加藤茶×ダチョウ倶楽部 爆笑インタビュー「ちょっとだけよ」誕生秘話!

日刊大衆

2020/9/15 06:00


ダチョウ倶楽部

10月2日から14日まで、加藤茶(77)とダチョウ倶楽部(肥後克広=57、上島竜兵=59、寺門ジモン=57)による『芸道45周年 細川たかし特別公演35周年 ダチョウ倶楽部一座旗揚げ公演』が、明治座(東京)で公演される。

そこで、両者を招いての豪華座談会を開催。前後編2回にわたり、コントへの思い、これからの人生を語ってもらった‼(文中・敬称略)

※   ※   ※

ーー今年の『24時間テレビ』(日本テレビ系)では、77歳とは思えない、ハリのある素晴らしい美声を聞かせていただきました。いつまでもお若い加藤さんの、“笑い”の原点を教えてください。

加藤 高校に行かないで映写技師のアルバイトをしながら、ジェリー・ルイスやチャップリンの映画を何回も観て、“笑いっていいな”と思ったんだよね。

上島 その後、ミュージシャンになるんですか?

加藤 そう。上京してやることなくて、“そういえば親父はバンドマンだったな”と思って、スターダストというバンドの“ボーヤ(付き人や弟子)”を始めて。ボーヤの半年間でドラムを教えてもらったの。その後、バンドに入ってドラムをやっていたら、ドリフターズにスカウトされて…。

寺門 下積みが半年なんて、やっぱりスターですね。モテたんじゃないですか?

加藤 モテたなぁ(笑)。ジャズ喫茶で演奏していた頃、女学生のファンがものすごく多くて、俺がステージに出たら“キャー!”と黄色い声援が飛ぶんだよ。花束をたくさんもらうんだけど、枯らしちゃもったいないから、“悪いけど、お金でくれない?”って。

寺門 お札の首飾りをもらう旅芸人みたいな(笑)。

上島 志村さんも言ってましたよ。舞台をやっているとき、たくさんの祝い花を見て“花より現金が欲しいよな”って(笑)。

寺門 ミュージシャンからお笑いに行くきっかけは、あったんですか?

加藤 リーダーが違った初期のドリフターズのときから、曲と曲の間にサービスでコントをやっていたけど、長兵衛さん(いかりや長介)がリーダーになってコント色が強くなったんだよ。

ーー“バンドからお笑い”といえば、クレイジーキャッツが先駆者でした。

加藤 クレイジーさんがジャズで、ドリフはロックだから、最初は“同じことをやっても被んないだろう”と、クレイジーのネタをパクっていたんだよ(笑)。
ダチョウ え~!

加藤 その後、クレイジーさんが音楽コントをやらなくなっていたから、俺らは音楽を捨てないでやっていこうと。ただ、『8時だョ!全員集合』(TBS系)が始まったら、毎週毎週、コントを考えなきゃいけないから、音楽をやる時間がなくなってしまったね。

■「ちょっとだけよ」が生まれた背景

ーーダチョウさんは『全員集合』を見ていた世代ですよね。

肥後 もちろんですよ。加藤さんの“ちょっとだけよ”なんて大好きでしたから。あのネタは、どうやって生まれたんですか?

加藤 ドリフの5人で、広島のストリップ劇場を観に行って(笑)。

寺門 ホンモノのストリッパーが元ネタなんだ!

加藤 当時、数少ないモロに見せる劇場があって。最前列で見ていたら“待ってました!”と囃し立てる常連客に向かって、“今日も来てんの? あんたも好きね~”って言うんだよ。それをパクったの(笑)。

肥後 “ストリップはマズいだろう”みたいな声はなかったんですか?

加藤 ないない。本番中にアドリブでやったら、お客さんが“ギャー!”と沸いたんだよ。次の日のミーティングで“なんで、あんなにウケたんだろう”と聞かれて、“いや、俺も分からない”と答えたら、“もう1回やってみようか”と。やってみたら、またウケた。“じゃあ、来週もやろう”となって、それが40年以上続いたんだよ。

寺門 アドリブが定番になったんですね。

現在発売中の『週刊大衆』9月28日・10月5日号では、加藤茶がドリフの定番ネタが生まれた背景や、故・志村けんの裏話を語り尽くしている。

当記事は日刊大衆の提供記事です。

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