思議でしょ?」長女は、にやりと笑ってから、そっぽを向いた。その視線の外し方が、大人びていて、さらに僕を不安にさせた。「格闘技に詳しい友達でもいるのか?最近の高校生の女子は、結構格闘技好きが多いらしいよな。ほら、あれ、朝倉、朝倉、ほら、兄弟の」 僕は、当てずっぽうにそんな探りをいれてみた。「ああ、未来と海ね。」娘は少しだけ面倒臭そうに言った。「そう、朝倉兄弟。未来と海とか。他にもいろいろ若くてイケメンの格闘家が人気なんだよな。」「そうなの?わたしの周りには格闘技に興味を持っている人なんていないけどな。いちおう朝倉兄弟は人気ユーチューバーだし、有名だけどね」 僕は、長女が黒いキャップを買うに至った経緯から、友達の女子の可能性が消えていくのを感じた。「でも、男子たちには人気だろ?」僕は瞬時に気を取り直して、他の線を探った。「うん、まあ、そうかもね。でもわたしの友達には、そこまでのめりこんでるのは、いない」 僕は、高校の同級生達が、そのキャップを選ばせたのではないことを悟り、少し焦り始めた。さて、これからはどう聞けばいいのだろう?あまり粘り過ぎても変に思われるし、せっかくの誕生会の雰囲気のこともある。だが、こんな玄人セレクトをされては、入知恵の元が気になって仕方がない。さて、どうしたものだろう? 「いやあ、今まで志織にはいろんな誕生日プレゼントをもらったけど、今までで一番つぼに入ったのがこれだな」 僕は、努めてさわやかにさりげなく、満面の笑顔を浮かべつつ、もう少しだけ粘ることに決めた。妻は、我関せずといった風で、 iPadから寿司を注文し続けつつ、ああ、茶碗蒸しが売り切れてる、ショックーーー、などと言っている。 誕生日祝いに選んだ店は、ちょっと高級な回転寿司で、個室には引き戸がついていて、店員のノックが少し乱暴なこと以外は、いい店だ。去年も僕の誕生日はこの店で夜ご飯を食べた。そして、なんとなく誰かの誕生日には、この店に来ることが続いているのだった。「ああ、銀杏食べたかったのになーーーー」 妻は独り言のように呟いているが、誰もそれに返事はしない。オールB型の我が家は、めいめいが勝手に好きなことを喋り、噛み合わない会話が普通だったので、ある意味、何事につけても寛容である。 「志織にこのキャップの存在を知らせてくれた人って、格闘技ファンでしょ?結構いい情報持ってそうだから、きっとパパとも気が合うかもな」 我ながら、大胆な切り込み方をしたと少し緊張した。「え?なに?もう一回言って?よく聞こえなかった」 娘からの意外な切り返しに、少し動揺した。わざとではなさそうだが、どきどきした。「だからさ、だから、このキャップを志織に教えてくれた人って、きっとさ、格闘技に詳しそうだから、パパとも気が合うんじゃないかなって」 僕は、爽やかさを目一杯演出しながら、さして深い意味はないのだというような感じで繰り返した。 「え、なに?パパ、気になるの?誰がわたしにアドバイスしたのかが。ふふふ。当たり、だよ。パパが想像しているような人がわたしに教えてくれたんだよ」 人は動揺すると、手元を動かしたくなるものだ。僕はお茶の素を湯呑みに入れつつ、おお、そう来たか!などとゲームに乗っているかのような感じを出しつつ、ふむふむ、と声に出して、微笑みながら頷いた。

結局そこで、その話は流れて、どうして長女がそのキャップを選ぶに至ったかは、今でも知らないのだが、そのことを考えなければ、とても嬉しいプレゼントであったことは間違いがない。 僕は、ほぼ毎日そのキャップを被って過ごしていたし、何よりも頭の形にフィットしていたので、そこも愛用の理由でもあった。

だが、10日も持たずに、その大切なキャップを失くしてしまったのだ。

運良く翌日には、手元に戻ったのだが、それも際どかった。 前夜に夕食をとった焼肉屋に置き忘れたことを、どうにか思い出し、翌日の9時頃に店に電話をすると、そういう忘れ物はないと電話口の若い男に返された。一旦諦めたのだが、どう考えてもそこに忘れたのだと確信し、夕方にもう一度電話をすると、今度は別の男の声で「ある」という返事だった。僕は仕事の後で、20時間際にその店に行き、そのキャップを再び手にすることができた。 日頃から、もう物欲なんてないよ、などと言うことが多くなっているのに、この時ばかりは、心から胸を撫で下ろす心境だった。とくに、それが長女からのプレゼントというのが大きかったのは言うまでもない。



