マクドナルド改革の“唯一の失敗”…再建の立役者がいま明かす

日刊SPA!

―[あの企業の意外なミライ]―

今や、世界を代表する企業であるアップル。実は、同社は1990年代創業以来最大の経営危機が襲っていました。その時代に、アップルコンピュータ日本法人の代表取締役社長に就任したのが原田泳幸氏です。

彼はその手腕を高く評価され、2004年には日本マクドナルドホールディングスのCEOとして同社の改革を行ったことはあまりにも有名でしょう。そんな原田氏ですが、11年間にわたるマクドナルド改革の結果、業績不振により退任したと言われています。

彼は現在、国内に数多あるタピオカミルクティーを扱うブランドの中でも屈指の店舗数を誇るゴンチャを運営する株式会社ゴンチャ ジャパン 代表取締役会長兼社長兼CEOを務めています。

現在もなお経営の一線で活躍しているように見える原田氏ですが、彼はなぜマクドナルドを退任したのでしょうか。ニュースで盛んに報じられていた「業績不振による退任」は本当だったのでしょうか。

あれから5年経った現在――。原田氏は「今だからこそ、真実を語ろう」と、当時の改革から退任の真相まで重い口を開きました。

◆日本の焼き芋を世界に通用するブランドに

まずは原田氏がなぜアップルからマクドナルドへ移ったのか。その背景を聞いてみました。

馬渕:当時は「マックからマックへ」というキャッチーなコピーが踊り、原田さんの移籍がビジネス誌で盛んに報じられていましたが、なぜIT業界から外食産業に転職されたのでしょうか。

原田:IT業界は人とビジネスを便利にしたけど、幸せにしてはいないと感じたのです。50歳を過ぎると不思議な感情が出てくるんです。当時、「次は人を幸せにする食べ物屋をやりたい、日本の焼き芋を世界に通用するブランドにしたい」なんて冗談で言っていたんですよ。

馬渕:そう思っていた矢先、マクドナルドから声がかかったということですね。

原田:そう。本社で面談すると、当時のマクドナルドは3つの条件で日本法人の社長を探していたといいます。日本でブランド資産をゼロベースから作った経験がある、事業の大変革をやったことがある、戦略企画のリーダーシップが取れる。この三つで人材を探したら、私の名前が出てきたと言われました。

馬渕:それで、当時業績不振に陥っていたマクドナルドへ移った。

原田:当時のマクドナルドは、値段を上げたり下げたりして、ブランド毀損していました。

馬渕:でもマクドナルドには、ポテンシャルの高さを感じておられた?

原田:そうです。ポテンシャルが高いにもかかわらず、間違った方向に行っているなと、横から見て思っていたんですよ。業績不振のときはどうもカレーライスまで出したらしいんですよ。アメリカの本社との面談で、私に期待する仕事を伺ったときに私はできると思った。それで即答したわけです。

◆すべてが日本流すぎたマクドナルド

こうして原田氏は2004年2月、マクドナルド日本法人のCEOに就任。そこで実行したのは、「日本流」になりすぎていた同社の徹底的な世界基準へのシフトでした。

馬渕:具体的には創業者の藤田田氏の経営戦略からなにを変えましたか?

原田:一口で言えば、グローバルカンパニーではなかったところを変えました。当時のマクドナルドはあまりにも“日本流”に走っていたのです。

馬渕:具体的にどんなことをグローバル化したのでしょうか。

原田:例えばハンバーガー大学の人材教育のカリキュラム。世界に素晴らしいカリキュラムがあるのに、これが日本独自のカリキュラムだったんですよ。それから、サービス改善の指針としてROIP(=レストラン・オペレーション・インプルーヴメント・プロセス)というものがあり、これを導入しました。簡単に言うと、スタッフの動き方を世界各国のマクドナルドと合わせました。

馬渕:それから毎年改革を実行された、と。

原田:就任1年目は品質、サービス、クリーンネスの3つだけを徹底しました。そこだけを徹底してから、注文を受けてからできたてを提供する「メイドフォー・ユー」を始めました。それで2年目は客数を伸ばすために100円マックを始めました。これだけで客数が12.4%伸びました。

