「看取り」について発信し続け、悩み相談の名手としても知られる看護師・僧侶の玉置妙憂さんが、新刊『心のザワザワがなくなる 比べない習慣』を発売。コラムニスト辛酸なめ子さんをお相手に、“「つい比べてしまう」人のための処方箋”と題したトークショーを10月21日に行いました。
◆昔は人と比べてばかりだった(玉置妙憂)
辛酸なめ子さん(以下、辛酸)「玉置先生は、人と比べることなんてあるんですか?」
玉置妙憂さん(以下、玉置)「もちろん、ありますよ。特に昔はすごかったです。私は30歳になってから看護師になったので、周りは全部年下でした。みんなが二十歳そこそこのなかで一緒に新人。私が2年経験を積んだら、彼女たちも2年経験を積む。この差は埋まらないわけで、随分比較して苦しかったですね。で、研修という研修を受け、大学院に行き、博士課程に進みました」
辛酸「魂レベルだけでなく学歴も高みを……すごいですね」
◆自分のなかで大切だと思うことをやればいい
玉置「周りからは『偉いね』と言われますが、当時の私のモチベ―ションは、人と比べて自分のほうがいいと言われたいというものだった。そうするとやっていて楽しくないんです。せっかく時間を割いて勉強をしているのに、いい結果が出ない」
辛酸「何か身に付けても、もっと上の人を見てしまう」
玉置「そうです。だからさんざんやって、失敗して、今に至ると。失敗を重ねて、そういうことはやらなくてもいいなと。人がどうだろうと関係ない。自分のなかで大切だと思うことをやればいいと思えるようになりました」
◆比べていると気づいたら、そこで止めて、流す
辛酸「私が誰かと比べてしまったときの対処法は、『いま比べちゃったな』と自分で気づくことくらいですかね。『気づけただけで良かったな』と。たぶん10代とか20代のときは無意識のうちに激しく比べていたものが、今は『比べちゃった』と反省するくらいになれたと。もっと進めば比べなくなるのかな」
玉置「“気づく”というのはとても大切です。それで8割完了といってもいいくらい。ただ、気づいて止まるなら苦労はいらないですよね。気がついて止めようと思っても、また気がつくと比べてしまう。大切なのは、比べていると気がついたら、そこで思考をストップして“流す”ことです。
私たちは思考をチェーンのように繋げていくクセがあります。『あの人のほうがいいブラウスを着ているな。どこで買ったんだろう。いくらするんだろう。いいな、このままだと私は負けちゃう』と。
比べてると気づいたら、そこで止めて、流す。また出てきたら、また気づいて止めて、流す。これは練習するしかありません。繰り返しやっていると、だんだん止めて流せるようになってくる。もっと行くと、比べるという気持ちが起こる前に気がつくようになる」
◆比べる前に気づけたらお釈迦様レベル
辛酸「言語化される前のもやっとした気持ちの時点で抑えるのでしょうか」
玉置「これができるようになったのがお釈迦様です」
辛酸「お釈迦様……。それくらいにならないとダメなんですね(苦笑)」
◆「空海展」に行ってSNSから解放された(辛酸なめ子)
辛酸「今はSNSがあるせいで、昔よりも比べ合うことから解放されない気がします。私も前はインスタをやってましたが、今は基本、見るだけにしたらちょっと平和になりました。
実は前に上野でやっていた『空海展』(『国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅』)に行ったんです。空海が中国に行って書き写してきた書が展示してありました。
若い空海は命を懸けて仏教の奥義を書き写して持ってきてくれたのに、いい歳をしてちょっとした承認欲求のために『旅行しました』とか『パーティ来てます』とかいう写真をアップしてる場合じゃない。自分の承認欲求を満たすためだけの繰り返しは、人としての成長にならないと気がついて、離れようと思いました」
◆SNSをやるにしても、自分の軸を持つことが大事
玉置「すごいところと比べましたね。ここにも空海様に助けられた方がいるんですね(笑)。確かにSNSは1度流れに乗ってしまうと、『イイネ』の多さを比べるようになってしまいますよね。最初は自分の好きなものをアップしていたはずなのに、そのうち『イイネ』をもらえそうなものをアップするようになってしまう。最初は価値観が自分にあったのに、いつの間にか不特定の相手に軸がいって、コントロールが効かなくなる。そうなってくるとキツイです。やはり自分に軸がないと」
◆竹のようにしなやかな、自分の軸で生きる
玉置「自分の軸で生きるというのは、人の話を聞かないとか、ワガママに生きるということではありません。ただ自分の好き勝手にやるという軸をたとえるなら“ガラスの棒”のイメージ。何かあったとき、ポキっと折れて人を傷つける破片になってしまいます。
私が持っていたい軸のイメージは竹です。風が吹いたらたわむけれど、また戻る。人が乗っかってもたわむけれど、折れずに戻る。つまり人の価値観をちゃんと受けて、たわみながらも折れずに、『自分はこう思っている』と戻れる柔軟性を持っている。そうした強い軸を育てたいですね」
◆肥料をあげるのも、枯らすのも自分
辛酸「結局は自分の責任で生きることに繋がるのでしょうか」
玉置「そうです。竹を丈夫に育てていくために水をあげるのも、肥料をやるのも自分。逆に枯らすのも結局は自分。『だれだれのせいで』とか、『社会がこうだから』と外のせいにしてカリカリしていると、自分の軸に目がいかずに水もやり忘れて、どんどん軸が痩せていってしまう。
外で何が起こっても、結局は自分。今年はこれまで普通だと思っていたことが、根こそぎ崩れました。でも今まで定番だったことが、普通でもベストでもないんだと、新たに問われている機会だとも言える。それぞれが自分自身のベストを探す機会をもらっているのだと思います」
【玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)】
看護師。僧侶。二児の母。看護師として勤めるかたわら、非営利一般社団法人「大慈学苑」を設立し、院外でのスピリチュアルケアに力を注いでいる。『死にゆく人の心に寄りそう』(光文社新書)、『心のザワザワがなくなる 比べない習慣』(日本実業出版社)など著書多数。
【辛酸なめ子(しんさん・なめこ)】
東京都生まれ、埼玉育ち。漫画家、コラムニスト。著者は『辛酸なめ子と寺井広樹の「あの世の歩き方」』(マキノ出版)、『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎)、『女子校育ち』(筑摩書房)など多数。
<文・写真/望月ふみ>
【望月ふみ】
70年代生まれのライター。ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画系を軸にエンタメネタを執筆。現在はインタビューを中心に活動中。