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個人主義と協調性の板挟み 現代の指導者としてあるべき姿

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■現代の指導者たちが抱える板挟み
今の世の中には「個性をはぐくむ」とか「多様性の重視」という風潮があります。その一方で「和を重んじる」「他人に迷惑をかけない」といった日本の昔からの気質もなくなったわけではありません。現代の指導者は、個人主義をどこまで尊重するのか?他者との協調性をどこまで要求するのか?というような板挟み状態にあるという問題が提示されると思います。
少し前に世間を騒がせ賛否両論を巻き起こした日野皓正氏の「中学生往復ビンタ」事件についても、「コンサート中の短い持ち時間をみんなで回している中で、ひとりの生徒が30分近く演奏を続ける」という「和を乱す」行動をきっかけに起こった出来事でした。
この事件については、当事者間にしかわからないこともあり、関係者の間ではすでに問題が解決しているものと思いますので、本コラムではその善し悪しについて語ることはしません。ここで言及したいのは、私が育った昭和の時代であれば、今回の日野皓正氏の「中学生往復ビンタ」等は事件として取り上げられることはなかっただろうということです。
私たちが育った時代にも個人の尊重は認められていましたが、仮に「他者を意識せず、社会とのバランスを欠いた身勝手な行為」があったならば、個人主義の範疇からは逸脱した行為とされていました。しかし、現代は少し事情が違うようです。

■個人主義の本来のあり方とは
今の日本ではどちらかというと個人の尊重が大きく取り上げられ、個人の権利が独り歩きしやすい状況にあります。大切なのは本来なら個人の権利を全うするうえで、「個人の義務」が裏打ちされるべきなのですが、個人の「わがまま」「身勝手」さえも個人主義としてまかり通っている感がないでしょうか。
「私がしたいのだから、他人にとやかく言われる筋合いはない」などと声高に主張する個人主義者さえ見受けられます。
もし、何らかの指導的立場にある人がこのような場面に遭遇したら、ほとんどの方が「個人主義」と「協調性」の間で悩まれることだと思います。
以前のように、当事者間や限られた範囲のなかで事が収まればいいのですが、現代はSNSの普及などにより、思わぬ第三者が介入し、思わぬ方向に拡散していき、「多様性」にみちた思わぬ意見の嵐にさらされる可能性があります。前後の関係性など無視した、ある場面だけが切り取られ、それに対する様々な意見が闊歩し、「あらぬ問題が起きる可能性が無きにしもあらず」という状況ともいえます。
しかし、ここで改めて「個人主義」の本来のあり方について考えてみるべきではないでしょうか。
「個人主義」のもともとの概念は、「自分個人の自由・尊厳を冒されたくない」そのためには「他人の自由・尊厳を認める」ことで成り立つものです。決して、個人の身勝手なわがままを認めているわけではありません。
「協調性」は「強制的な画一性」とは異なる概念です。穿った見方をすれば、「個人主義」と「協調性」は表裏一体であり、その時々のバランスのとり方・立ち位置で、あるときは「個人主義」が強調され、あるときは「協調性」が強調されるにすぎないのかもしれません。
指導者と指導される者とは「個人主義」的見地から見れば対等な関係であり、互いに認め合い信頼関係が築かれていれば、第三者の的外れな評論など気にすることではありません。指導者は、自分の信念に基づき、自分の責任で、その瞬間に自分が出来ることを、指導される者の為に全力で行う。それ以外の対処法などあるのでしょうか。
(栢原 義則/進学塾塾長)

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