馬渕:外食産業で12.4%の伸びは珍しいです。

原田:それだけ伸びしろがあったんですよ。次は配送・ロジスティクスの改革です。海外から日本に着くまでの物流であるアウトバウンドと、国内の物流であるインバウンドを一気通貫にしました。日本だけが、国内の物流企業に依頼しており、非効率だったのでそれをやめました。ほかにも、日本のスタッフが世界のスタッフと繋がり、ノウハウを迅速に共有できる体制を整えました。

◆フランチャイズシフトの真相

ここから、原田氏の就任当時もっとも「大きな改革」と言われたフランチャイズ事業の大幅なシフトへと移ります。当時、7割が直営、3割がフランチャイズだったマクドナルドは、3割を直営・7割をフランチャイズ(以下、FC)にまで引き上げる目標を掲げました。

原田:直営店を減らせば人件費や店舗投資など、マクドナルド本体の経費負担は大幅に圧縮できます。地域的に直営とFCが混在する状況を改善しなければなりませんでした。もちろん、FCはよいところもあった。新卒でマクドナルドに入社し、経験を積み選ばれた人間がFCで独立できる。これは良いことなんです。

馬渕:では、何が問題だったのしょうか。

原田:多数のフランチャイズ店舗と直営店が同じ商圏に混在していたのです。これは経営効率的にとても効率が悪い。私は、商圏をマッピングして、店舗が被らないようにしたのです。そこで1オーナーに10店舗以上運営してもらい、フランチャイズのオーナー数を460社から200社まで減らしました。

馬渕:オーナー数は減らしながら、店舗は1社10店舗以上運営してもらうことで、フランチャイズ店舗の数自体は伸ばしたのですね。

原田:そうです。当時は、サテライトの小さな店舗があり、マクドナルドのメニューを全て提供できないなど、満足のいくサービスを提供できない店舗もありました。ブランドに合わない店舗は改装または撤退しました。痛みを伴う改革ですが、私の時代にやり通すと決めていました。

馬渕:ドライブスルーも改革されました。

原田:今は、道路から入ったらドライブスルーのレーンは車が約6台入るようになっています。当時は、そんなに入らなかったんですよ。道にあふれていました。そのため、いつも混雑しているといった印象になり、お客様が離れていったのです。

馬渕:そのドライブスルー改革は、コロナ以降のマクドナルドを救っていますね。

原田:やっぱり変革っていうのは、全員がハッピーにはならない。撤退していただいたフランチャイズオーナー様のご家族から手紙をいただいたこともありました。お店を救ってください、潰さないでくださいと。

馬渕:つらいですね。

原田:そうですね。しかし、私は変革のためにマクドナルドに来たわけだから、決めたことは行動して最後までやるしかなかったです。

◆絶対に頭を下げなかった記者会見

そんな原田氏を襲った最大の危機は、2007年11月に起きました。マクドナルドの店舗が賞味期限切れの野菜を使ったサラダを販売していることが発覚したのです。

原田:私はすぐに該当店舗のフランチャイズ契約を破棄し、明朝6時までに直営店に変えることを指示し、実行させました。それから早朝にプレスリリースを出し、緊急記者会見。この時の記者会見は、まるで犯人扱いです。ただ、テレビクルーが150人ほどいる中で、私は絶対に頭を下げなかった。ネクタイも“赤色”を付けました。

馬渕:謝罪会見であれば、赤色のネクタイはあり得ないですね。

原田:頭を下げたら、その映像が全国に流れます。それは、全国のマクドナルドの店舗の売上が下がることになります。記者のどんな厳しい質問にも淡々と答えました。「これから1週間、同時刻同場所で、原因究明および対策を報告するため、毎日記者会見を行います。いらしてください」と言いました。実はこの時、マクドナルドの業績は下がらなかったんです。

