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「スカートを切る」行為が象徴していることとは?欅坂46『月曜日の朝、スカートを切られた』

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見ていくとそこには『サイレントマジョリティー』のMVと同じ格好をするメンバーの姿があった。MVの終盤にかけてその映像が挿入されており、最後は意味深に『サイレントマジョリティー』のMVの撮影場所であった工場現場とそこへ向かうメンバーの姿が映し出される。

『サイレントマジョリティー』に繋がるMV




気になるのは『サイレントマジョリティー』との関係性である。公式ブログによるとサイレントマジョリティー以前の少女たちを描いたとのことらしい。つまり、大人の支配からの離脱、そして自由を求めるという意識が芽生える以前のことを歌詞に反映している。少女たちが世の中に違和感を覚え、行動に移す要因は何であったのかということが『月曜日の朝、スカートを切られた』では語られている。今回はその真相に迫っていきたい。

欅坂46 サイレントマジョリティー



欅坂46らしい社会への不信感を表した言葉が散りばめられている。真実は学校ではなくネットにあると言い、内包する若さを表現している。これまでと異なるのは、学校という枠組みにおける小さな反抗心に留まっている点である。この時点ではまだ反抗期といったほうがよいのかもしれない。一定の枠組みに収まっていた不信感がある出来事を境に外へと向かっていく。

嘘に慣れる必要がある



「ここから出るには…」という歌詞のこことは学校という枠組み、小さな社会のことだと推測するが、「…」には期待感が感じられない。むしろ失望感のほうが大きいような印象を受ける。それには学校のコミュニティから抜け出してもその延長線上にあるものとして社会というコミュニティが存在しているからである。学校は社会に従順でいるための訓練場のような場所で、「嘘に慣れろ!」は社会に従順たる大人になるためには嘘に慣れる必要があることを強調している。

続くサビでようやくタイトルが登場する。「月曜日の朝、スカートを切られた」、何とも印象的な歌詞。その行為に及んだ人物は、通学電車にいるだれか。ここでは、学校における先生のような存在を指す。つまり、社会に押しつぶされ個性を失った、彼女たちの視点でいえば、信用できない大人を象徴している。

そして、「スカートを切る」という行為は、社会へと疑念の眼差しが向き、欅坂46のコンセプトでもある「反社会的」な意識へと向かう端緒になっているということだ。「スカートを切られた」という過激なタイトルであるあまり、様々な議論を呼んでいるが、この言葉の本質は以上に述べたように欅坂46の意識の変化にある。スカートを切るという行為が引き金となり、これまで学校の教師に対する疑念の眼差しが、社会へと向けられていく。

「反社会・反体制」というコンセプト


「スカートを切られた」ことに起因する、明確になった社会への疑念。ここから欅坂46は、『サイレントマジョリティー』以降に見られるように「反社会・反体制」というコンセプトへと繋がっていく。

「私は悲鳴なんか上げない」は、一見彼女たちのイメージから逆向しているように思われるかもしれない。しかし、「悲鳴をあげずに社会に従順であれ」というメッセージを発信していると解釈するのは少々軽率ではないだろうか。

まず、文法的な観点から「なんか」という副助詞は前に置いた言葉を軽んじて扱う性質を持つため、悲鳴という言葉に対しては何の価値も置いていないことが分かる。この言葉は悲鳴を上げられない状況に立たされているわけではなく、むしろ社会に屈服せずに立ち向かっていくという強い意志が込められた自発的な行動であったのだ。このようにスカートを切られたことに対する意識の変化が具体的に表れた箇所になっている。

欅坂46というグループの始まりを予感させる『月曜日の朝、スカートを切られた』。このタイミングでリード曲としてアルバムに収録したことには、アルバムをひとつの区切りとして新たな欅坂46をスタートさせる意図があるのだろう。欅坂46の新章に目が離せない。


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