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赤羽、蒲田、立石…なぜ「横丁」が日本人を引き寄せ始めたのか:焼け跡のような現代日本

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●横丁人気の深層

横丁の人気が高まっている。東京の、いや全国の各地で、衰退した中心市街地の中に横丁的な街区や屋台村などが新たにつくられたり、新築のオフィスビルの中にすら横丁的な飲食街がつくられたりしている。横丁が、街の衰退を阻止したり、街を活性化したりするためにとても必要なものだと考えられている。

横丁、路地裏ブームで注目された街の典型は東京の立石、赤羽、蒲田、あるいは横浜の野毛などであろう。昭和の時代には、労働者の街であったそれらの街は、産業構造の変化により、今は必ずしも労働者の街というわけではない。しかし、労働者の街として栄えた時代の、安くて美味い飲食店が、若い世代を引きつけている。

なぜなのか。その点を解明するために私は『横丁の引力』(イースト新書/10月8日発売)という本にまとめた。詳しくはそれを読んでいただくとして、ここでは簡単に要旨を紹介する。

●おしゃれな店じゃ疲れがとれない

今の若い世代にはあまりお金がないということも、横丁人気のひとつの理由である。もうひとつの理由は、こうした昭和の街の風景が、若い世代にとって、「初めて見るのに懐かしい」場所として意識されるからだろう。横丁の一種のリアルさと濃密さが、デジタル化した生活の中で、新鮮なものに感じられるのかもしれない。

また、女性が横丁で呑むようになったのは、男性と同様遅くまで働き、疲れれば酒を飲みたくなり、しゃれた店より古い横丁のなじみの店に足が向かう。酒のアテも塩辛だのからすみだの。そしてエネルギーを補給するために肉を食べるということだ。

「残業は多い。仕事に疲れたときはレバーがたくさん食べたくなる。鶏レバーも牛レバーも豚レバーも好き。会社の男子ともホルモン屋や焼き肉屋に行きますが、男子より女子のほうが食べる」

「今はパンケーキよりナポリタンが好き。上野や御徒町の古い純喫茶に行って、ナポリタンを食べるのが最近の趣味」と、私のインタビューに答えた若い女性もいう。

●横丁再生の事例

古くて衰退した横丁を、新しい飲食店街に再生した例もある。典型が、吉祥寺駅前の旧闇市ハモニカ横丁だ。

ハモニカ横丁は、敗戦後のどさくさでできた闇市であり、昭和50年代までは非常に賑やかな場所だった。飲食店街というよりは、八百屋、魚屋、金魚屋、鉄道模型屋などが混在する雑多な場所だった。だが百貨店や駅ビルができ、次第に衰退していく。

しかし、1990年代末、吉祥寺でビデオインフォメーションセンターという電器店を経営しており、ハモニカ横丁でも電池やカセットテープを売る店を開いていた手塚一郎氏が、ビデオデッキが1万円以下でしか売れない時代に見切りをつけて20年前に飲食店経営に乗り出し、ハモニカ横丁の中にカフェ「ハモニカキッチン」をつくった。

それが当たり、手塚氏は今ではハモニカ横丁の中だけでも、寿司屋、おでん屋を含めて13店舗の飲食店を経営するに至った。おそらく手塚氏がいなければ、ハモニカ横丁はとっくに再開発されてビルになっていただろう。

手塚氏の経営する店で最近の話題は、焼鳥屋の「てっちゃん」のリノベーションを建築家・隈研吾氏に依頼したことだ。手塚氏は建築に詳しく、それまでも都心のカフェなどを設計する有名インテリアデザイナーや建築家に依頼してきたし、おでん屋の「エプロン」、写真ギャラリーの「闇」は、建築家の塚本由晴氏に設計を依頼している。

さらに、下北沢駅前の旧闇市の中にあった焼鳥屋「てっちゃん」は、駅前再開発で撤退し、駅南口に古い住居をリノベーションして新しい店を出したが、この設計も隈氏。三鷹の古いビルの1階のパチンコ屋をリノベーションしてつくった「ハモニカミタカ」(三鷹駅前)も、一部が隈氏設計で改装され、10月に完成予定だ。

