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【テレビの開拓者たち(6) 小山薫堂】人々の“共感”をどう作っていくかがテレビの課題

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80年代半ば、大学在学中に「11PM」(’65~’90年日本テレビ系)で放送作家としてデビューし、90年代以降は、フジテレビの深夜番組の“マーケティング三部作”といわれた「マーケティング天国」(’88~’90年)「カノッサの屈辱」(’90~’91年)「TVブックメーカー」(’91~’92年)、そして絢爛豪華な料理対決番組「料理の鉄人」(’93~’99年フジ系)などなど、これまでにない革新的なスタイルの番組の企画・構成を数多く手掛けてきた小山薫堂。近年は、映画「おくりびと」の脚本で数々の映画賞を受賞し、さらに熊本県のPRマスコットキャラクター「くまモン」のほか、イベントや商品の企画・プロデュースなど、実に幅広い活動を展開するクリエーターだ。そんな小山氏に、現在放送中の「小山薫堂 東京会議」をはじめとするテレビ番組作りに懸ける思いや、放送作家としてのポリシーについて、改めて語ってもらった。

■ 「カノッサの屈辱」の企画意図は“女の子を口説くため”(笑)

──小山さんが初めて放送作家として携わった番組は?

「最初は『11PM』だったんですけど、そのときはまだ全然ペーペーで。作家としてちゃんと参加できたなと思ったのは、『メリー・クリスマス・ショー』(’86年日本テレビ系)という音楽番組です。当時、僕はまだ大学4年生だったんですけど、僕をかわいがってくれていた先輩の作家が声を掛けてくれて」

――桑田佳祐さんの呼び掛けの下、松任谷由実さん、忌野清志郎さんといった、そうそうたる顔触れのアーティストが集まった伝説の番組ですね。

「そうですね、あの番組を経験したことで、テレビってこんなに多くの人を感動させることができるんだ、ということを実感できました。放送作家って素敵な仕事だな、面白いなと」

──その後、フジテレビの深夜番組を数多く手掛けられるようになるわけですが、特に「カノッサの屈辱」は、日本のサブカルチャーの歴史を“世界史”風に語る、というアカデミックなスタイルがユニークでした。

「あれはそもそも、ホイチョイ(・プロダクションズ)の馬場康夫さんが、会議中に“スキー”の歴史を語り始めたところから生まれた企画なんですよ。『スキーというのは、板もウェアもどんどんモデルチェンジしてて、10年前のスキー板なんて“ダサい”って言われちゃうんだよ』という馬場さんの話から、じゃあその歴史を振り返る番組を作ろう、ということになって。

フジテレビでは当時、小牧次郎さん、金光修さん、石原隆さんといった方々が、深夜枠の“編集長”を務められていて、本当にセンスがある方ばかりだったんです。例えば、石原さんは番組のタイトルを考えるのが得意な方で、『昔、世界史の授業で“カノッサの屈辱”って習ったけど、どういう事件だったか誰も知らないよね。でも、キャッチーでインパクトのある言葉だから、それをタイトルにしよう』と言い出して(笑)。普通だったら『ナントカの世界史』みたいな分かりやすいタイトルを付けそうなものじゃないですか。当時はまだ、深夜の時間帯で番組をヒットさせようという考えがあまりなかったから、こういう意味不明のタイトルを付けられたのかもしれませんね(笑)。内容的にも、あの時代だからこそできた番組だったと思います。今は著作権の扱いも厳しいし、パロディーをやるのもなかなか難しいですから」

――90年代初めのテレビ業界の“自由さ”が窺われます(笑)。

「『カノッサ』って、本来の番組の企画意図を突き詰めていくと、要するに“女の子を口説くため”なんですよ(笑)。女の子とご飯を食べたりするときにおしゃべりのネタになる、という。僕はもともと個人的に、“情報”や“流通”に非常に興味があるので、それをネタに番組で遊べたのはすごく楽しかったですね」

■ 一人でもいいから、誰かの心に深く刺さるものを作りたい

──『料理の鉄人』もまた、作り手の遊び心が感じられる番組でした。

「当時僕は『5年後』(’92~’93年フジ系)という深夜番組に参加していたんですけど、その『5年後』のチームに、突然料理番組の発注が来たんですよね。石原隆さんが『今までにない料理番組を作りたい』といって、料理番組なんてやったことがない僕らに声を掛けてきたわけです。