馬渕:こうした危機管理の際のポイントはなんでしょうか。

原田:謝罪は危機管理の1つの方法に過ぎません。危機管理というのは、つまり業績を守ることなんですよ。その手段を履き違え、謝罪することが目的になって企業ブランドを毀損しすぎることは、よくありますが、それは違います。

馬渕:なるほど。

原田:企業ブランドを大毀損するのは3つです。「トップが裸の王様」「隠蔽しようとする」「アクションが遅い」。この三つで信頼を失う。ただ謝罪すればいいかっていうとそうじゃないんです。

馬渕:だから赤いネクタイだったんですね。

原田:何度も言いますが、業績を守ることが全てのステークホルダーの価値を守る、唯一の手段なのです。

◆唯一の失敗。今だから話せる内容ですね

原田氏が就任した当時、全店売上高(直営店舗とフランチャイズ店舗の合計売上高)が約3950億円だったマクドナルドは、2011年には5400億円まで上昇。その売り上げの成長額は約1450億。これは当時の吉野家全体の売り上げの約2倍であることから、かなりの規模であることがわかります。

しかし、2015年に原田氏はCEOを退任します。いったい何があったのでしょうか。

原田:2013年にベネッセとソニーの社外取締役になりました。そのときに、そろそろ後継者にバトンタッチしなければいけないと思っていました。

馬渕:すでに引き際を考えられていたんですね。

原田:グローバル企業というのは、いつまでも1人でやるのではなく、後継者にバトンタッチする必要があります。しかし、日本人では私の後継者はなかなかいなかった。異文化を知り、リーダーシップを発揮し、外国人を動かす。これは並大抵ではできないです。

馬渕:後継者が見つからなかったんですね。

原田:はい。結果、私がいる以上は、日本人の後継者は育たないと感じたのです。今までトップダウンでやってきた私自身が一歩退くことが、不可欠だと感じていました。

馬渕:退きたいけど、退けない…。

原田:ちょうどそのときに、本社が外国人をCOOに就任させるように言ってきたのです。私は、就任には反対していましたが、本社から押し切られた形となりました。

馬渕:そんな裏話が。

原田:彼が、日本で成功することはないだろうと懸念があったので、COOの就任発表をしなかったのです。これが私の唯一の失敗です。今だから話せる内容ですね。

馬渕:そのCOOはどんなことを行ったのですか

原田:彼がやったのは、「60秒キャンペーン」「カウンターメニューの撤廃」これらは全部失敗に終わり、売り上げが下がったことで、私の退任に繋がったと報道されてしまった。私はCOOを解任し、私も退任する。そういう経緯です。

馬渕:今だから話せる真相ですね。

原田:今日は真実をすべて話そうとこの場にいます。業績不振で退任を決意したわけではない。その事実を今日はお話してよかったです。

2015年の退任に至るまで、さまざまな危機を乗り越えた結果のCEO退任――。その真相に触れられた前編に続き、後編では現在のアジアンカフェ「ゴンチャ」のさらなる展開、タピオカブームは続くのかなどについて詳しく深堀りします。

【原田泳幸氏(はらだ・えいこう)】

長崎県佐世保市出身。1972年、東海大学工学部卒業後、日本ナショナル金銭登録機(現・日本NCR)入社。横河・ヒューレット・パッカード、シュルンベルジェグループを経て、1990年アップルコンピュータに入社。1997年より同社代表取締役社長兼米国アップルコンピュータ副社長。2004年より日本マクドナルドホールディングス代表取締役会長兼社長兼CEO、2014年にベネッセホールディングス代表取締役会長兼社長、2013年~2019年ソニー社外取締役。2019年より台湾発のティー専門店「ゴンチャ(Gong cha)」を運営するゴンチャジャパンの会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を務める。

<聞き手・構成/馬渕磨理子 撮影/山川修一>

―[あの企業の意外なミライ]―

【馬渕磨理子】

日本テクニカルアナリスト、(株)フィスコ企業リサーチレポーター。日本株の個別銘柄を各メディアで執筆。また、ベンチャー企業の(株)日本クラウドキャピタルでマーケティングを行う。Twitter@marikomabuchi

当記事は日刊SPA!の提供記事です。

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