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6時間以上にも及ぶ長丁場のライヴで知られるグレイトフル・デッドの傑作ライヴ盤『デッド・セット』

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1960年代の後半から1970年代前半にかけて、アメリカ西海岸のサンフランシスコを中心に活動したロックグループと言えば、ジェファーソン・エアプレイン(後のジェファーソン・スターシップ)、クイックシルバー・メッセンジャー・サービス、スティーブ・ミラー・バンド、グレイトフル・デッド、モビー・グレイプ、イッツ・ア・ビューティフル・デイなど数多いが、彼らは日本でも同じように人気があったのかと聞かれれば、実はあまり知られていなかったと言うしかない。それはなぜかと言えば、“ヒッピー”や“フラワー・ジェネレーション”と呼ばれた彼らのライフスタイルが、当時の日本人の生活とあまりにかけ離れており、同世代のリアル感みたいなものが伝わらなかったためだと思う。中でもグレイトフル・デッドの音楽のサイケデリックな感覚は薬物のイメージが大きいとされ、日本でも全てのアルバムがリリースされていたにもかかわらず、熱心なファンを除いてはリアルタイムで聴かれなかったグループのひとつである。実際にはデッドの音楽は難解でも不可解でもなく、純粋に優れたロックグループだと僕は思う。今回はデッドが81年にリリースした2枚組の傑作ライヴ盤『デッド・セット』を取り上げる。

ロックフェスとサイケデリックロックが盛んになった60年代末

60年代後半から『ウッドストック』をはじめとして、万単位での人が参加するロックフェスが流行する。69年に行なわれた『ウッドストック』の参加者は30万人で、映画やサントラなども制作され日本でも大きな反響があった。僕も映画を観たが、当時の日本の若者にとって、“ラブ&ピース”をスローガンに身体にイラストを描いたり、裸で歩き回っていたり、ドラッグでヘロヘロになっているヒッピーの若者たちの姿は驚きであった。まさにカルチャーギャップというか、ライフスタイルのあまりの違いに、この映画がドキュメンタリーだとは信じられなかったほどだ。ただ、『ウッドストック』が開催されたのは東海岸のニューヨーク郊外で、実はその頃の西海岸(特にサンフランシスコ)はもっとぶっ飛んだエリアであった。

ハイト・アシュベリーから生まれた『ローリング・ストーン』誌

ロックとドラッグが絡み合っていた時代、アメリカ西海岸では他のどの場所よりもヒッピー文化が進んでいた。西海岸ロックのメッカと言われるサンフランシスコの「ハイト・アシュベリー」には、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジと同じように芸術家やミュージシャンなどが集い、ヒッピー文化の発信地として輝きを放っていた。男性は破れたジーンズに長髪、ヒゲ、女性は長髪に大きなサングラス、裸足といった、今ではギャグにしか見えない若者たちがいた。ロックはもちろん盛んで、サンフランシスコ出身のグループやシンガーはビル・グレアムの「フィルモア・オーディトリアム」やチェット・ヘルムスの「アヴァロン・ボール・ルーム」に出演していたし、1967年にはロック専門誌『ローリング・ストーン』が創刊された、そんな場所であり時代であった。

サイケデリックロックの隆盛

冒頭でも述べたがサンフランシスコの人気ロックグループと言えば、ジェファーソン・エアプレイン、クイックシルバー・メッセンジャー・サービス、スティーブ・ミラー・バンド(ボズ・スキャッグスが在籍していた)、モビー・グレイプ、グレイトフル・デッド、ドアーズ、ジャニス・ジョプリンあたりであったが、基本的に彼らの音楽はドラッグ絡みの長尺曲が多く、当時流行していた3分で完結するポップなものではなかったため、地元の熱狂的なファン(主にヒッピー)以外には、なかなか理解されなかった。

彼らの音楽はサイケデリックロックと呼ばれ、67年に20万人以上を集めて開催されたロック史上最初の大フェスである『モンタレー・ポップ・フェスティバル』に大挙出演してからは、彼らの名前は全国区となる。このフェスは以降のロックフェスの雛形となり、『ウッドストック』も『ワトキンスグレン』も、この『モンタレー・ポップフェス』をモデルにしている。

ジェファーソン・エアプレインはフェスに出演後、全米5位となる「あなただけを(原題:Somebody To Love)」をリリース、サンフランシスコのロックグループのレベルの高さを全世界にアピールし、他のグループも大いに注目されることとなった。

