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「NSU Ro80 後期型」の熟成度で1967年に登場していたらロータリーエンジンの歴史は変わっていたか?【RE追っかけ記-8】

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1967年フランクフルト・ショーのセンセーションがNSU Ro80でした。フェリックス・ヴァンケル研究所とともに共同ライセンサーのNSUのヴァンケルスパイダーに次ぐ、RE車2ローター・エンジン搭載の野心的先進デザインと機構の4ドア・セダンでした。
アウディ・NSU社のRo80販売中止発表で、惜別をこめ後期改良型Ro80でババリアのスイス・アルプスへ。ロスフェルトは有名なヒルクライムコース、ヒットラーの別荘ベルヒテスガーデンが試乗ルート。

NSUは、REをもってメルセデス、BMWの上級中型セダン領域挑戦を目指しました。マツダが67年5月30日にコスモスポーツを発売したので、『世界最初の2ローター車』とはなりませんでしたが、コスモスポーツが6年間で1524台を手押しラインで製作したのに対し、Ro80はアウディNSUに再組織された1977年までの10年間37,398台が生産されました。一方でマツダは、『ロータリゼーション』と銘打って、小型車からピックアップ、ミニバスまでRE搭載の戦略に出ます。
audi press kit。後期型 Ro80を借り出したのはアウディ・ NSU社で、VWグループ傘下。 NSU市販モデルは、最後のリアエンジン・プリンツ4LとRo80に縮小していた。

オランダのオートヴィジー誌主催のカー・オブ・ザ・イヤーのヨーロッパ人審査員は、1968 ECOTYにRo80を選びました。REをはじめ、盛り込まれた先進技術と試乗会環境(……)と自動車ライターモードの走り、それと「飾って置くだけでいい」といえるほど傑出したデザインが彼らを魅了したのは想像に難くありません。
欧州モーターショーの初期型Ro80カットモデル。フロントオーバーハング縦置き2ローター、フロントインボードブレーキ、4輪独立サスなど先端技術満載。

Ro80は、それまでのリア横置き空冷直列エンジン車とは、別種、異種といってもいい革新設計の前輪駆動車でした。KKM612は、ヴァンケルスパイダーKKM512系設計で、2ローター実験エンジン3代目、単室容積498cc x2でした。吸気ポート位置は、多くのメーカーがローターハウジング周面のペリフェラル(ペリ)とサイドハウジング上のサイドの両方を試作していましたが、欧米勢は高速出力に優れたペリ、マツダ(とフルコピーのソ連LADA)は低中速性能重視のサイドを選択します。
RE発表の2年後1961年1月の米自動車技術会でNSU開発リーダー、ヴァルター・フレーデ博士の27ページの論文。研究開発過程で、エンジンは、台上KKM250、KKM 400、そしてスパイダー実験車KKM400について。アペックスシールは一体型。

Ro80は、フィヒテル&ザックス電気気圧作動自動クラッチ、ZF製ラック&ピニオン・パワーステアリング、ダンロップATE全輪ディスクブレーキ(前輪は最終駆動側インボード)など、当時は高性能上級車しか用いていない先端技術を採用しました。サスペンションは、前ストラット、後セミトレーリングアーム型です。

「満を持して」のはずで、NSUは1959年以後、多くのRE解説、論文を発表しました。実験室内、実験車のデータも出ていますが、市販車では多々、問題が発生します。マツダ独自の技術としてカーボン・アペックスシールが挙げられますが、NSUも初期ヴァンケルスパイダーには一体型カーボンシールを用いました。問題は、摩耗の早さでした。マツダは、日本カーボンと共同で、アルミ合浸カーボンシールを開発し、チャターマークと呼ばれたトロコイドハウジングの異常摩耗問題を解決したのは、ご存知の通り。

NSUはRo80エンジンで鉄系3分割シールを採用しました。理論的には、、シール下のガスがシールを擦動面に押し着け、機密を保つという巧妙な形状のはずでしたが、設計と材料選択が未熟でした。プラグ汚れ、性能低下、オイルと燃料消費の劣化、そしてディーラーでのサービス体制不備で、エンジン丸ごと交換なる、RE、Ro80の評価を落とすことになります。初期のクルマのツールキットには、予備スパークプラグが含まれていました。

NSUは、Ro80の性能とREフィーリングからして、ユーザーは高速、幹線道路の巡航を主に使うだろうと想定しました。現実には、ストップ&ゴー、それも、REの回転上昇の滑らかさを楽しむ加速を多用、さらにコールドスタートから即加減速繰り返しをしたのです。側方通風ソレックス気化器もデリケートなチューニングを要しました。エンジン開発陣は、多くの改良、変更を加えています。各ローター室2本のスパークプラグから中間期は1本、そして後期には2本。アペックスシール形状、材料も変更改良されました。

1977年までの10年間、Ro80のエクステリアは、市場法規対応の灯火類変更以外、ほとんど変化はありませんでした。いま見ても傑出したデザインと思います。発表当時、「一体誰がデザインしたのか!?」と驚嘆するだけでした。NSUは、スポルトプリンツ・クーペは、ベルトーネに委託しました。マエストロ・ジウジアーロの作と言われます。日本にもサンプル輸入されましたが、正直、「ベルトーネの縮小版」が印象でした。対してRo80は衝撃的でした。
NSUチーフデザイナーで、Ro80デザイン・クリエーター、クラウス・ルーテ。後にBMWにおいて、数々の成功デザインを指揮する。

クラウス・ルーテは後にBMWデザイン・ディレクターとなり、初代3シリーズ( E21)から初代7シリーズまで、現在のBMWデザイン・ステートメントを創造したと思います。

ルーテは悲劇的な事件(麻薬中毒の息子を故殺し、有罪判決を受けますが、事情酌量で釈放)を起こし、BMWを退き、外部コンサルタントとなりました。

最終型Ro80のババリア・アルプス地方トリップは、快適そのものでした。サキソマット・トランスミッションは2ペダル操作ですが、Hパターンのシフトレバーは残っています。レバーノブを握るとソレノイド信号で気圧でクラッチを作動します。ペダルレスでシフトします。

MT愛好者は、ふたつのペダルとレバーの電光石火作動にこよなき歓びを感じるようです。私、1949年に免許取得した際、両足になんと不条理な動きをさせるなと感じたことを覚えています。1930年代の人たちもそうで、イギリスでは右足のアクセレレーターと左足のクラッチを同時操作からずらそうと『プリセレクター』なる仕掛けを考案採用しました。戦前1939年から60年代半ばまでロンドン市内を走っていたRT型2階建バスがプリセレクターを採用していました。戦後、英欧乗用車の多くの2ペダル+シフトレバーのサキソマットをオプションとしていました。Ro80は、標準で、 MTの設定はありません。
LutheのクーペスケッチRo80 coupe。ルーテが意図したのはスポーツクーペであったが、NSU経営陣は、より市場の大きなセダンを選ぶ。

私の後期型の印象は、この熟成度で1967年に登場していたら、NSU、Ro80、そしてREにとって違った運命が拓けたかも。その意味では、東洋工業/マツダの執念、努力と技術は賞賛すべきと思います。そして比類なき回転型エンジンのフィーリング、直接駆動、あるいはエネルギー供給源としても存続を願います。

(山口京一)

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