そして、またそのキャップを失くしてしまったのだ。

今度は、何処で紛失したのか、まるっきり分からなかった。 地下鉄のシートに置き忘れた可能性をまず考えたが、いつも席を立つ時に振り返って確認する癖がしっかりあるので、それは無い。だとすると、牛丼屋でテイクアウトを待つ間に、店内に座って待っていたので、その時に何気なくキャップを脱いだ可能性がある。 小さい頃に親に刷り込まれたせいで、室内に入ると帽子を脱ぐ習慣がある。それがいっときであろうとも、必ず脱いでしまうのだ。 だから、僕はその牛丼屋に、二度確認の電話を入れたのだが、今度ばかりは本当に無さそうだった。 僕は、バッグの中はもちろん、家中も何度も何度も探したがやはり無かった。

長女には知られたくなかったので、妻にだけこっそりと聞いてみたが、完全に他人事として、あしらわれた。

僕は、B型のくせに、とても几帳面で、我が家でも自分の部屋が一番整然としている。それは家族の誰もが認めるところだ。超整然としていると言い換えても、やり過ぎではないくらいだ。 そんな超整然としている部屋を持つ僕が、家の中で大切なものを無くしてしまうことなど有り得ない。酒に酔うこともないので、あるとしたら、考え事をしている最中に、誤ってゴミ箱にキャップを捨ててしまったという可能性だ。有り得ないとは思いつつ、あまりにも考え事に集中していたら、やりかねない。だが、それは現実に起こり得ないだろう。 僕は、狐につままれたような心地で数日を過ごした。

金曜日の夜、僕は原宿駅前のオッシュマンズに出かけた。 長女に、あのキャップを買った場所を聞き出し、在庫もあと一つあることを確認しておいた。かくなるうえは、自分で買ってしまおうと考えたのだ。 久しぶりに降りた原宿駅は、旧駅舎も撤去された後で、機能的になっているようだった。その目の前にある立派なビルの中にオッシュマンズは入っていた。 だが、店内のどこを探しても目当てのものはない。僕はスタッフさんに尋ねると、商品の入れ替えがあった直後で、そのキャップはすでにないという。なんということだろう。そのスタッフさんは親切にも他店のストックも調べてくれたが、全て売り切れだという。なんということだろう。電話で問い合わせた時に、取置きの提案に従っておくべきだったと後悔した。 僕は、なんとなく「取り置き」が苦手で、強迫観念を感じてしまう変なところがある。しかし、無いものは仕方がない。僕は徒労に肩を落としながら、諦めることにした。いつも悪いことがあったら、僕はこんなふうに考えることにしている。これはさらにヘビーな悪いことをご先祖さまが回避させてくれたのであって、これくらいで済んで良かったのだ。本当なら、大怪我や火事に見舞われていたところを、キャップの紛失くらいで済んで良かったのだ。もうちょっと落ち着いて、地に足をつけた生活を心がけなくてはいけない。僕は、念じるようにそう自分を思い込ませた。

だが、翌日の土曜日の夜、門限の22時直前に、バイトから帰宅した長女の頭の上にあるものを見た時、僕は愕然とした。 EVERLAST RVCA。 「ただいまーー」 娘はすぐに僕の視線の迫力に気づいた。「あー、借りちゃった。最近気に入っててね。」 僕は、言葉が出てこなかった。最近て、どういうことだ。「おじさんウケが良くて、これ」「おじさん?」「そう。お、じ、さ、ん。これに反応してくるおじさん達って、結構かっこいいんだよね」そういって長女は笑顔でファイティングポーズをとってみせた。 僕はどう反応していいか分からず、とっさに右手で銃を作り、長女にその銃口を向けた。「素手で闘えよ」長女はそう言い残して、部屋へと消えていった。キャップを被ったまま。

#1 裏の森 #2 漱石の怒り#3 娘との約束#4 裸を撮られる時に、百合は#5 モルディブの泡#6 WALKER#7 あの日のジャブ#8 夏休みよ永遠に#9 ノーリプライ#10 19, 17#11 S池の恋人#12 歩け歩けおじさん#13 セルフビルド#14 瀬戸の時間#15 コロナウイルスと祈り#16 コロナウイルスと祈り2#17 ブロメリア#18 サガリバナ#19 武蔵関から上石神井へ#20 岩波文庫と彼女#21 大輔のホットドッグ#22 北で手を振る人たち#23 マスク越しの恋#24 南極の石 日本の空#25 縄文の初恋

藤代冥砂1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある  

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