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【今週はこれを読め! SF編】狂気の細菌兵器、すでにはじまっている破滅

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 表題の「破滅の王」とは、治療法のない細菌兵器のことだ。常識で考えれば、治療法がなければ兵器として成立しない。破壊兵器と異なり、細菌は標的を絞れない。地に放てば、敵味方関係なく冒していく。そんなものを実戦投入できるはずがない。しかし、戦術としてではなく、暗い情念に駆られてこれを用いる者がいたら......。
 微生物兵器がもたらす破滅を描いた小説といえば、第一に小松左京『復活の日』があがるだろう(こちらは細菌ではなくウイルスだが)。しかし、「復活の日」というタイトルが示すように、あれは希望の物語でもあった。治療法のない「MM-88」が世界に蔓延し、人類は南極に滞在していた一握りを除いて絶滅してしまう。ここで描かれる絶滅は惨劇だが、同時にカタルシスでもある。『復活の日』が書かれた1960年代は東西冷戦のさなかにあり、小説に描かれる人類絶滅も絵空事ではなく切実な危機感をもって迫ってきた。
 しかし、二十一世紀のいま、そうした危機感は鈍磨するいっぽうで、別種の焦燥がつのっている。ひとことでいえば「破滅は起こるが、きれいに絶滅などできない」感覚だ。1960年代からこちら、世界各地で繰り返されるテロや内戦をメディア越しに見ながら、私たちは阿鼻叫喚の地獄で死ぬに死ねない自分をイメージする。
 上田早夕里がこの作品で示すのは、その破滅のなか生きていくしかない者の苦さだ(ご存知のとおり上田さんは『火星ダーク・バラード』で小松左京賞を受賞してデビューした作家である)。しかし、「破滅のなか生きる苦さ」といっても、身体的に傷を負うことばかりではない。『破滅の王』の登場人物の多くは、兵器の被害者ではなく、むしろ加害者の側に近い。直接に兵器開発に関わっていなくても、それを看過してしまった、もしくはなんらかのかたちで関与してしまったという咎を負っている。
 主要な舞台となるのは、日中戦争さなかの上海だ。戦前は経済的に重要な国際都市であり、さまざまな文化施設や欧米の理化学研究所があって、学術的な国際交流ができる場所だった。微生物研究に打ちこんでいた青年、宮本敏明はそんな気風に憧れて、この地を踏んだ。彼が勤務するのは上海自然科学研究所であり、そこでは日本人研究者も中国人研究者も分け隔てなく互いを尊重し、純正科学(基礎研究)に没頭している。
 しかし、1937年の盧溝橋事件を経て、上海の雰囲気は大きく変わる。反日感情が急速に高まり、研究所の所員が襲われることもあった。どれほど志の高い研究をおこなっていても、現地の市民からは日本軍の手先としか見られない。
 宮本は同僚の六川正一から日本へ戻らないのか訊ねられ、「いま帰国したら新城先生に顔向けができない」と答える。新城先生とは宮本が赴任した当時の所長であり、日中交流を積極的に進めてきた人物だ。出張先の南京で客死した。
 それに対して、六川は「亡くなった方に義理立てしても、研究者としての人生が終わってしまったのでは意味がありません」と応じる。
 そこから先のふたりのやりとりが、『破滅の王』の通奏低音をなす。

「人間であることに誇りを持てない科学者が、よそで仕事をしても、そこに価値は生まれるだろうか」 「科学と哲学は違います」 「元はひとつのものだった」 「大昔の話です」