まず、前提として “料理バトル”の番組をやろうという話があり、天才演出家の田中経一さんが“キッチンスタジアム”というセット図を書いてきて、それが全ての始まりでした。ただ知らない人同士が料理の腕を競い合っても面白くない。そこで、腕のある料理人を3人お呼びして、“鉄人”というキャラクターになっていただいて、毎回いろんな料理人が彼らに挑戦する、というフォーマットにしました。プロ野球も、巨人軍という圧倒的に強いチームがいて、巨人ファンとアンチ巨人ファンがいるから野球界全体が盛り上がるわけで、それと同じ理屈ですね」

──結果、「料理の鉄人」は15%以上の視聴率を連発する大人気番組となったわけですが、小山さんは“視聴率”というものをどのようにとらえていますか?

「あんまり気にしないんですけど、高かったら高かったで、それはやっぱりうれしいですよ(笑)。ただ、本来の僕の資質としては、6~7%くらいの番組をやるのが得意だと思ってるんですね。だから、テレビ局から『視聴率は6%くらいでいいから何か企画を考えて』と言われたら、『じゃあ素晴らしい番組を作ってみせますよ』と(笑)」

──小山さんが番組を企画するときに最も強く意識していることは何ですか?

「まず、自分自身が興味があること。やっていて楽めるものかどうか、ですね。そして、それが誰かを幸せにできるものかどうか。多くの人に支持されるよりも、一人でもいいから、誰かの心に深く刺さるものを作りたいと思っています。

先日亡くなられたおヒョイさん(藤村俊二)がストーリーテラーを務めてくださった「東京ワンダーホテル」(’04年日本テレビ系)という、僕が企画・脚本を担当したドラマがあるんですが、先日おヒョイさんを偲ぶ会を開いたときに、第1回の放送を当時のスタッフたちと見てみたんです。そうしたら、当時の自分が何に興味を持っていたかが全部丸分かりで、すごく面白かった。レストラン『スガラボ』の須賀(洋介)くんとか、BEAMSの設楽(洋)さんとか、今も深く付き合っている人のほとんどが出演しているし、後の自分の仕事にもつながるアイデアの素のようなものが散りばめられてる。“あれがあったから今の自分があるんだな”ということが再確認できて、この作品をやってよかったなと改めて思いました」

■ 僕の理想の職業は「天使」ですから

──2010年から始まった「小山薫堂 東京会議」(BSフジ)も好評ですが、この番組のコンセプトは?

「“会議”って、企画が生まれる瞬間や、それがどんな経緯でどう変わっていくのか、というのが面白いなと思っていて。その様子をそのまま番組にしたのが『東京会議』なんです。世の中の会議を楽しくするお手本…というとおこがましいんですが、番組を見た誰かが、『会議は楽しくやった方がいいよね』と前向きになるきっかけになればいいなと思いますね」

――熊本の航空会社「天草エアライン」の機体デザインをはじめ、番組から生まれたものもたくさんありますよね。

「ええ、番組から実際にいろいろなものが生まれたり、いろんな人との出会いがあったり。本当にうれしいし、僕はすごく意味がある番組だと思ってるんです」

──今後、番組で取り上げてみたい会議のテーマは?

「アイデアはたくさんありますけど、全くニーズがないものは絶対にやりたくないですね。自分だけじゃなく、自分以外の誰かにも自信を持って推薦できるものを取り上げていきたい。僕の理想の職業は『天使』ですから。“みんなの”じゃなくて、“誰かの”天使になれたらいいなと常々思っているので、『これが実現したら、この人は絶対にハッピーになるだろうな』という気持ちを大切にしながら、新しい企画を考えていきたいですね」

──最近よく、“テレビに元気がなくなった”などと言われますが、小山さんはこれからのテレビはどうなっていくと思われますか?

「オリンピック中継なんかもそうですけど、みんなで時間を共有できる、リアルタイムに情報を伝えるメディアの中で一番大きな影響力を持っているのは、今でもやっぱりテレビだと思うんです。

その中で、人々の“共感”をどう作っていくかが今後のメディアの課題だと僕は考えてるんですけど、その際にテレビは他のメディアのプラットホームにもなり得るんじゃないかと。テレビだけで何とかすることにこだわらなければ、まだまだテレビの時代は続いていくと思いますよ。そもそも、今やパソコンやスマホでも見られるわけで、テレビというものの定義がよく分からなくなってきてますよね(笑)。でもだからこそ、テレビの未来も憂うことはないんじゃないかと思います」

https://news.walkerplus.com/article/106751/

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