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戦国時代の“脇役”宇喜多秀家が再評価される理由

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関ヶ原の戦いで29歳の若さながら西軍の副大将をつとめ、最前線で奮戦した「備前中納言」宇喜多秀家。敗戦後は八丈島に流罪となり、84歳まで生きた。

石田三成や小西行長など西軍諸将が処刑されていく中で、“最大級の戦犯”であるはずの秀家は「なぜ」殺されなかったのか!?

SPA!の記者が関ヶ原後の秀家の足どりをたどり、全国各地で400年間語り継がれてきた逸話をリポート。その「なぜ」の裏には、奇跡的な“命のリレー”の物語が潜んでいた!!

◆“脇役”だった宇喜多秀家が注目を集める

岡山城をつくった戦国大名・宇喜多秀家と妻の豪姫役に選ばれた男女を先頭に、武者行列が入城していく。

岡山市で毎年行われる「秋の桃太郎祭り」(10月7~9日)の一貫として10月8日、「宇喜多秀家☆フェス」が岡山城天守閣前広場を中心に行われた。今年で9回目となり、年々来場者が増えているという。

宇喜多秀家といえば、岡山57万石の太守で五大老の一人とはいえ、関ケ原で西軍に属した石田三成、大谷吉継、島津義弘などと比べて知名度はかなり低い。歴史小説やドラマなどでも非常にマイナーな存在だ。今年公開された、岡田准一さんが石田三成役で主演をつとめる映画『関ケ原』でも、宇喜多秀家はほんの一瞬しか登場しない。

ところがここ最近、その宇喜多秀家に注目が集まっているのだという。岡山市で観光ボランティアガイドをつとめる木梨厚忠さんはこう語る。

「最近では『関ケ原の戦いは、当時の人々は徳川対石田ではなく、徳川対宇喜多と認識していたのではないか』と主張する歴史研究者も出てきています。特に岡山市では、岡山城をつくった秀家についての再評価がさかんに進められています。現在の岡山市街地は、秀家の時代に整備されたものが基礎になっているんです」

岡山城内の資料館も、今年から宇喜多氏関連の展示が新たに追加された。これまでは江戸時代に岡山を治めていた池田家のものが中心だったが、岡山市では宇喜多氏に関する展示を今後も充実させていく方針だという。

◆死罪を免れた背景にあった、協力者たちの存在がいまも語り継がれる

岡山市内にある宇喜多家の菩提寺「光珍寺」の石渡隆純住職はこう語る。

「もともと秀家卿は豊臣家の猶子(準養子)、美男で長身だったということで“戦国の貴公子”とも呼ばれ、歴史好きの女性の間では密かに人気がありました。ところが、最近になって秀家卿の人生そのものにも注目が集まってきました。関ケ原の戦いでは“最大級の戦犯”であったはずなのに、各地で奇跡的に命を助けられ、その陰にはさまざまなドラマがあるということが知られてきたようです」

1600年9月、関ヶ原で敗戦した宇喜多秀家は、伊吹山中に落ち延びたところを「落ち武者狩り」に来たはずの地元の侍・矢野五右衛門に匿われる。そして矢野家に約40日間潜伏した後、大坂備前屋敷の妻・豪姫のもとへ送り届けられた。

さらに大坂から薩摩(鹿児島)の島津家を頼って小舟で出航、1601年6月に薩摩半島の山川港に上陸。大隅半島の牛根郷(垂水市)の豪族・平野家に匿われて2年3か月潜伏する。

しかしその後徳川家に秀家の存在を知られてしまい、裁きを受けるため伏見(京都府)に護送され、久能山(静岡県)での幽閉が決定(1603年8月)。久能山で約3年を過ごした後、1606年4月に二人の息子とともに八丈島へ流罪となった。

「秀家が死罪を免れた背景には、人間的な魅力も多分にあったのだとは思いますが、多くの協力者の存在が不可欠でした。その協力者たちの子孫をはじめ各地の人々が、今でも秀家の話を語り継いでいるのです。石田三成や大谷吉継のような“悲劇のヒーロー”にはなれませんでしたが、多くの人に助けられながら、自分を曲げることなく関ヶ原のどの大名よりも長生きしました。その人生は、新たな歴史上のヒーローの形と言えるのではないでしょうか」(木梨さん)

【宇喜多秀家】

1572年、備前国(岡山県)の豪族、宇喜多直家の子として生まれる。直家の病死により11歳で備前美作57万4000石の大大名に(1582年)。豊臣秀吉の猶子(準養子)として庇護を受け、「豊臣」姓と「秀」の字を賜る。秀吉の四国(1585年)、九州(1587年)、小田原(1590年)攻めに参陣して軍功をたてる。朝鮮出兵(1592・1597年)には総大将(途中から)などをつとめ大軍を率いて渡海した。それとともに参議(1587年)、従三位(1588年)、権中納言(1594年)を拝命、27歳の若さで五大老に列する(1598年)など、順調に昇進。秀吉の養子であった前田利家の四女豪姫と結婚し(1587年以前)、豊臣家を支える“股肱の臣”として活躍。関ヶ原の戦いで敗戦、八丈島に流罪となり84歳で没した(1655年)。

取材・文・撮影/北村土龍


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