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名古屋人が「最も行きたくない街1位」でも、全く気にしない理由

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名古屋市観光文化交流局の調査で「最も行きたくない街」で1位という不名誉な称号を得てしまった愛知県名古屋市。週刊ポストでは「名古屋嫌い」という特集まで組まれ、気がつけばなぜかバッシングの対象になってしまったが、当の名古屋人たちはこうした話題に「確かにそうかもねぇ~」と上の空。果たしてその思いは自信からくるのか、はたまた諦めからくるのか。

だがしかし、行きたくない街だからといって、その街が廃れているとも、住みやすくないとも言えるものではない。本当に世間で言われるほど、名古屋はダメな街なのか。小バカにされ続ける名古屋の底力、名古屋の真の姿に迫った。

◆濃尾三川に囲まれ、東海道五十三次でも飛ばされた独立国

名古屋の異質性を知るには、まずその歴史をひもとかねばならない。名古屋は、1610年に徳川家康の命によって、それまでの清洲に代わる新しい国府として生まれた。本来ならば中部地方の中心都市として賑わっていたはずである。だが、当初から名古屋は“閉じた社会”であったと名古屋出身の作家・清水義範氏は指摘する。

「江戸時代最大の交通路であった東海道は名古屋城下を通っておらず、手前の熱田から桑名へ船で渡るルートになっています。これは東海道で唯一の海路であり、なぜそこまでして名古屋を避けたかというと、木曽川・長良川・揖斐(いび)川の“濃尾(のうび)三川”と呼ばれる大河の存在があったからです。江戸時代は基本的に川に橋を架けず、人力で渡らねばならなかったので、濃尾三川を横断するのは困難。それゆえ、旅人たちは名古屋を迂回し、城下町は仲間内の名古屋人だらけの社会になったのです」

新幹線の停車駅やイベントの開催、チェーン店の進出が名古屋とその周辺を避ける“名古屋飛ばし”の元祖は、東海道五十三次の時代からあったのだ。だが、それにより、幸か不幸か名古屋は江戸・大坂から独立性を保つこととなる。濃尾三川を隔てた桑名(三重県)では関西弁の影響が強いが、名古屋は独自の方言を保っているのがその証しだろう。名古屋は関東の「バカの文化」でもなく、関西の「アホの文化」でもなく、いまだに「たわけの文化」なのである。

「交通の要衝から外れてしまった名古屋ですが、濃尾平野は気候が温暖で農業が発展しており、62万石という非常に豊かな土地だったため、経済的に困窮することはなかった。しかも、尾張藩は御三家の筆頭ですから、名古屋人が江戸や大坂に対して引け目を感じることもない。仲間内で満ち足りた生活ができる気楽さがあり、さながら独立国のような精神性が育まれることになったのです」

◆徳川宗春の失脚により安定志向の経済確立へ

そんな名古屋に転機が訪れたのが第7代藩主・徳川宗春の時代だ。時の将軍・吉宗は倹約に努めたが、宗春は消費によって経済を回すという、およそ江戸時代とは思えぬ先進的な経済政策を取り入れた。

「常設の芝居小屋をつくり、遊郭を公認し、相撲興行を許可するなど、“パッと遊べ”と号令をかけたのです。宗春の治世で名古屋は京都を上回るほどの華美な繁栄を手にし、全国各地から人が集まり、人口は40%も増加しました。ところが、領民が浪費を覚えてしまったことで、次第に財政は逼迫。最終的に、宗春は御三家でありながら吉宗に謹慎を言い渡されるという屈辱的な仕打ちを受けることとなりました。そして、この出来事は浪費による大借金の苦しみとともに名古屋人の記憶に深く刻まれ、以降、地に足のついた質実剛健な経済を目指すようになったわけです」

その結果、流行や華やかさよりも「損か得か?」を重視する功利的な市民性が定着したと清水氏。その功利主義的な市民性は庶民だけでなく、藩主にも大きな影響を及ぼし、戊辰戦争の際には御三家でありながら官軍に味方し、名古屋徳川家はお取りつぶしを免れたことにも表れている。名古屋人特有の経済観念は受け継がれ、経済基盤は盤石となり、バブル景気にも浮かれず、安定した社会を形成。宗春を反面教師としたことが今の名古屋の経済的安定を招いたとも言えよう。

「ですから、都市ブランド・イメージ調査において圧倒的な最下位であっても、名古屋はノーダメージなのです。なぜなら、名古屋人にとっての社会は名古屋で完結しており、経済も安定しているから他都市と比較することなど意味がない。コンプレックスを感じるどころか『ツレ同士で幸せに暮らしているのだから、よそ者がつべこべ言うな。名古屋は名古屋だけのもの』という“大名古屋思想”が当たり前となっているのです」

“大いなる田舎”と批判されても、名古屋人にとっては「だからこそ安住できる祖国」ということになる。この閉鎖性が、いつまでも名古屋を名古屋たらしめている最大の要因でもある。

「地政学的には、東京にも大阪にも近く、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑のように天下人を輩出するポテンシャルはあります。しかし、天下を取っても、名古屋人にとってはツレの一人という枠を出ません。例えば、信長は『バカな格好でうろついとったうつけ者だがや。昔のことを知っとるで威張られてもピンとこんわ』となり、秀吉は『中村(※秀吉の出身地)のサルだがや』、家康は『那古野城の人質だがや。人質殿が将軍様だと言われても実感がわかんなぁ』となる。どこまでいってもツレ・コネクションの一員という扱いで、それゆえに三英傑は都を名古屋に置かず、全国区で成功した名古屋人は、名古屋に帰ろうとしない。このツレ文化が煩わしくて外に出ていく若者は多く、実は私もその一人でした(苦笑)」

外から見ると地味で存在感がなくとも、健全な経済に支えられたツレ社会の中では最高に居心地のいい都市、それが名古屋。誰に何と言われようが、名古屋人にとっては柳に風なのである。

【清水義範氏】

小説家。’47年、名古屋市生まれ。愛知教育大学卒。’81年に『昭和御前試合』で文壇デビュー。著書に『笑説 大名古屋語辞典』ほか多数。近著に『日本の異界名古屋』(ベスト新書)がある

図版作成/前之浜ゆうき


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