大昔の話であったとしても、宮本の言葉は普遍的な問いだろう。私たちの身近なところでは、2017年4月、防衛装備庁が研究資金を提供する「安全保障技術研究推進制度」に対し、日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」が強い懸念を示す声明を発表した。
 イノセントな宮本に対し、六川は少し屈折しているが、彼もまた科学者としての矜恃を備えた人物だ。大東亜戦争が勃発して一年後の1942年12月、その六川が行方不明になる。宮本は六川失踪の裏に、関東軍防疫部の石井部隊の気配を感じるが、明確な根拠があるわけではない。
 ともかく宮本たちが純正科学に専念していられる時代ではなくなってきたのは確かだった。彼の元にも、日本総領事館から奇妙な依頼が舞いこむ。出所のわからぬ、しかも欠落がある科学文書を精査せよというのだ。しかも、その内容を外に漏らしてはならない。精査作業中は密室でおこなわれ、武官である灰塚少佐が付きそう。
 文書のテーマは驚くべき微生物だった。同種であるグラム陰性菌に寄生し、それを栄養源として繁殖する細菌「R2v」。生物がふつうに備えている腸内細菌もグラム陰性菌であり、R2vが環境に放たれれば容易に罹患する。実験に用いたマウスの致死率は九十八パーセント。生き残った個体も重度の神経障害におかされる。抗生物質の投与も無効だ。
 こんな細菌が自然界にいるとは思えない。人為的な変異によって生みだされたのだろう。この宮本の推測はあたっていた。R2vは関東軍防疫部の委託を受けた兜製薬満州支社の研究所で開発された。研究を主導したのは真須木一郎という元軍医である。
 この事実を知って宮本は震撼する。「同種の細菌を食う細菌」は研究者にとって世界初の画期的な発見である。その成果を学会で発表もせずに秘匿したとすれば、そこにどれほどの黒い情念が隠されているのか。そして、追い打ちをかけるような事実が、総領事代理の菱科の口から明かされる。日本軍は1940年から中国各地で秘密裏に、細菌兵器の実証散布をおこなっていた。使われたのはコレラ菌、チフス菌、ペスト菌。R2vもそれに連なる新兵器として研究されていたのだ。しかし、真須木をはじめとする研究所の人員はすべて死に、研究所は解散となった。その混乱に乗じて、研究文書とR2vの菌株を持ち去った者がいる。文書は分割され、その一部がどういうルートからか日本総領事館に持ちこまれたわけだ。
 宮本は逡巡する。研究者の本能として、文書の記述を頼りにしてR2vのワクチンや治療薬の開発をわが手で成しとげたい。しかし、それはとりおなおさずR2vを細菌兵器として完成させることにほかならない。
 いずれにせよ、事情を知ってしまった宮本には、もう後戻りの道はない。灰塚少佐は彼に拳銃を渡してこれで身を守れという。「君が死ぬとR2vへの対策が遅れて大勢の人命が失われる。それを忘れないように」。
 どうやら行方不明になった六川も、宮本とはまた違うかたちでR2vと関わってしまったらしい。ある日、宮本の元に郵便局の消印がない封筒が届けられる。そこには六川の言葉で「研究所の温室にある沖縄産の植物を調べて下さい。解決の手がかりになるはずです」と記されていた。
 これ以降、宮本の時間は研究活動よりも、現実的なR2vをめぐる問題解決が主となる。菌株を持ちさった者の正体、残りの研究文書の行き先、全滅した真須木研究グループの事情、それらの解明にいうおうなく関わることになる。事態を大きく変えたのは、上海共同租界の住む開業医・魏文林経由でもたらされた情報だ。六川は日本にいたころから早崎正二という研究者と懇意だった。表向きは親友といっていたが、実際は血を分けた兄弟だという。その早崎も中国へ渡っていた。しかも、兜製薬の真須木研究グループの一員だったというのだ。研究グループは全員死亡したと伝えられていたが、早崎はその前にグループを抜けて行方不明になっていた。R2vについてもっとも詳しい人物だ。
 早崎の消息をたどることが事態収拾の早道だが、それが叶わぬまま、宮本の行動は制限されてしまう。魏と面談したことで、中国側へ情報をリークしたと疑われたのだ。けっきょくどんなときも軍部や政府筋が介入してくるのである。しかし、もう残された時間はあまりない。魏によれば、六川と早崎は「R2vの前線での散布は間近だ」と言っていたという。
 また、R2vの情報は、すでに諸外国の手にも渡っているらしい。日本軍が中国で散布に踏みきる危険ばかりか、ナチスが欧州戦線で投入する可能性もあるのだ。もちろん、治療法のない細菌兵器を用いるなど通常では考えられない。しかし、この戦争はいつのまにか狂気の域に入っている。R2vを発見した真須木一郎にしたところで、ほんらいは真摯な学術の徒だった。しかし、軍部との関わりのなか、後戻りができない地点へと踏みこんでしまったのだ。
 宮本がいまいるところも、真須木の境涯とそう変わらないのかもしれない。宮本ばかりではなく、六川や早崎をはじめとする研究者、さらには軍人や政治家、一般市民にせよ、大きく動き出してしまった事態のなかで、自分の意志を持つことが難しい。
 ひとりの登場人物が、R2vをめぐる最終局面で次のような感慨にひたる。

すべてが終わったときに自分が手にするのは、自由か、あるいは厳しい裁きなのか。新しい時代の価値観に名誉を傷つけられ、守りたかったものをすべて失い、絶望の中で人生を終えるだけなのかもしれない。だが、それも、生き延びてみなければわからないのだ。

『破滅の王』は、もうひとつの世界線における、七十年以上も昔の物語である。だが、「生き延びてみなければわからない」は、いまの私たちひとりひとりが引き受けている境地だろう。この感情を持たぬのは想像力の欠如である。
(牧眞司)

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