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篠井英介ー現代劇における「男性が女性を演じる」女方の名手だから体現できた、チャーミングで一途な女性像

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 劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。

舞台だからこそ成立する架空の存在といえば、「女方」があげられます。歌舞伎の女性役のことを指すのが一般的な印象ですが、女性も共演する現代劇でも、女方は存在します。歌舞伎のように演者を男性だけに限るわけではないのに、男性が女性を演じるのはなぜなのでしょうか。

それを考えるのにぴったりなのが、現在上演中の舞台「グローリアス!~Glorious!~」です。女主人公を演じているのは、いまの日本を代表する、現代劇の女方・篠井英介(ささい えいすけ)。映像作品でもジェンダーレスな名バイプレーヤーとして活躍していますが、女方の時はさらに妖艶で壮大で、しかし女性としての等身大さも両立させています。成人男性があえて女性役を演じる意味とその魅力に、思いをはせたいと思います。

男性でありながら女性(かつ主人公限定)の役ばかりを務める演者というと、美輪明宏があげられるでしょう。性別と、もはや幽玄の境界をも超越したような美輪からの連想で「女方とは異形なもので、歌舞伎のように作り込んだヘアメークがあってこそ成り立つもの」と受け取られがちですが、篠井の女方は、ナチュラルな女性に見えるのが何よりの魅力です。もっとも、篠井自身も以前出演したテレビ番組内で「映像では男性にしか見えないと思うので、女方として演じるのは舞台に限っている」とこだわりを明かしています。
優雅な身のこなしによる説得力
「グローリアス!~」は、1940年代のアメリカ、ニューヨークに実在した、「世界で最も音痴」と呼ばれたソプラノ歌手フローレンス・フォスター・ジェンキンズのストーリー。イギリスの劇作家ピーター・キルターの手によりニューヨークやロンドン、シドニー、リオデジャネイロなど世界中で上演され、モスクワ版では日本と同様、男優のドミトリー・ボジンがフローレンスを演じています。2016年には「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」の題で、メリル・ストリープ主演で映画化、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされました。

物語は、貧しいピアニストのコズメ・マクムーン(水田航生)が、伴奏者を探している富豪の老アマチュア歌手フローレンスのもとを訪れるところから始まります。音楽への愛をとめどなく語り、言葉が通じない行儀の悪いメキシコ人家政婦にもおおらかな彼女ですが、その歌声は音程もリズム感も皆無なひどさ! なにより問題なのは、自身が音痴なことをフローレンスが認識していないことでした。

史実では、フローレンスはこの時61歳。若い頃から音楽家を目指すものの父親の反対で断念し、駆け落ちや離婚を経て膨大な遺産を相続すると、43歳で歌手になります。映画版では彼女のために奔走する夫(ヒュー・グラント)とのやりとりを中心に描かれていますが、舞台版はキャストが3人のみで、フローレンスの親友ドロシー(彩吹真央、ほか2役)とコズメとの間で展開しています。

篠井は、この時代の富裕層が着るようなクラシカルなドレス姿の着こなしがとにかく優雅。ソファーに腰掛けて脚を横流し、裾をなおす様子などが自然かつ上品で、袖と手袋の間から見える腕や大きく開けたデコルテの透けるような白い肌もとても色っぽいのですが、フローレンスから感じるのはセクシーさではなく、チャーミングさでした。

コズメの話をさえぎって自分の話ばかり続けたり、スタジオに有名歌手と自分のレコードのどちらかがいいかの判定を強要したりなど、フローレンスは一歩間違えればウザいオバアチャンです。まして題材が「歌手なのに音痴」なので、滑稽な老女をオモチャにする悪趣味さと受け取られてしまうこともありえますが、それをすべて解決するのが、女方としての篠井の起用でした。

男性が発声することが困難なソプラノ音域を篠井が歌うことで、音痴の表現が露悪的にならず、エキセントリックな性格も「魂のすべてを歌うことに賭けている」という夢追い人としての一途さに見事に転換されていました。

当初は野心からフローレンスを利用しようとするコズメも、ひたすらに音楽を愛し夢を信じるフローレンスに親愛を寄せていきます。劇中に明言はされませんが、コズメはゲイ。ドロシーはかつて将来を期待されたダンサーでしたが結婚で夢をあきらめたため、「誰かを幸せにするために歌いたい」というフローレンスを信奉していました。
“はみ出し者”たちの姿に希望が
 世間の規格からはみ出ても、ありのままの自分の望みに正直に生きるフローレンスの姿にふたりが惹かれていくさまは、現代劇での女方としての在り方を模索してきた篠井と、彼を“女優”として「欲望という名の電車」「サド侯爵夫人」など名だたる作品の主演に起用し、今作でもフローレンス役を任せた演出家・鈴木勝秀との信頼関係ともオーバーラップされます。

フローレンスのコンサートは、彼女自身による面接に合格した“ファン”しか出席できませんが、その常連として劇中で連呼されていたのが、コール・ポーター。同性愛者であることを公表していた彼がフローレンスに好意を寄せていたのは、コズモ同様、自分を偽らない彼女の姿ゆえにではないでしょうか。

音楽愛好家の批判に落ち込み(そして動揺して、自分の顔の印刷されたラベルのシェリー酒をラッパ飲みする姿が、庇護欲をそそるかわいらしさ!)ながらも、ふたりに支えられた彼女のもとに、音楽の殿堂カーネギーホールでのコンサートの依頼が届きます。1944年、戦時下でありながらチケットは即完売、そして奇跡のひとときが――。

フローレンスが歌の技量に関係なく、劇場の外のつらい現実を忘れさせる癒しになりえたのは、夢への一途な思い以上に、彼女の成功を喜ぶ周囲のひとたちの存在があったがためでした。自分が歩むのはむずかしい道を進む存在に思いを託し、追体験する……。それは、俳優と観客の関係にも、よく似ているかもしれません。


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