爆笑問題・田中裕二、立川談志が評した「田中は日本の安定」の真意を「いまだに分かんない」

落語家の立川談志さん(2011年11月21日死去・享年75)から21年前に「オイ爆笑問題 天下取れそうかい 立川談志」と筆で書かれた立派な木札が送られてきたという。お笑いコンビ・爆笑問題(太田光・田中裕二)が所属する芸能事務所タイタンの社長で太田光の妻・太田光代さんが、その木札をテレビで初披露していきさつを話した。

1988年にコンビを結成した爆笑問題は、やがて所属事務所の太田プロから独立すると1993年に芸能事務所タイタンを設立して太田光代さんが社長に就いた。その年に『NHK新人演芸大賞』で大賞を受賞すると、以降も1996年から2か月に一度の「タイタンライブ」を開催、1999年に『浅草芸能大賞』の新人賞を受賞するなど知名度を上げていった。21年前といえばそんな頃だ。

10月26日にNHK総合のドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』で放送した「爆笑問題 田中裕二~福岡小郡・田中一族の450年~」にVTR出演した太田光代さんが、21年前に立川談志さんから送られたという木札について語った。

爆笑問題がデビューして間もない頃、立川談志さんの落語会に呼ばれたという。談志さんが「面白いのが出て来たな」と言うのを聞いて、太田光代さんは「あ、よかった」とホッとしたそうだ。

その落語会の打ち上げで、談志さんが爆笑問題の2人に「お前ら、天下取っちゃえよ」と切り出した。そして太田光に「お前は破天荒でそのままいくしかないけど、絶対に田中は切るな」と言い聞かせ、「田中は日本の安定だ」、「お前みたいな感じでやるんだったら日本の安定が必要だから」と話したという。

その後、爆笑問題が活躍するようになって21年前の木札につながるのだ。

『ファミリーヒストリー』のスタジオゲストで出演した田中裕二は、太田光代さんが語るVTRを見ながら「田中は日本の安定だ」のところで「それがいまだに分かんない」と首をかしげていた。

実は最近、その立川談志さんの言葉を思わせるような出来事があった。田中裕二が新型コロナウイルス感染による入院から退院して休養中のことである。

9月8日深夜放送のTBSラジオ『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』で、太田光とともにパーソナリティを務める田中裕二の代役をタレントの伊集院光が引き受けた。

一般的な感覚であれば太田光から相方・田中裕二の体調や事情を説明して、代役の伊集院光を紹介するのが流れだろう。ところが太田はそうしたことを全く無視して第一声から「大変だいろいろ、泰葉がイスラム教入っちゃった」とトークをはじめるではないか。太田がそれ以降もそんなことばかり話題にするので、伊集院は呆れて「俺要らないの?」と口を挟もうとするが太田は聞く耳を持たずしゃべり続けた。

生放送のオンエアスタートから6分ほど経って悟った伊集院は「田中さんはすごい! これを何とかできてるんだから、田中さんはすごいよ」とぶっちゃけた。太田光の相方としてコンビを成り立たせる田中裕二の手腕に感心したのだ。

立川談志さんは爆笑問題のデビュー間もない頃からそんな田中裕二の資質を見抜いて「田中は日本の安定だ」と評したのだろう。今となっては田中自身も談志さんに真意を聞くことはできず、どのように解釈したものか思案して「いまだに分かんない」と口にしたのかもしれない。

ちなみに放送作家の山田美保子さんは『女性セブン』(2020年9月17日号)の掲載記事で、立川談志さんと爆笑問題の関係に触れている。山田さんが以前『1周回って知らない話』(日本テレビ系)に出演した際に談志さんが「絶対に田中は切るな」と言ったエピソードを話したところ、共演者の太田光がひな壇にいた山田さんを振り返って嬉しそうにしていたという。

爆笑問題にとって師匠のような存在だった立川談志さんは、2009年8月に糖尿病による体調不良のため休養に入った。2010年4月に高座復帰すると、8月に行われた『爆笑問題 withタイタンライブ』にゲスト出演、9月開催の落語会『らくご×情熱大陸』で爆笑問題と共演するなど元気そうだったが、2011年11月21日に喉頭がんのため亡くなった。

(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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