グレイトフル・デッドの登場

反ポップ、反権力を信条にしていたサンフランシスコ周辺のグループも大レコード会社に所属するようになると、徐々に骨抜きにされ普通のロックグループになってしまい、前述のジェファーソン・エアプレインのように全米レベルのヒット曲を出すようになるのだが、65年に結成されたグレイトフル・デッドはリーダーのジェリー・ガルシア(95年逝去)を中心に、ヒット曲とは無縁の音楽活動を行なっている。

デッドはブルーグラスからジャズまでの幅広いカバー曲と、メンバーのインプロビゼーションを中心にした長尺曲で、1回のステージが6時間から8時間という圧倒的なパワーで数多いファンを獲得する。デッドは在サンフランシスコのグループの中でもっとも自立した性格を持っており、ライヴの運営やレコード制作全てを自分たちで行なうなど、独自のコミューンを形成していく。コンサートや日常生活のフォローは“デッド・ヘッズ”と呼ばれるファンクラブのメンバーが行ない、デッド・ヘッズは全米に存在するだけに長いツアー生活でも耐えられたそうだ。

デッドの編成はツイン・ギター、ツイン・ドラムといった変わったスタイルで、彼らのライヴを観たデュアン・オールマンは大いに気に入り、オールマン・ブラザーズ・バンドをスタートさせる時、同じ編成にしている。確かに、デッドの2ndアルバム『太陽の賛歌』(‘68)では、すでにオールマン的なサウンドが聴ける。

スタジオ録音盤が売れないグループ

やりたい音楽だけをやり続ける彼らは商業的には向いておらず、ライヴという形態がもっとも似合う。グループとしての音楽は、ジャズ的、フォーク的、カントリー的、ブルース的、ブルーグラス的、ハードロック的など引き出しが多く、1ステージは6時間以上に及ぶことが普通で、フィッシュやテデスキ・トラックス・バンドなど、今でもデッドのやりかたを踏襲しているグループは少なからずいて、デッドが元祖ジャムバンドであることは確かである。そんな彼らだけに、スタジオで収録時間40分の売れるアルバムを作れといっても無理に決まっているのだ。

だから、彼らは結成当初から優れたライヴ盤が多い。2枚組『Live/Dead』(‘70)、2枚組『Grateful Dead』(’71)、3枚組『Europe 72』(‘72)、2枚組『Steal Your Face』(’76)など、どれも名盤ばかりである。近年、これらのライヴ盤に時間の関係で収録できなかった膨大なパフォーマンスが、未だにリリースされ続けているのだから驚くほかない。世界一のライヴバンドといっても過言ではないと僕は思う。

本作『デッド・セット』について

本作はアコースティック系のナンバーを収めた2枚組『Reckoning』(‘81)と対となるロック系のナンバーを中心にした2枚組である。彼らにとっては80年代に入ってからリリースする初のライヴアルバムとなるわけだが、本作はサンフランシスコとニューヨークで1980年に行われた23日間にも及ぶツアーの、ほんの一部を収録したもの。80年はデッド結成15周年の節目の年でもあり、普段よりもパワフルにツアー活動をしていた時期に当たる。毎日、6~8時間演奏していたようで、その中の名パフォーマンスばかりを凝縮しているのだから、このアルバムの出来が悪いわけがないのである。

何と言っても収録されている楽曲は名曲揃いだし、演奏も彼らにしてはタイトで、特にドラムのふたりが締まった良い演奏をしている。ジェリー・ガルシアのギターについては普段通りで、気負っていないところが素晴らしい。余談であるが、ジェリー・ガルシアは『ローリング・ストーン』誌の「歴史上、最も偉大な100人のギタリスト」(2003年版)で13位に選ばれているだけに、普段通りでも十分すごいギターなのである。

デッドはまあまあメンバーチェンジするグループなのだが、このアルバムでの面子がもっとも長い間続いている(約10年)ところをみると、ガルシアはこのメンバーが一番良いと思っていたのかもしれない。観客の反応もしっかり収録されていて、デッドのライヴの楽しさが伝わってくる名作となっている。アルバムの最後を締め括る「Brokedown Palace」は彼らのオリジナルの中でも1、2を争う名曲なので傾聴したい。

デッドはとっつきにくいと思っている人でも、本作は入門用作品としても最適なので、ぜひ聴いてみてほしい。

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