●アトムとジブリとサイバーパンク

現在の日本人の都市や風景に対する価値観は、アトム的なものとジブリ的なもののせめぎ合いの中にある、と私は思っている。

アトム的なものとは、手塚治虫の『鉄腕アトム』などの漫画に現れた、文字通り原子力に象徴される最新技術への信頼に基づく未来的な社会像、風景観を意味する。

対して、ジブリ的なものとは、宮崎駿のアニメに現れた、自然への畏敬に基づく近代以前の社会像、風景観を意味する。

その対比は1970年の大阪万博と2005年の愛知万博が違いとも対応している。大阪万博の最大の呼び物が最新の科学の成果であるアメリカ館の、アポロ11号が持ち帰った「月の石」であったのに対して、愛知万博の最大の人気展示はジブリアニメの『となりのトトロ』の「サツキとメイの家」だったのだ。

さらに、ジブリ的な風景の懐かしさとは別の、都市、風景に対する見方の変化という意味では、ちょうどジブリアニメの『風の谷のナウシカ』のマンガ雑誌での連載が始まった1982年に公開された不思議な映画、リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』について語らないわけにはいかない。

『ブレードランナー』では、冒頭に不思議なシーンが現れる。千葉県の船橋駅周辺を見て監督が触発されたという架空の都市の核戦争後の様子であり、そこには酸性雨が降り続けている。街にはビルが林立し、ビルの上には派手なネオンが光り、看板に映し出された芸者の動画が栄養剤を宣伝している。ビルとビルの間の空を自動車が飛行し、ビルの足下には怪しげな屋台が並んでいるのである。未来と過去の風景がそこでは共存していた。

それまではそうした猥雑な都市の日常を何とも思わないか、あるいはもっときれいで清潔な都市に変えなければならないと思っていた私たちに、『ブレードランナー』は、近代的なビルと派手なネオンとアジア的な屋台が共存していることが魅力的なのだと教えているように私たちには思えた。

サイバーパンクは、アトム的な未来志向でもジブリ的な自然志向でもない第三の志向性でもあった。だから私たちは、先述した「アトム的対ジブリ的」という二元論にさらに「パンク的」を加えた三元論で都市を見ることができるだろう。実際、手塚氏によってリノベーションされたハモニカ横丁の風景は実にサイバーパンク的だ。

●現代は一種の焼け跡ではないか

屋台のある商店街や横丁や路地裏を破壊する再開発への反発が近年着々と拡大してきた。近年は、オフィスをさらに大規模化し、湾岸の工場跡地をタワーマンションにしてニュータウンから人を呼び込んでいる。

そうすると、それまでは何とも思わなかった古い商店や、中小ビルや、しもた屋や、木密地域や、アパートや、団地が、懐かしい存在としてわれわれの目に前に立ち現れ始めた。

そうやって変化する平成時代の、ますます平均化されていく風景を見ると、私は、現代は見方によってはひとつの、うっすらとした焼け跡の時代なのではないか、と思う。

昭和が第二次世界大戦によって記憶されるように、平成は2つの大震災、原発の事故によって記憶される時代である。震災後、原発事故後の風景は、まさに戦争後の焼け跡のようであり、その焼け跡に世界中から集まったボランティアが、炊き出しをし、屋台を出し、横丁をつくって被災者を支援した。そこにわれわれは、人間の一種の原点を見たはずだ。

かつ、平成になってすぐに起こったバブル崩壊は、日本の名だたる大企業を倒産させ、さらにその後の世界経済の変動は、東芝、シャープ、ソニーなどをすら衰退させた。その意味でも平成の日本には一種の焼け跡が生まれたと言えるのではないか。

正社員になれなかった人も、なったけれど先を見限って会社を辞めた人も、闇市よろしく「小商い」を始めた。空襲はないが、放射能を恐れて、あるいは都会暮らしではない生き方を求めて、地方に移住(疎開)を始めた人もいる。

こうしてみると、平成の時代は、なんだか本当に少し焼け跡的なのだ。
(文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表)

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